個人のリスクと集団のリスク

先日、岡田斗司夫氏の動画を見ていて、これはと腑に落ちたのは、

日本というのは多くの場合仕事に対して完璧を求める

ということです。


氏の話していた内容が、アイドルの恋愛についてであって、
アイドルだって普通の人間ですから恋愛くらいする、
でもそれは基本的に日本においては許されない行為だということです。

例えば欧米だとどこのセレブが、王室が
誰と付き合ってる、離婚したなんて(興味はないですが)
割と大っぴらに放送されてたりしてるようです。

男女平等を掲げる世の中でアイドルだから恋愛してはいけないなんて話は、
なかなかない話なんではないでしょうか。

そしてそれに対する反論として、これはというのをネットから氏が引っ張ってくるのですが、

ミッキーは人前ではマスクを取らない

というものです。

つまりミッキー(アイドル)というのは人前に出ているときは、
ミッキー(アイドル)なのであって、
ミッキーを演じているということは、
公私混同してはいけない、という論です。

先に言った欧米なんかではこういうことはありえないと言い、
また氏はそこでゲームの話を出してきて、
ゲームのルールがあるから楽しいんであって、
オフサイドありのサッカーがダメなように、
(恋愛してはいけない疑似的な)ルールがあるから、楽しいんだと。

しかしゲームに参加して、身銭を切っていないのであれば、
それを批判する資格はないというような話をしていたと思います。

身銭を切るというのはナシーム・二コラス・タレブ氏の本でもあるように、
目には目を、歯には歯をではありませんが、
相手にリスクを負わせるなら、自分もリスクを背負わないと対等ではない、という話です。

何を言うのも自由ですが、
ゲームに参加してもいないのに、外からヤジを言ってもしょうがありません。
野球を見ていて「下手くそ!」と本当に言えるのは、
実際にその場に立ったことがある人が言える言葉であって、
本来やったこともない素人が口出しできることではありません。
ちなみに実際やったことがある人は、
その大変さ、苦労を知っているので多く口出しをしません。

アイドルの恋愛禁止と同等のリスクを負って初めて口出しできます。
もちろんそんなことアイドルからしたら知らんでしょうが。


仮にも日本というのは資本主義、契約社会であって、
単なる上下関係ではなく、平等な条件の労働が基本です。

会社は労働を得る代わりに、社員に一定の保護、給料を支払います。
社員は保護を得る代わりに、会社に一定の労働力を差し出します。

この条件がお互い対等である(と感じる)時、
契約が結ばれるのであって、
仮に給料が見合ってないと社員が考えれば会社に対して
賃上げ要求をしたり、辞めるという選択肢を持つことは自由です。

ですが日本において多くの場合、
会社雇う側が上であり、社員雇われる側というのは下の立場になり、
社員というのは社員自身のためではなく、
会社のために働くという形になりやすいです。

これは外に出ても(第三者から見ても)有効で、
スーパーやレストランで働いている人というのも、
一契約者として見られるのではなく、
スーパーやレストランに、下に雇われている人間であって、
そのスーパーやレストランの言い方を変えれば所有物的な見方がされます。

そのため一個人としてではなく、
そのスーパーやレストランの一部として見られてしまい、
個人の活動としては見られなくなります。

これは日本特有の中途半端な資本主義、
システム自体は個人主義であるにもかかわらず、
根本的には集団主義として育てられ生活しているというところから
生まれるんではないかと思います。

本来個人プレイヤーであるにもかかわらず、
集団主義的な側面としての社会の中で生活することで、
会社の中においてもあくまで個ではなく集団としてみなされ、
集団のルールが優先され、個に対して無理を利かせてしまいます。

そのため、日本において美徳とされるかどうかわかりませんが、
仕事に対してプロ根性というか、
システムとしての集団を優先させる力が働くことで、

いわゆる欧米と比較して過剰なサービスの提供を実現できている
といえるのではないでしょうか。

そして悪いことに、
「お客様は神様です」
という語が悪用されるように、

個人のルールと集団のルールをはき違えることで、
自身は自由度の高い個人のルールを適用しているにもかかわらず、
相手に対してはより厳しい集団のルールを課すことで、
自らがリスクを負うことなく相手に大きなリスクを課すこと
一般化とまではいかないにしても、
先のアイドルの話ではないですが日本において散見されるのではないでしょうか。

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