芸術や文化をつくるのにはお金と時間が必要


コーヒーとワインというのは非常に似ています、
最近ならコーヒーもテロワールが語られますし、
コーヒーのアロマホイールなどもつくられました。

例えばこのコーヒーはどこ農園のどの地区でつくられたコーヒー豆で、
品種は何々、精製方法(一部発酵のコントロール)はこうだ。
といったほとんどワインと変わらないくらいの比較や品質の向上が見られます。

しかしコーヒーが1600年前後から歴史に出てきて、
数百年間、お酒に代わる飲料として一日に何度も飲まれる嗜好品として、
いわゆる欧米において重宝されたにもかかわらず、
これほどまでに生産における地域差や品質が言われるようになったのは
ほんの数十年だと思われます。

ワインは長い昔からこの地域のものが格別だとか言われており、
約150年ほど前にはボルドーにおいて格付けもされています。

なぜワインはこれほど文化的に成熟したにもかかわらず、
コーヒーは現代まで待つ必要があったのかということです。


題名に書きましたが、これは
芸術や文化といったものの成熟には、お金と暇、時間というものが重要なんだと思います。

ワインの生産地はもともと、ヨーロッパであり、奴隷といった身分の違いを早くからわけることで、
生活そのものに必死になる必要はなく、
貴族階級にとってお金や時間というものが通常に比べ多かったと思われます。

良いものにお金と時間をかければ、さらに良くなるというのは一般的に考えてもその通りだと思われます。

ワインは実際生活に直接必要ないにも関わらず、(酒を飲んでも腹は膨れない)
古くから多くの人が生産していたと考えられ、
また品質によって貴族の飲む良いワイン、一般市民の飲むワインと分けられていたそうです。

貴族の飲むワインはもちろんいいブドウからできるでしょう、
良いワインをつくれば貴族はお金を出し、お金をもらえれば、さらに改良がくわえることも可能ではないでしょうか。
貴族趣味というものはあまり好ましいものではありませんが、
お金を使わないと作れないものというのもあるものです。

ピラミッドや大聖堂といった巨大建造物などはそれで、
一般市民のみが1万人だろうがいくら集まっても、この事業というのは起こりません。
一部の超お金持ちや大きな組織といったものが投資しなければ、現在にも残る文化的建造物などはほぼないのではないでしょうか。

絵画や音楽といったものも、基本的には貴族の趣味、
お金を持つ人達のおかげでこれほどまでに発展したと考えられるでしょう。

絵をかいてもご飯にはなりません。
音楽を聴いてもお腹はへる一方です。
ですが彼らには絵をかいてお金を投資してくれる人々がいた。
音楽のためにお金を出す人々がいたから、それを仕事にできたわけです。
宗教画や貴族の自画像など多くありますし、
音楽、現在クラシックと呼ばれるものも、貴族の人々が楽しんだようです。

茶というのは中国が発祥ですが、
日本において文化的に茶道として深化しました。
もちろんそこに出てくるのは、織田信長や豊臣秀吉といった時の権力者たちの保護があったからと考えられます。


なるほど、時の権力者なら、
ヨーロッパの権力者、貴族も好んでコーヒーを飲んだようです。
しかしなぜ、コーヒーは文化的に成熟できなかったか。

それはコーヒー生産地が遠く離れた植民地であり、
植民地にお金を投資しなかったからです。

基本的に文化的に成熟したものの多くは作り出す人々というのが、
同一民族というか、同一文化圏の人々です。

ワインはイタリア、フランスですし、茶も日本国内で作られます。
距離的にも近い同一文化であるからこそ、
投資することに多くのメリットがあり、リターンがあります。

紅茶は少し特殊で、コーヒーほど多くの生産地で栽培ができず、
イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けるほどの希少性や、
またイギリスの植民地であるインドでその生産管理を始めるなど、
一般から貴族階級に文化的な飲み物として好まれたために紅茶は多くの投資がされているようです。


なんにしても最近になって、コーヒーに文化的成熟が始まったと思われるということは、
最近になってコーヒー生産地に対して、投資、お金が使われるようになったからだという風に考えられます。

コーヒーの取引所はニューヨークだそうで、(アラビカ種)
アメリカが数十年前から特別なコーヒーに対して付加価値をつけ、
高値で取引するようになり、
初めてコーヒー生産者に対してお金がより多く行きわたり、
より高品質のコーヒーが作られるようになったのではないでしょうか。


難しいのは、
文化や芸術が成熟するのに、お金と時間(暇)が必要なように、
その成熟した文化、芸術を理解、許容するためには
同じようにその個人にお金と時間が必要だと思われるところです。

芸術自体は生きていくのに必要ないですから、
おいしくて高いコーヒーは必要ない、
安くてそこそこのコーヒーでいいという方は多いと思います。
安いワインがあるのになぜ高いワインを飲むのか?

音楽も漫画も映画もほぼタダでネットで済むのに、なぜお金を払う必要があるのか?

文化を作るのにも、それを維持するのにも、
お金や時間というある種の労力をそこに注ぎ続けなければ途絶えてしまう。

未来がどうかはわかりませんが、
仮に働かなくてもAIやロボットが生産を始めた場合、
時間とお金でもって、さらに文化というものが進むのでしょうか、
それとも効率化において、消えていくものなのでしょうか。

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