マインドフルネスな行為としてのワイン、喫茶店におけるコーヒー、パイプスモーキング

現代というのはとかく誘惑が多いもので、
楽な方に楽な方に流れやすく、
気が付けばだらだらとyoutubeやamazonといったものを見たりして、
いわゆる「受動的」に何も考えず時間を過ごすという事が、
非常に増えてきたなと思う事があります。

こういった事ばかりしていると、
良く言われるのが集中力がなくなるといったことで、
食事をするときにも、お風呂に入ってる時も、
何かを「しながら」行為をすることで、
注意力が分散して、
食事を楽しめない、体を休められない
といったことになりやすいと言われます。

集中力に関して、
実際スマホなどから離れて(無人島など)
生活をすると、集中力などが向上するという事がわかっているそうです。
(すでにスマホ有りの生活で、下がっているという場合)

そうした中で、
詳しくはないのですが、特にappleのジョブズ氏などから、
マインドフルネスという事について
盛んに言われるようになってきたと思います。

禅における座禅ではないですが、
要は何かを考えるというよりは、
その行為自体を自覚するというような、

今そのこと、そのものに対して集中する

といったようなことです。

食事をするときは食事に集中する、
掃除をするときは掃除に集中する、
という本当は当たり前のことを、
当たり前のことのように行う事、
それが現代人にとって
どれだけ難しいか、
どれだけ乖離しているか。

それらを行うことによって、
より自由な発想や、
生きるというそのこと自体がより良くなる(ある種、生物的に不自然な現代のシステムにおいて、より自然な生き方ができるようになる)
という事が期待できるそうです。



個人的に色々趣味があるのですが、(今回は面倒なので音楽は省きます。)

ワイン
コーヒー
パイプスモーキング

を嗜んでいます。
振り返ってみると、
これらの行為は自分にとって

マインドフルネスな行為

であったのではないかと再確認しています。

ワインというのはただのお酒の一種ではありますが、
単に数千年という歴史だけでなく、
科学的にも非常に進んでいて、
世界中で造られ、
今や日本にいても数千どころか、数万の単位で、選べるお酒です。

同じ酒だ、大した違いなんてないだろう、
と思うでしょうが、この世界においては
小さな世界が非常に大きな違いになります。

ワインを飲むという時、
単に飲んだ時の味の違い、香りの違いだけでなく、
そのワイナリーの歴史や生い立ち、
ワインの年号、ワインがここまで運ばれるのにどういう経緯を経たか、
どういったシチュエーションで飲むかなど、
色々な条件が関わり、
多くの場合、同じ経験は二度とない
という前提で飲まれます。

そういった事から、
ワインを飲むという時、普通何かをしながら(もちろん食事やおしゃべりは別にして)という事は少なく、

ワインのそのものを楽しもうとする。

ワインを飲むという行為は、
味、香り、細かな違いや、そういったものに
集中しながら飲みます。
特にワインは値段が高いものもあり、
たった一本の時間のために
たくさんの選択肢の中から、
これぞというものを選び出して、
二度とこない経験を楽しもうという行為なので、
高い金や、時間をかけて選んだワインを
ないがしろにするというか、
そういったことは普通出来ないと思います。

ただの食事でもワインと一緒だと、(ワインに興味があればですが)
これ以上ないという楽しい時間、
正にその行為自体について集中しているマインドフルネスな時間である、
という風に言えるように思います。

よくビジネスパーソンや偉い人にワインを嗜む方が多いと言われたり、
単にビジネスツールとしての側面として考えるという事もあると思いますが、
マインドフルな行為としても認められるのではないかと思います。


ワインを知る前に好きになったのは
コーヒー
なのですが、自らを省みてみると、

コーヒーが好きというより、喫茶店で飲むコーヒーが好き

という事が言えると思います。
なぜカフェでなくて喫茶店であるのかという事なのですが、

カフェというのは多くの場合若い人が、
何かのついでにコーヒーを飲む場所、
例えば学生が勉強や、カップルで来る、パソコンをいじる、
など何かすることがあって、
ついでのコーヒーとしての場所として利用される場合が多いように思います。

それに対して喫茶店というのは、
何もしないでも、ただ一人でぼーっとするのを許してくれる場所です。
ただ何をするわけでもなく、コーヒーを飲む。
カフェだと怪しいですが、喫茶店なら気になりません。

コーヒーの味はもちろんおいしい方が良いですが、
個人的にコーヒーを飲むという行為をしに行くのは、
一人で何もしなくてもゆっくりできる喫茶店であり、
コーヒーを飲みに行くのではなく、
その時間を買いに行く。
という事が個人的には多い様な気がします。

わちゃわちゃしたカフェではなく、
静かーな喫茶店でコーヒーを飲むというのは、
コーヒーを飲むというその行為に一人で集中するのに適した場所で、
正直コーヒーそのものは目的ではなく、
集中できる場所、マインドフルネスな場所として、
喫茶店で飲むコーヒーというのが、
好きであるという理由なのではないかと思います。
(カフェと喫茶店の違いは私の偏見です)


またタバコというのは現代において敬遠されるものでありますが、
パイプスモーキング
においては単にニコチンを摂取するというのとは
違う意味合いがあるのではないかと思います。
(あくまでタバコを勧める記事ではありません)

そもそもタバコは吸わなくても問題ないですし、
けぶ臭いのは嫌いですし、
喫わないとイライラするわけでもないので
無くてもいいと思っています。

ですがパイプスモーキングが趣味として面白いなと思うのは、
呼吸が非常に大事である
という事です。

通常の紙巻きタバコと違ってパイプ用の葉は燃焼剤が入っておらず、
タバコを吸っているとき火がすぐ消えてしまうので、
呼吸で酸素を取り入れることで、燃焼を続けます。
呼吸が早すぎても過熱気味になりおいしくなく、
ゆっくり過ぎても火が消えてしまうため、
ゆっくりたっぷりと呼吸をコントロールできないとうまく吸えません。

道具も揃えないといけないですし、
時間も通常1時間は吸いきるのにかかります。
こちらも喫茶店でのコーヒーと同じく、
時間というものを使って楽しむ行為です。

イライラして5分休憩でタバコを吸うのではなく、
時間に余裕をもって吸うのがパイプスモーキングです。
(もちろん私の場合ですが)

1時間ほど呼吸を整えて、
ただふかふかと煙りを操っている時間というのは、
非常にリラックスでき、リフレッシュできる時間です。
後に残る口内のタバコ臭さと、時折ある頭痛、タバコを吸っても気にならない場所があるならば
毎日でもその時間を取りたいと思えます。

この時間というのも、
その行為自身に集中するという事に集約されるような気がします。


音楽もそうなのですが、
改めて考えてみると、その行為そのものではなく、
その行為をしている「時間」というものが重要なのであって、
それが目的で私における個人的な趣味というものが、
確立されているのではないのか、と思います。

何をしなくちゃいけない、あれをしてこれをしてという、
気付いたら時間に追われているのではなく、
自ら時間を使うという時間が増えればいいかなと思います。

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