マガジンのカバー画像

#エッセイ 記事まとめ

1,141
noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
運営しているクリエイター

#写真

のり弁とやきとり弁当

今私は、立体駐車場に車を停めて 仕事が始まるまでの1時間、 のり弁を食べながら過ごしています。 真っ白の衣装をきて、 のり弁のフライの油を落とさないように フライにつけるソースをこぼさないように 豪快にカッ喰らうはずのものを、そろりそろりと食べています。 午前中はタイヤ交換をしたため、 後部座席には取り替えられた方のタイヤがゴロゴロ4つも転がっていて、運転席を圧迫しているということを忘れていたのが盲点。 仕事までの空き時間、北大の近くを運転していたら、美味しそうな弁当屋

モンゴルの平原で出会ったある犬の話

モンゴル旅を整理をしている。 膨大な数の写真たちを記憶と共に少しずつ整理している。 SNSでの情報発信はもちろん大切だけれど、それ以上に自分の気持ちにしっかりと区切りをつけるためには時間が必要だった。 自分の中である1つの思いを巡らせる時には、僕は必ず時間を置く。 時を置いて、無駄な記憶が削ぎ落とされ、記憶が断片的になっている時の方が自分の思いが入り込む余白ができて書きやすい。 今回はモンゴルで出会ったある犬の話を書こうと思う。 遊牧民と暮らしている家畜とバンカール

ドイツの朝食パーティーに「おにぎり」を。

先週無事に、語学学校が一旦終わりました。 今日は語学学校の終了日にあった「朝食パーティー」について書こうと思います。 朝食パーティーは突然に。語学学校のクラス終了日の前日、授業中に先生が出した問題に「朝食パーティーの招待状にお返事を書く」というものがあった。 ちなみにこの「パーティーのお誘いとお返事」の問題は、ドイツ語の入門レベルには定番と言っていいくらい色々なところで見かけている。 しかしこの「パーティー」というのはテキストから察するに、正装したちゃんとした感じのもので

社会派写真家からのおくりもの

20代のころ大阪の画廊に勤めていた。 その画廊内の展覧会はもちろんのこと国内外での企画展も多く、多岐にわたる仕事内容で目まぐるしい日々を過ごしていた。 展覧会の内容によって、画家、彫刻家、写真家、陶芸家、版画家...と多様なジャンルの作家さんたちとの出会いがあり、今振り返ると貴重な数年間を過ごせたことに感謝の気持ちしかない。 一度だけ、勤務中に突然体調が悪くなったことがあった。強い頭痛がして視界が揺れる状態になってしまったのだ。 店主がすぐに近くの病院で診察を受けるように

ちょっとの心遣いに助けられた、13時間の飛行機の旅

国内線も国際線も、飛行機に乗ったら、窓側の席に座るのが好きだ。 単純に、窓の下に広がる、離着陸時の風景や流れゆく景色を見るのが心地良いからだ。 ただ、長距離の国際線に乗るときだけは、少し迷ってしまう。 なぜなら、窓側の席に座ると、機内のトイレに行きづらくなってしまうからだ。 通路側の席なら、誰を気にすることもなく、自由にトイレへ行くことができる。 もちろん窓側の席だって、通路側に座っている人に声を掛ければトイレへ行けるけれど、その人が映画を観ていたり本を読んでいたり

じぃちゃんとカメラ(時々ばぁちゃん)

私が生まれた病院に、じいちゃんは入院していた。ガンだった。 私が生まれたその日から、じいちゃんは毎日のように私のことを見に来ていたそうだ。 点滴スタンドをキコキコ引きずって、 私の顔を覗き込み、 満面の笑みを浮かべ、 長いこと見つめてくれて居たらしい。 初孫だった。 自分の死期が近いことを感じながら見つめる孫の顔は、 じいちゃんにどう映っていたのだろう。 じいちゃんはそこに、何を見ていたのだろう。 若い女性ばかりの産婦人科病棟に、病衣を着て点滴スタンド引きずったどう

大人になったら手に入らないけど、贈ることはできるもの

渋谷パルコの『ほぼ日曜日』イベントで、写真家の幡野広志さんとお話した。 幡野さんは、奥さんと、息子さんの優くんへあてた48通の手紙をまとめた『ラブレター』という本を出されたばかり。 そんなラブレターにも収録されている写真と文章が、息をするように並べんだり、浮かんだりしている展覧会場に、たくさんの人たちが集まってくれた。 お話するテーマは『family』なので、わたしは母をつれて、familyで参加した。たぶん、幡野さんが思うfamliyと、ウチは似てるんじゃないかと思っ

子孫をまどわせたい

はじめまして。黒い球です。 こんにちは。タチバナシです。 あらためましてタチバナシです。普段は小さな会社で働いています。 みなさん「子孫をまどわせたい」ですよね? 「子孫をまどわせたい」100年以上先の未来に向けて、現在の実態とズレている情報を世に残すことで「子孫をまどわせたい」 人類は、解くのが簡単すぎる問題にはやる気が出ず、ほどほどに難しい問題に一番やる気が出るらしい。色々なことに飽きていくであろう未来の人に、ほどよい難易度調整をプレゼントしておこうと思います。

異国の光を見たくて、果ての対馬へ旅に出た

いま海外へ旅に出ることはできなくても、海外を「見に行く」旅はできるかもしれない……。 ふとしたそんな思いから、その対馬への旅は始まった。 海外へ旅に出ること。それは僕にとって、人生に彩りをくれるきっかけで、明日を生きる力をくれる魔法みたいなものだった。 だから海外へ行かれない日々は、ただただ寂しかった。この1年、また海外へ行ける日が来ることを、ずっと夢見ながら暮らしていた。 そんな日々も2年目を迎えたある日、日本地図を見ていて、気づいたことがある。 日本は海に囲まれ

これはね、壁に呼ばれたの。

※以前つくって、そのまま放置しているウェブサイトで唯一書いた文章。消えてほしくないので、こちらにも転載しておきます。依田さんはこの個展のあと、お亡くなりになりました。藤野でもぜひ個展を開催したいと伝えていましたが、その余力もなく、実現しないまま逝かれてしまったことが、今でも心残りです。 --- まるで絵のように生々しく、鮮やかで、立体感のある、 おそらくはレンガ造りの建物の壁。 その、圧倒的臨場感をもつ1枚の写真を前に、思わず聞いた。 「依田さん、この壁の質感、いったい

けっしてモノクロなんかじゃなかった

一枚の白黒写真があった。 柔らかそうな革張りのソファで鉛筆片手に足を組み、何かを執筆している男性と、彼から少し離れてちょこんとソファの上でお座りするポメラニアン。 日常の何気なく愛しい瞬間が切り取られた、とても素敵な写真だ。 その写真が貼られたアルバムからふと顔を上げると、写真の中の男性がシワが増え、髪が薄くなり、カラーになった状態で、孫の私をにっこりと見つめている。 写真は1970年代に撮られたものだから、およそ50年前。 半世紀の年月を経て私の目に届いた祖父は、モ

お金を使って楽しむことに罪悪感をおぼえていた私へ

25才の1月。 社畜だった私は新卒で勤めた会社を辞め、次の仕事につくまでの間に、なんとなく台湾に遊びに行くことにした。 次の仕事や将来の目標も、何も決まっていない。 お先真っ暗とはまさに今である。 ただ「どうせならゆっくりすれば」という母の助言と、なけなしの退職金が台湾への往復航空券代とぴったりだったから、行ってみることにしただけ。 そんな適当な決断だった。 台湾は、一般的にどういう理解がされている国なんだろうか。 私は何も知らなかった。 例えば、台湾ではコインのよ

テントを新調したら景色が変わった

私は現在車が使えないため、どこでも徒歩ソロキャンパーなので、キャンプに行くときはいつも電車とバスと自転車を組み合わせてキャンプ地へと向かうことになる。 今回は琵琶湖。 先月下見しに行った琵琶湖にてソロキャンプを決行することにし、駅前でまたもやチャリンコを借りて、琵琶湖まで漕いだ。 そろそろ、どこでもすぐ自転車を借りる女という肩書をつけようかなと思う、イージーな感じで。 大阪から1時間でこの景色。 最高。 5度目となるソロキャンプ。 テントを新調して臨む今回のキャンプは、

18年前の母からの手紙を今になって読んだら、今の自分とダブっていて泣いた。

母は私にあまり興味がないと思っていた。 明るくて常にテンションが高くて、漫画の世界から飛び出してきたようにおっちょこちょいで、悩みなんて全然なさそうに思っていた母。でも私はそんな母と暮らしていた頃(二十歳まで)は、別に仲良くなかった。仲が悪いわけではないけど、明るすぎる母を冷静な目で見ている自分がいた。 私は中学~高校くらい、いわゆる思春期にはしっかりと反抗期があり、激しくはなかったものの、とにかく母のことが鬱陶しかった。たぶん傷つけるような言葉もたくさん言ったと思う。