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頭が良いってどゆこと?

【告知】感情研究家、白帯の命です。2021年12月30日 20:00より            CLUB HOUSEにて 『命』さんと『まいこー』さんの人生相談トークショーを行います。Twitter :@m_truecolors

著者アインシュタインの『晩年に想う』って本を最近amazonで検索サーフィンしているときに見つけた。タイトルからしてアインシュタインの集大成に違いないと思ってすぐに図書館に行って借りてきて読んだ。

知性と人格は別であると書かれていた。興味深いと思った。
その箇所の内容を書くと一般的に賢いと思われている有名な科学者がアインシュタインに「どうして、そんなに地球が消滅するのが嫌なんですか?」と質問したらしい。
一世紀前はそんな質問をしてくる人はいなかったが、過剰資本主義の現代は、競争に勝つための学問になっている。このような事を言う人が出てきてしまった。アインシュタインはその経験から現代の教育では知性優位の教育になり人格が育たないこと指摘していた。
簡単に言うとこんな感じ。

僕はこれを読んでどう思ったのかと言えば、
教育は人格を育てないと改めて言われると目から鱗が落ちた。
読書している自分がそうだ。
知性と人格はまったく違うものだと切り離して考えられるようになった。
それからしばらくして寝ながら考えていたら、
「人格が知性を求めている」という結論に至った。


知性を自分のために使いたい人は、そのような知性の集め方をするだろうし、知性を人の役立てたいと思う人はそのような知性を求めると思う。

僕の考え → 人格が知性の種類、属性を決めている。

上記の内容を踏まえて以下の内容を考えてみてほしい。
なぜ人を殺してはいけないか?という疑問を持っている人がいた。
人格が知性を求めるのであれば、この疑問を持った知性はどれほどの人格だろうか。僕は生まれてからこのような疑問を持ったことはない。魂はみんな平等だと思っていたから。殺してはいけない理由をどれほど考えても答えは見つけられないと思う。最終的には合理的に考えることになると思う。メリットとデメリットなんだけどね。合理的に考えるということは、状況が変化したらいつでも答えが変化すると思う。つまり、このような疑問を持つ人は、殺すメリットが高ければいつか殺す可能性が非常に高いと思う。

このような問いを哲学の仮面を被って考察してる人がいる。僕からしたら怖い存在だ。このような疑問を持つ人は自覚がないと思うが、非常に危うい精神状態だと思う
僕は生まれてからそのようなことを誰にも質問したことはないし疑問に思ったこともない。

世の中には問うてはならないことがあるんじゃないでしょうか。
このように知性と人格を切り離して考えてみると
人格そのものを肯定するできた。
人格教養とはどのようなものか、どのように形成されているかをじっくりと考えてみたい。

命さんは賢いとは言えないけど人格は素晴らしい。どどーん。


ビジョンは知性から生まれない。ビジョンは人格から生まれると思う。おしまい


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