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#小説 記事まとめ

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#エッセイ

メロンソーダの味、あの夏の微笑み【ショートショート】

その夏、僕らはメロンソーダの味を覚えた。思い出すのは、あの青空と君の微笑み。緑色の泡に、冷たい氷の感触。そんな些細なことが、僕らの心に深く刻まれている。 君と出会ったのは、昼下がりのラムネ売りの店。太陽は煌々と輝き、街はまばゆい光で溢れていた。店の棚に並んだ瓶詰めのラムネを見つめていた君の視線は、まるで小鳥が虹色の羽根を眺めるようだった。 そして、君はメロンソーダを選んだ。僕も同じものを選び、君と並んでベンチに座った。 初めて君がその瓶を開けた瞬間、ソーダが泡立つ音が静

小説: ペトリコールの共鳴 ⑤

←前半                  後半→ 第五話 僕は人と話がしたかった  飼い主のタツジュンが外食に連れて行ってくれる。    リュックサックのポケットに入れてもらえたハムスターの僕は、地下鉄から電車に乗り換え揺られている。  ビルが目立つ景色から、今は一軒家や駐車場や畑が目を流れてゆく。    タツジュンはリュックを窓に沿わせ枕代わりに眠り、僕はメッシュのポケットから生の緑を追っている。  僕は人間の言葉を理解し話せるハムスター。 亡くなった遥香の生まれ変わ

俺捨山

伊豆の町に、20数年ぶりに帰ってきた。 旧友に会うためだった。 用事が済み、友と別れると、せっかくの機会なので、昔住んでいた辺りを散策してみることにした。 かつての自宅の裏には「かめ山」があって、よく虫を取りに行ったものだった。 山といっても、丘に毛の生えた程度の小山だったが、自然と畑と虫には事欠かなかった。 僕はずっと「亀山」だと思っていたのだが、実は「甕山」だったと知ったのは、本の数十分前のことだ。 旧友との会話の中で、初めてその事実を知らされたのだ。 由来はわからな

『コンプレックス』

 人間は、自分のことを語らずにはいられない生き物。自身の感情や過去の経験、不幸自慢やコンプレックス。それらの一つ一つが、たとえ壮絶でなくても、誰かに知ってほしい。感動的に伝える才能はないけれど、誰かに伝えたい。自分自身の内面を語らずにはいられないのは、それが抗いようのない人間の本能だからだと思う。  僕の人生の9割は、良くも悪くも兄に影響されている。両親よりも、兄が絶対的な存在で、それは今も昔も変わらない。話し方や価値観、趣味や服のセンス。兄が好きなものが好きだったし、兄が

蝉が鳴くころに|短編小説

氷がとけるようにあいして欲しかったのに、母は呆気なくシんでしまった。みっさんは号泣しながら、葬儀について話し出した。 「喪主はみっさんでええかな?」 と、言うから、 「うん。」 と、私は俯いたまま応えて幼女のように脚を交互にぶらぶらさせた。 みっさんは母の再婚相手で一緒に暮らしはじめて五年が経過していたけれど、みっさんのことを父だと周囲の人に公言したことはなかった。はじめて出会った時も母から、 「この人はみっさん言うねん。」 と、紹介されたし、 「無理に父さん

【短編小説】涙くんと涙ちゃん

「見ててな」 藤野は上目で俺を見ながら、人差し指で自分の目頭を差した。そこから、ツー、と涙が溢れ出す。鼻筋を通って、口元まで垂れてきたところで、涙を手で拭う。 俺は、急に泣き出した友人をまじまじと見る。 「まあ、びっくりするよね。これが俺の特技というか、特殊能力」 藤野はテーブルの紙ナプキンで涙を拭き取っている。 「自在に涙を流せる・・ってこと?」 藤野は頷く。 テレビで見るような、役者さんが役に入り込んで泣くのとはワケが違う。2秒ほどで、蛇口を捻るように藤野は

ショートショート『ヨシダは死にました』

「ヨシダはいねぇのか、ヨシダを出せコラ!」 「ヨシダは、死にました。」 「…………!!!!」 人が、言葉を失った瞬間にはじめて出会った。 + どこにでも、物申したいひとはいる。 不満を解消したいわけじゃない。怒ってるわけじゃない。何かを得たいわけじゃない。 ずっと、言い続けたい。そんなひと。 コールセンターに長く勤めていると、嫌でもひとの嫌な面を見る。たとえどんなに素晴らしい商品でも、会社でも、サービスでも、必ず一定数言い続けたいひとに遭遇する。 だって、完璧は

【祝】はんぺんチーズフライって、とってもエモーショナルな味がするんだね【編集部のおすすめ選出】

 掲示板に「210」の文字はなかった。  つまり僕は、受験に失敗したらしい。  同世代らの麗らかな声が響き渡る県立A高校玄関前。不合格なる酷な現実を前に、しかしそれでいて己が心はまるで鏡よろしく凪いでいた。  何せ十五歳当時の僕ときたら分厚い参考書よりも電撃文庫や富士見ファンタジア文庫などの、いわゆるライトノベルを手に取る頻度の方が遥かに多かったわけであって、当然最悪のシナリオも想定内、いやむしろ合格したら奇跡くらいの心持ちで端から勝負を諦めていたのだ。  幸い、滑り

試着室で思い出せなくなったら、もう本気の恋じゃないんだと思う

尾形真理子さんの「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」という言葉を試着室でふと思い出した。試着室の中で、誰も思い出せなくなった私は、もう恋愛をしていないのかもしれない。恋人と一緒にいるのは、そこに愛があるからではなく、別れの決め手がなかっただけに過ぎない。感情論だけの皆無に等しいセンスに飽き飽きした私は、明日あなたとさよならをする。 別れの決め手を探し続け、怠惰な気持ちで恋人と一緒にいる私は、誰がどう見ても残酷な女だ。たしかに少し前までは、あなたを思い出していた。そこに

[掌編小説]踏みしめて変身せよ

 今日、仕事を失った。  どうにもならない世界の動きに苛立ったところで、私の仕事が戻るわけじゃない。とにかく、失ったものは失ったのだ。  心のどこかで覚悟はしていた。でも、それはこの先の「いつか」のことで、今日じゃなかった。それに、もしかするとただの悪い予感で終わるかもしれないと、たかをくくってもいた。  長く勤めたデザイン事務所の主な仕事は、観光業に関するものが多かった。残業続きが定時になり、自宅待機になって、自分で自由に仕事をしていいと言われ、久しぶりに出社するなり「解散

ジュディマリも知らないくせに

憤慨した。 私の何を知っているの?胸ぐらをつかんでそう叫んでやりたかった。 でも今年で34才だし、なんか大人げないなって。ぎりぎり踏み止まった。 何よりここはファッションビルの婦人服売り場。大声を出すことは許されない。店長の私にとってこの店はいわば聖域だ。 その聖域にまだ24才の本社から来たガキンチョ女が、一丁前にアドバイスし、私のプライベートにまで土足で上がり込んできたので、憤りを隠せなかった。 「以後、気をつけます」 そう頭を下げた私が、頭を上げる前にあの山下

真夏のサンタ帽🎄

2020年夏。世界中に不思議な光景が広がった。 クリスマスでも無いのに町の全ての皆がサンタの帽子を被っているのだ。 この現象の発端は8月24日の夜に起こった。世界中の人類一人ひとりにプレゼントが配られたのだ。 その中身はサンタクロースの帽子。 そしてサンタ帽と一緒に手紙が添えられていた。 1週間の魔法。8月25日から8月31日まで、このサンタ帽を被っていればコロナにかかりません。今コロナの人もこの期間だけは人にうつすことはありません。苦しみに耐え忍んでいる皆さんへの

さらに新しい生活様式(ショートショート)

東京都が用意したホテルの中の暮らしは思ったより快適だ。 毎日いろいろな検査をするが医療スタッフは優しく、わずらわしいどころか安心感が持てる。 詳しくは知らないが、現在東京にはこの様なホテルや医療施設がたくさんあり、10万人以上が滞在していると聞く。驚きだ。 当初はこんな事になるとは誰も思っていなかった。 特効薬はすぐにできると思っていた。 だが… こんなにも多い人が、こんなにも長くホテルに滞在することになるとは…  こうなることも考え用意を周到にしておいたので、ホ

なんだこの感じ、この感覚。

『僕はきっとこの温度を忘れることはないだろう。』中学生編 -6 「何だよ、見せたいのって。」 ヒサミツが訝しげな顔をして、僕の部屋の本棚を手持ちぶさたに品定めをしている。 遙か古(いにしえ)から、初めて訪れた部屋において繰り返し行われてきたであろう、ささやかな通過儀礼である。 しかし、僕の一番の愛蔵書である宮沢賢治大全集には微塵たりと興味を惹かれなかったようであり、遺憾ながら彼は早々にテレビの前に座を移してきた。 (僕はその全集の附録であった著者近影のフォトスタンドを