外に向けるべき意識、座禅

なんか似たようなこと書いた気がしますが、

意識というか、
注意するとき基本的に外の世界に向けられます。

どこか遠くで物が動いている、
どこかで音がする、
どこかから匂いが漂ってくる、
肌に何かが触れてそこに何かがあると感じる。

基本的に感覚は外の世界を知るために使われるものだから、
意識というのは外に向けられます

なのですが、
日本の現代社会において危険というのは非常に少ないので、
感覚というものをそれほど使わなくても問題ありません。

安全な住居の中で、
気温や湿度もコントロールし、
季節関係なくいつも同じものを食べられ、
仕事にしろやることといえばルーティーンなので、
外に向けられる感覚の出番は非常に少なく、
余っている意識が内に向いてしまうことが多くなるのかもしれません。

意識が外に向けられるようにつくられていて、
生理機能としての活動を止められないのだとしたら、
行き場を失った意識は、
思考であったり内側を見るような部分に使われるのではないでしょうか。

ですがそもそも外に向けられてつくられているのだとしたら、
常に内側に向けて意識する、意識されるというのは、
無理がきいているのではないか、
負荷がかかり過ぎると、精神的に危険なのではないかと思います。

たぶん人や環境によって、
外側を向いているとか内側を向いているとか
違うのでしょうが、
私は確実に意識が内側を向いているのでしょう。


この社会環境の中で、
精神的ストレスをためる人が増えたために、
よく健康維持のための記事を見かけますが、
やはり一番重要なのは運動であるようです。

「朝起きたら日の光を浴びて30分散歩をする」

といったことが良く言われているようです。
やはりというか、実際家の中に居るより、
外に出て運動する、外の景色を見るというのは重要なのかと思います。

例えば変わらない部屋の中にずっといると、
エアコンの風などで、紙がちらちらしているとイライラします。
変わらない環境として過ごしているために、
その中で変化を起こされるとストレスになります。

ですが、外を歩いて風に木々が揺れている、
雲がずーっと、ゆっくり流れている、
鳥がちゅんちゅん鳴いている。
そういったものは変化するものの中の一つとして認識できるので、
そのまま特に感情も起きずに自然と受け入れられます。
(もちろん鳥にしろ蝉にしろうるさ過ぎればイライラするかもしれません)

自然というか外に目を向けることで、
常に変わり続ける世界というものを認識することで、
意識を外に向けて使い続けることができるのではないでしょうか。

というとまるでの話ですが、
変わり続ける世界を認識するために意識、感覚があるなら、
座禅をするときに「何も考えない」という事を、
内側で処理しようとすると、
変化を認識するのが能力だとするなら、
常に思考が変わり考えが巡ってしまう。

そうではなく、意識を外側で使う、
内側に使われている意識を、
すべて外側で使ってしまう
という意識をコントロールすることで、
座禅というものが完成されるのではないでしょうか。

健康維持の記事などで、海外では最近瞑想するという事も良く言われています。
座禅と同じように意識のコントロールをすることで、
コントロールできるようにすることで、
バランスが取れるようになるのかもしれません。


とこんなこと書いていますが、
個人的に座禅や瞑想は正に考えが巡ってしまって
イライラしてしまってダメなのですが、
もう少しコントロールできるようになると良いです。

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