マニュアルというのは基本型であって絶対型ではない

またコーヒーの話なのですが、
最近はコーヒーの抽出や焙煎において、

これが正しい!

みたいな考え方であったり、やり方というのが良く聞くようになりました。

確かに科学的な分析であったり、
過去に多くの人が経験してきた色々な体験から
これという外さない方程式が導かれるのはそうで、

現代人のネット頼り(ググれ)しかり、
わざわざ自分で馬鹿みたいに、
過去に経験してきた人が親切にも情報を残しているにもかかわらず、
自分でそのやり方を一から導き出すというのは無駄な労力というものです。

現代人はインターネットの普及により、
様々な情報を瞬時に得ることができるので、
こうすれば成功する、こうすれば間違いない、
というような情報がたくさんあるので、
そんな世界に生きているのに、
わざわざその情報から外れて、間違えるというのは、
多くの場合まったく行動そのものを否定されかねないです。

当たり前ですが、自身を否定されるのは嫌ですから、
外れないよう、外れないよう、
過去の人が作ったレールの上を行くというようなことが、
大体の事はすべて過去の人がすでにやってきて、
しかもその情報があるんだからそれをなぞるだけでいいというようなことが、
正に現代をうまく生きる
というような構造になってしまっています。


ですがここで勘違いしてはいけないと思うのは、
あくまでマニュアルというのは、マニュアルであって、
絶対にそうしなければならないという事ではなく
それを基本、基準にして、
そこからいろいろやってみるという事ではないでしょうか。

マニュアルというのが多くの場合正しいという事を否定したいという訳ではなく、
諸行無常と言われるように、
マニュアルが変わらなくても、
実際に対峙しているものが変わるという事はいくらでもあり得ます。

今回もコーヒーについて書いていくのでそれについて書きますが、
例えばコーヒーの焙煎において、
焙煎度合いや、焙煎中の温度上昇など、データ化して、
これぞというのを導き出して、
最新機器ではそのデータ通りに機械が動くようになります。

ですがコーヒーというのも植物から取れる種であり、
工業製品ではありませんから、
厳密に言えば刻一刻と状態が変化しているわけです。
外気温にさらされれば豆の温度は変わりますし、
湿度によって水分量が変わり、
時間経過によって鮮度が変化し、
そもそも焙煎毎に同じ木から、同じ実から取れたものではなく
いくら同じ地区から取れたとはいえ
基本的には毎回違う種の集まりになります。

焙煎工程自体を全く同じにすれば全く同じ焙煎ができる
という事はそもそもあり得ないのであって、
近似値を取ることはできても、
一回の焙煎はあくまでその焙煎限りの焙煎でしかありえません。

焙煎がそうであれば、そのあとの工程である抽出も同じであり、
毎回毎回同じやり方をしたところで、
違う豆、違う焙煎後の日数、違う湿度などなど、
結果が同じであるという事はありえません。

ここで言っているのは
条件をそろえるという事が悪いという事ではなくて、
そもそも毎回違うものであるという事を理解してやるべきであるという事です。
もう一度言いますがコーヒーというのは、
自然にできた実から取れた種であって、
精製や焙煎を経ますがそれ以上何か加えたものでもなんでもなく、
常に同じものを期待されている工業製品ではないです。(インスタントがどうかはわかりません)

例えばスーパーで買ってきた6個入のみかんの味が似てるけど、
厳密には全部違うというような、
いつ買ってもいつも同じ味がするスナック菓子とは、
本質的には違うものであるという事を、
あくまで理解する必要があると思います。


だから焙煎や抽出は適当でいい、、という事はありません。
毎回違うという事は、毎回学びがあるという事です。

前回あの条件でやったらうまく行ったけど、
今回も同じような条件でやったらだいぶ変わった、、
という事は、あれが影響しているんだな、
だったら次回やるときはここを調整して、、
というような、
マニュアルが正しいと思い込んでいると、
本当は毎回違っているという事に気づくことができず、
それ以上の事が望めません。

そうではなくて、マニュアルを基準にして、
そこからどれだけ外れているか、
外れているならどこを調整すればいいのか、
という事を計るための試金石として役に立てるべきものであって、

マニュアルが絶対であると勘違いして、
ガチガチになってしまうと、
少し前の科学よろしくただの理想論、研究室内、あるいは空想上の理論として、
常に変わる現実に適応してみるとまったくの役に立たないという事が往々にしてあり得るので、
わかりやすいお話である原因と結果といった短絡的な考え方ではなく、
あくまで複雑系の世界観から
進化学や工学といったものの見方、
現実の物事からの経験というのを重要視して考えた方が良いと思います。

(それらの経験から集約、収束したものがマニュアルであるなら、
そもそもいつも条件が変わってしまうなら、マニュアルのみ同じにしてその他の違いを楽しむという事ももちろん考えられますがね!)


更に細かく言うと、
コーヒーが変わるという以前に、
人間の方の感じ方が常に一定ではないという問題もあります。

またコーヒーの焙煎、あるいは味覚において一般的に言われる二大要素として、
酸味と苦味があります。
焙煎を浅くすれば酸味が多く、苦味がない。
焙煎を深くすれば酸味は少なく、苦味が多い。

この二つは正直どちらも個人差が大きい様に思い、
個人の閾値や経験によって変化すると思われるため、

考えはじめるとそもそも何が正しいなどというのは、全く役に立つのか、
その豆の個性を引き出している焙煎、抽出というのは、
いったい誰が言っているのか、という所まで行ってしまいます。
(ワインにおいても著名な批評家のJ.R氏とR.P氏の好みの違いにより、あるワインの評価が大きく分かれる事もあります)

なので、あまりマニュアルというものに騙されず、
あくまでマニュアルから自身の好みというものを、
手間はかかりますが探し出すというのが、
コーヒーにおいて正しい選択になるという事ではないでしょうか。

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