dainaba

音楽とかコーヒーとかワインとか好きです。 適当に考えたことを文章に書いています。前後し…

dainaba

音楽とかコーヒーとかワインとか好きです。 適当に考えたことを文章に書いています。前後してたり、話が飛んだりします。 主に自身の考えの推敲のために書いています。

マガジン

  • 運動について

  • コーヒーについて

最近の記事

日本語と年功序列の相似関係

通常日本語で話すとき、 結論が最後に来る。 私は何々~で何々~をした。 あるいは私は何々~でしなかった。 つまりいくら話の途中を聞いたところで、 結末がyesの肯定文なのか noの否定文なのか そもそも何をしたのか 最後にならないとわからない。 英語では一般に I do I do notから始まり結論を先に言ってから、 その文章の説明が入る。 これは論文を書くときに結論を先に書くという事と相似している。 日本語よろしくだらだら説明文を書いてから結論に至るのではなく、

    • 不立文字とは

      禅や日本の道(茶道など)といった物事、 あるいは日本において修行というとき、 言葉、文字ではなく、行動から学ぶ不立文字ということがある。 西洋の哲学、あるいは科学的な考え方から言って、 他人と理解を共有するためには、 共通の言語などに置き換えて相手に伝えるということが普通である。 共同社会において、相手が何を言っているのか、あるいは何を伝えたいのか、 ということの伝達コミュニーケーションとして言語が発達したと考えるならば、 言語で他人と情報を共有するというのは自然な考え方

      • システム化された市場、商店における個人主義の矛盾、あるいはジレンマ

        現代の日本社会は、市場がある程度システム化されており、 社会や市場に出るとき、大きな事業を動かすためのいわゆる歯車の一部として見る、動くことになるのは一般的である。 例えば外に出て買い物をするというとき、 スーパー、コンビニ、ホームセンターへ行き買い物をする。 どこへ行っても同じものが並んでいて、大きな資本でチェーン展開されてる会社では、 作業をいくらかマニュアル化して誰でもできる、トップダウン式に命令が下され、個人というものがほとんど必要とされない。 そして実際、買い物

        • 良いものだから高い、高いから良いもの

          他と比べて良いものであるというとき、 値段が高くなるのは一般的である。 他のものより、時間にしろなんにしろコストをかけたから、 そして他のものより良いものとしてできているのだとしたら、 値段は高くなる。 なので、 値段の高いもの=良いものである というのは普通に考えると当たり前のことのように思える。 しかし、例えば芸術といった時に、 値段の高いもの=良いものである ということは成立するのか? 値段だけで言えば1億円する絵画、芸術というのは時々聞くこともある。 しかし1

        日本語と年功序列の相似関係

        マガジン

        • 運動について
          6本
        • コーヒーについて
          4本

        記事

          名付けようのない踊り

          田中泯氏の「名付けようのない踊り」を観ました。 映画の中で氏が 「言葉とかができる前に踊りがあったんだよね」 というようなことを言いまた 「言葉ができたことによって更に~」 みたいなことも言っていました。違ったらすみません。 言語というのは合理性、論理性が担保されているもので、 会話が成立するためには、 ここに書いているように、ある一つの流れというか、 方向性があって、物語というような、 相手に意味を伝えるという大前提があります。 たとえば話している相手が自分の

          名付けようのない踊り

          個人のリスクと集団のリスク

          先日、岡田斗司夫氏の動画を見ていて、これはと腑に落ちたのは、 日本というのは多くの場合仕事に対して完璧を求める ということです。 氏の話していた内容が、アイドルの恋愛についてであって、 アイドルだって普通の人間ですから恋愛くらいする、 でもそれは基本的に日本においては許されない行為だということです。 例えば欧米だとどこのセレブが、王室が 誰と付き合ってる、離婚したなんて(興味はないですが) 割と大っぴらに放送されてたりしてるようです。 男女平等を掲げる世の中でアイド

          個人のリスクと集団のリスク

          規模に依存する効率化のシステム

          会社というのは小さければ 一人で色々しなくてはなりませんが、 大きくなれば大きくなるほど、 作業を分業して、 一人一人がエキスパートとして活躍したほうが非常に効率的です。 パソコン作業などで考えるとわかりやすいのですが、 10%の知識、能力の人が10人集まるより、 100%の能力を使える人が1人いるほうが作業スピードは断然早いです。 もちろん共同で作業したほうが良いこともありますが、 多くの場合、能力は人数に応じて単純な足し算にはなりません。 (10%の人が10人いれば

          規模に依存する効率化のシステム

          芸術や文化をつくるのにはお金と時間が必要

          コーヒーとワインというのは非常に似ています、 最近ならコーヒーもテロワールが語られますし、 コーヒーのアロマホイールなどもつくられました。 例えばこのコーヒーはどこ農園のどの地区でつくられたコーヒー豆で、 品種は何々、精製方法(一部発酵のコントロール)はこうだ。 といったほとんどワインと変わらないくらいの比較や品質の向上が見られます。 しかしコーヒーが1600年前後から歴史に出てきて、 数百年間、お酒に代わる飲料として一日に何度も飲まれる嗜好品として、 いわゆる欧米におい

          芸術や文化をつくるのにはお金と時間が必要

          マニュアルというのは基本型であって絶対型ではない

          またコーヒーの話なのですが、 最近はコーヒーの抽出や焙煎において、 これが正しい! みたいな考え方であったり、やり方というのが良く聞くようになりました。 確かに科学的な分析であったり、 過去に多くの人が経験してきた色々な体験から これという外さない方程式が導かれるのはそうで、 現代人のネット頼り(ググれ)しかり、 わざわざ自分で馬鹿みたいに、 過去に経験してきた人が親切にも情報を残しているにもかかわらず、 自分でそのやり方を一から導き出すというのは無駄な労力というもの

          マニュアルというのは基本型であって絶対型ではない

          コーヒーの濃度について

          最近はコーヒー抽出における濃度の測定など行われ、 どのくらいの濃度が一番いい とか この豆の量とお湯の量と時間でこの濃度になる とか そういったことで抽出はなるべくマニュアル化した方がいい 全て計って毎回同じになるように抽出した方がいい みたいに言われるわけですが、 私はあまりそういう事は詳しくないので、 今回書いていくことは個人的な感覚として、 焙煎浅めの豆は薄い方が良い 焙煎深めの豆は濃い方が良い という事です。 濃い、薄いというのはワインなど他の飲料でも感

          コーヒーの濃度について

          マインドフルネスな行為としてのワイン、喫茶店におけるコーヒー、パイプスモーキング

          現代というのはとかく誘惑が多いもので、 楽な方に楽な方に流れやすく、 気が付けばだらだらとyoutubeやamazonといったものを見たりして、 いわゆる「受動的」に何も考えず時間を過ごすという事が、 非常に増えてきたなと思う事があります。 こういった事ばかりしていると、 良く言われるのが集中力がなくなるといったことで、 食事をするときにも、お風呂に入ってる時も、 何かを「しながら」行為をすることで、 注意力が分散して、 食事を楽しめない、体を休められない といったことにな

          マインドフルネスな行為としてのワイン、喫茶店におけるコーヒー、パイプスモーキング

          4±1

          人間の認知機能として、 大体一度に把握できるのは3つから5つくらいらしいです。 ワインの本を読んでいた時だったか、 ワインの説明で、例えばカベルネで カシス、ブラックベリー、タバコ、なめし皮、杉、etc といくつも羅列されていることがありますが、 先ほど言ったように、一度にすべてを把握できるという事はないようです。 最初はある香りを嗅ぎ取って、また次の香りを嗅ぎ取ってと 順々に表れる、あるいは言葉にできるのだと思います。 シーナ・アイエンガー氏の「選択の科学」

          外に向けるべき意識、座禅

          なんか似たようなこと書いた気がしますが、 意識というか、 注意するとき基本的に外の世界に向けられます。 どこか遠くで物が動いている、 どこかで音がする、 どこかから匂いが漂ってくる、 肌に何かが触れてそこに何かがあると感じる。 基本的に感覚は外の世界を知るために使われるものだから、 意識というのは外に向けられます。 なのですが、 日本の現代社会において危険というのは非常に少ないので、 感覚というものをそれほど使わなくても問題ありません。 安全な住居の中で、 気温や湿

          外に向けるべき意識、座禅

          反脆弱性という考え方

          ナシーム・ニコラス・タレブ氏の考え方として、 反脆弱性という考え方があるようです。 調べれば出てきますし、直接本を読んだわけではないのですが、 可変性のある人間、あるいは生物として、 失敗であったり、何らかの危険を経験することで、 より良い選択や、より強固なシステムを組むことができる、 というようなことらしいです。 つい最近まで、「成功」とか「勝利」といった本が、 本屋さんに行くと並んでいましたが、 「失敗」について書かれている本が少しづつ増えてきたような感じでしょうか

          反脆弱性という考え方

          変わることの難しさ

          人間、変わるって難しいって思いました。 当たり前なのですが、 変わるためには、変わらなくてはいけない。 非常に当たり前の事なのですがもう一度言うと、 変わらなければ、変わりません。 まあどういうことかというと、 私を含め、多くの人間が今までの生活、行動や価値観、習慣、 そういったものを変えもせず、ただ勝手に変わらないかなぁと思っているんだと思います。 ダイエットや筋トレ、勉強など 「したいなぁ、頑張りたいなぁ。」 なんて思っててもしなければできません。 変わるために

          変わることの難しさ

          Kindleを買いました。

          自分はどちらかというとアナログな人間なので、 本とかCD、レコードといったものは基本的に現物で買ってきました。 で、先日アマゾンでセールだったので、前から気になっていたKindle買いました。Unlimited3か月付き。 本によっては1ページ分が1ページにおさまらなくて分割されてしまい、見にくいのですが、何と言っても手軽さというのがすごくて、気になった本をバンバン入れて、それはもうななめ読みをしています。 ちょっとした空き時間に触ると、数分のつもりが数十分と読んでしまい

          Kindleを買いました。