阪神淡路大震災を振り返って(4)
22年前。
色々忘れる前に、ついに書いておこうと思う。
いったん最後(4) *(3)はこちら
震災20年後の年にヤフーが作ったページ。
「阪神・淡路大震災から20年。震災から学び、未来に備える - Yahoo! JAPAN」
震災後1年くらいは、
ラジオ・軍手・懐中電灯・地図を持ち歩いていた。
今なら軍手以外、スマホ1つで済む。
震災後1年くらいに、
地元の先輩の多くが20代前半で結婚した。
晩婚化が話題になり始めた頃だった。
好きなおかずは
最後に食べる派だったが、
最初に食べるようになった。
ライフラインが整ってくると、
ヒトには娯楽が必要になってくる。
芸能人が被災地へ行く事に違和感を感じている人は多い。
又、被災地に行く事を控えている芸能人も居るだろう。
結論から言うと、被災者に「娯楽」は必要だ。
そして、プロに来て欲しい。
正直、回数は関係ない。1度で充分だ。
阪神淡路大震災は日本のボランティア元年と言われている。
最後に、どうしても記したいことがある。
一般のボランティアの方は淡々と作業をして欲しい。
被災者は「ありがとう」に疲弊している。
ボランティア(一般)は被災地で感じた事は被災地に置いて来て欲しい。
被災者(リーダー)が被災者を支える事に寛容であって欲しい。
ボランティア(プロ)は被災者を支えている被災者(リーダー)を支えて欲しい。
敢えて、説明を端折っている。
一定の人には周知の事かと思う。
4回に分けて書いた震災の記憶。
やはり色々忘れている。
今回、重い腰を上げ記録して良かった。
僅かで拙い記録だが、毎年思い出そう。
「ありがとう」ございました。
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