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社会派写真家からのおくりもの


20代のころ大阪の画廊に勤めていた。
その画廊内の展覧会はもちろんのこと国内外での企画展も多く、多岐にわたる仕事内容で目まぐるしい日々を過ごしていた。

展覧会の内容によって、画家、彫刻家、写真家、陶芸家、版画家...と多様なジャンルの作家さんたちとの出会いがあり、今振り返ると貴重な数年間を過ごせたことに感謝の気持ちしかない。



一度だけ、勤務中に突然体調が悪くなったことがあった。強い頭痛がして視界が揺れる状態になってしまったのだ。
店主がすぐに近くの病院で診察を受けるようにして下さり、診察中に医師から謎の「チョコレートを沢山食べましたか?」という質問を受けた。

確かに数日前から画廊への頂きものにデリケートな保管を必要とする高級チョコレートが見事に何軒も重なり、お茶の時間の度に「ノルマ(笑)」とお皿にポンポン乗せられて無理やり食べていた。
結局はそんなことも急な頭痛を引き起こす可能性があるという話で終わったのだが、とりあえず薬を処方され画廊に戻った。


その日画廊には写真家のN氏が打ち合わせに来られていた。
N氏は社会派写真家なので作品は社会問題とりわけ人権問題に関わる作品が多く、かなりの辛口とコテコテの大阪弁で一見怖い印象があるが、キレキレのユニークさを持ち合わせた素敵な人だった。
私はN氏から、当時テレビでよく流れていたサントリーのウーロン茶のCMに出てくる中国の女の子に似ているからという理由で「ウーロンチャ」と呼ばれていた。

病院から帰ってきた私を見て
「ウーロンチャどないしたんや?」と声を掛けられたので、私も「急に頭痛が..」など普通の会話で返さずに「チョコレートの食べ過ぎで病院へ」と答えた。N氏は笑いながら、面白いエピソードを聴かせてくれた。

N氏が昔トキワ荘に出入りされていた頃の話だった。トキワ荘という単語だけで夢の世界の話である。手塚治虫さんがずっとチョコレートばかり食べていてびっくりしたという話だった。仕事中の様子やチョコレートの食べ方の話など宝物のような話を聴くことができて、私の頭の中は頭痛の痛みから一気に手塚治虫先生のトキワ荘ワールドへ導かれ、むしろチョコレートを通して手塚先生と繋がった感のおかげで痛みがだんだんと和らいでいった。



画廊には地元に帰ることになるまでの3年間だけ勤めた。
最後の日、画廊の皆さんと退職の日に個展をされていた関係でN氏も一緒に送別会をして頂いた。
2軒目にN氏の行きつけの居酒屋さんに連れて行ってもらった。前から話を聞いていて一度行ってみたかったお店で、食通の店主夫妻もお気に入りのお店だった。

楽しく呑んでいたとき、N氏から「はい。お祝い。」と箱を渡された。
中身は額装された写真だった。
いつも展覧会で観る社会派写真とは違う優しい写真だった。
タイトルは「春」
まるで生きているかのような三春張子の人形を写した不思議な写真だった。
N氏がこの人形のように何何...と言われたのだが、(多分これから先に良いことが起こるようにという感じ)聞き取れなかった。突然で嬉しさと感動でボロンと涙が出てそんな自分にびっくりして聞き返すことができなかったのだ。



一度画廊でN氏から聞いた話をよく思い出す。
写真を撮るときに、例えばきれいな花を見つけて「おっ」と思っても、カメラを構えた時点でその気持ちが途切れてしまう。「おっ」の気持ちのまま写真がとりたいのだという話だ。


退職時にいただいた「春」の写真の人形の、少女のようで可愛い妖艶さがある表情。
どんな光の効果で、この雰囲気が浮かびあがるのだろうかと思う。
N氏がその人形を見て「おっ」と感じた気持ちの、その瞬間の光の力なのかもしれない。

そしてわざわざ私に合わせて、淡い桃色の
フレームで額装してくださり、こんな色のフレームを買ったのは初めてだと笑われていた。
箱にはペンで「お祝い」の文字とサイン。


この写真を見るたびに思う。

幸せにならないといけない。



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