規模に依存する効率化のシステム
会社というのは小さければ
一人で色々しなくてはなりませんが、
大きくなれば大きくなるほど、
作業を分業して、
一人一人がエキスパートとして活躍したほうが非常に効率的です。
パソコン作業などで考えるとわかりやすいのですが、
10%の知識、能力の人が10人集まるより、
100%の能力を使える人が1人いるほうが作業スピードは断然早いです。
もちろん共同で作業したほうが良いこともありますが、
多くの場合、能力は人数に応じて単純な足し算にはなりません。
(10%の人が10人いれば100%の作業ができるのか?)
小さなシステムで考えていると、
必然あれもこれもと能力を分けて使わなくてはならず、
単純な効率で考えれば、
小さいほうが効率が悪く、
大きくなればなるほど効率が良くなります。
(あくまで理論上であって、すべての人が効率よく動けるかは別問題ですが)
小さなシステムの中にいる場合、
能力は幅広く、一人を賄うにはそれで十分ということもありますが、
例えばこのグローバル社会といわれる、
小さなシステムの中でのみ生きるということが難しく、
大きなシステムの中の一部、
あるいは大きなシステムと対峙しなくてはならないというとき、
小さなシステムでは淘汰されてしまう可能性がなくもないです。
生物で見ても、
多くの種が淘汰されていく中で、
あれもこれもではなく何かしらの特徴を持った生物が、
大きなシステムの中で何かしらの役割でもって、
生き残ってきたと考えられます。
ジェンダーフリーといわれますが、
(人間社会は複雑なので、単純に否定するわけではないです)
哺乳類の中で、
男性と女性の役割というのははっきりと分かれていて、
それは優しいとか優しくないとかいう話ではなく、
大きな生物のシステムで考えた場合、
男性と女性の役割を分担して活動したほうが、
システム上効率がいいからそうなっているのです。
規模が大きくなればなるほど、
システム上分担したほうが効率がよくなり、
個々の特徴、能力や特性が特化していくわけですが、
特化が進むと全く新しいものが見えてくることがあります。
例えばスポーツに特化した人は、
素人が10人いようが100人いようが、
それらすべての人と全く違う動きができたりします。
単純に考えて能力や作業などそういったものは、
直線上の効率、二倍の速さや三倍の速さといったもので考えがちですが、
特化が進むと全く別の動きが出てきたり、別の考え方が出てくることがあり、
先に言ったそれによって10%が10人いるより、100%が1人いるほうが効率がいいことがある。
これは特化が進まないと見えてこないことなので、
10%の能力しか使わない、あるいは使えない場合、
多くの場合、それを理解することができない場合があります。
例えばかすかな機械音で異変を感じる人や、
微妙な色の違いを認識する、味覚の違い、空気感といった感覚的なものや、
パソコンを理解している人の使い方、書道家の筆の使い方、
ボールを蹴るときの当て方、打つ時の当て方など。
とにかく特化が進むと、世の中の見え方まで変わってしまうこともある。
そうなった場合、そうでない人と剥離ができることがあります。
見えているものが違うため、
同じもの、ことに対しての考え方、感じ方が違うためです。
玄人が素人にあれをこうしろと言われて、
そんな単純なことと思ってその発言を軽んじたり、
そもそも見えている場所が違うので、
何を指し示して言っているのか理解できなかったりします。
効率化やこの特化といったものは基本的にシステムの規模に依存しているように思います。
規模に依存している場合、
大きなシステムを大きなまま維持できれば、その特化型の役割を十分に使えることができますが、
もしその大きなシステムから何らかの理由で外れた場合、
その能力が小さなシステムの中でうまく使うことができるかは、
難しい問題だと思います。
最近リモートワークや都市から離れる人も多いようですが、
大きな都市で生活していた人間が、
いきなり人口数百人の村に移住するということは、
似たようなことではないかと思います。