1146.生きている目的は、いい男にめぐり合うことでも、たくさんのモノを手に入れることでもないわ。
My purpose in life isn't to meet a good man or to have a lot of things.【
お馬鹿なcoucouさんの生きるヒント149.】
Stupid coucou's tips for living
1.自由詩84.「challenge my life」1. Free Verse 84. “Challenge my life”
人生は思うように行かないことが多いじゃあない?
Life often doesn't go as planned, does it?
未来にはきっと素敵なことが待っていると思っていたのに、
I thought that wonderful things were waiting for me in the future,
現実は悔しい思いや、
The reality is that it is frustrating,
つらい思いをたくさん味わう。
I experience a lot of hardship.
わたしは、そんな人たちを勇気づけられるようなピアノを弾ければいいと思っているのよ
I hope to play piano that will encourage people like that.
立派な家やうなるほどのお金があったって、
Even if you have a nice house and a lot of money,
家やお金が幸せをくれるわけじゃあないわ。
A house or money doesn't give you happiness.
生きている目的は、
The purpose of living is
いい男にめぐり合うことでも、
Even meeting a good man,
たくさんのモノを手に入れることでもない。
It's not about acquiring a lot of things.
今あるもので幸せを感じられること。
Being able to feel happy with what you have now.
運命を受け入れて、
Accept your fate,
与えられたものに満足できること。
Being content with what you've been given.
それが幸福というものじゃあないかしら。
I wonder if that's what happiness is.
他人と比べて、
Compared to others,
自分に足りないものばかりを探し出すようなことは、
I always try to find what I lack,
わざわざ自分を不幸にしているようなものよ。
It's like you're deliberately making yourself miserable.
人生において孤独は宝物よ。
Solitude is a treasure in life.
ひとりでいることは恐くはないし、
I'm not afraid to be alone,
ひとりでなきゃイヤなくらいよ。
I hate being alone.
そばに猫がいて、
There's a cat nearby,
大好きな木々のざわめきを感じるから。
Because I can feel the rustling of my favorite trees.
毎日ひたすら本を読むの。
I read books every day.
日本の本もドイツの本もたくさん読んだわ。
I read a lot of Japanese and German books.
そんな孤独の時間を持つと、
When you have that time of solitude,
疲れがすべて取れていく。
All tiredness disappears.
これ以上楽しいことはないわ。
It couldn't get any more fun than this.
フジ子・ヘミング67歳の出発でした。
Fujiko Hemming set off at the age of 67.
Ⓒフジ子・ヘミング Ⓒ英文 coucou
ⒸFujiko Hemming ⒸEnglish coucou
Ⓒお馬鹿なcoucouさんのひとりごと
Ⓒ Silly coucou's monologue
自由詩84.「challenge my life」
Free Verse 84. “Challenge my life”
Ⓒお馬鹿なcoucouさんのひとりごと 自由詩83.「美しき天国」 coucouさんバックナンバー192のより【解説文】詳しくは👇をお読みくださいね。
2.自分が間違っていたらどうするの?What if I'm wrong?
まず、「間違いって誰にでもあるんだ」と思える人と、思えない人がいるようだね。
間違いは誰にでもあると思えない人たちって、いつも自分は正しいと勝手に思い込んでいるひとたちのような気がする。
だけど、その人だって必ず間違いがあるよね。
神さまだって間違えるんだから。
だけど、よく考えて見ようよ、偉い人たち~
「もし、自分が間違えていたらどうするの?」
えっ?
それでも認めない?
みっともないだって?
それって、サイテーだよね。
それじゃあ、信頼関係も、人間関係も成り立たなくなるんだよ。
でもね、そんな人はたくさんいる~
これが大切なこと、仕事のことだったらどうするの?
働きさんたちのせいにして解決させるの?
〇書のせい?
会計担当者の記載漏れ?
それでことが終了するというの?
でもね、「不信感」しか残らないよね。
こんな偉い人って、お馬鹿なcoucouさんより、
間違いなく愚かで、お馬鹿だよね。
「心に余裕」のある人って、人の考えや意見を素直に聞き入れ、間違えればすぐさま上下関係なく謝れる。
こんな人の方が絶対に信頼されるよね。
誰が考えたって同じだよ。
そして、「心の余裕」のある人たちは、間違いを許せるし、人を許せる。
さらに責任は自分にあると、決して人のせいなんかしない~
ただ、そのような人って少ないことは事実だけどね。
「心の余裕」のない人たちって、間違いを許さない、すぐに感情的になるね、でもパターンはどこに行っても同じ気がする。
そう、絶対に自分には非がない、あったとしても絶対に認めない、すべて人のせい~
なんと寂しい人生なの?
でも、その寂しさすら感じていない気がする。
そう、「間違い」は誰にでもあるんだよ。
その間違いがあったとき、本当の信頼関係が生まれるのさ。
そう、その間違いを一緒になって直せばいいんだよ。
それも、「愛なんだ」から。
これじゃあ、リーダーシップは取れないよね。
だって、信頼がないんだもの。
これはね、親子も、夫婦も、恋人同士、友だち同士、同僚、仲間たち、みんな同じだよね。
「間違いなんて誰にでもある」と考えられればいいのさ。ああ、間違えました、ごめんなさい~で余程のことでない限りはその言葉で終わりだよね。
間違えたら、お互いで、間違えた部分を認めればいいだけなんだよね。
すると、すぐに間違えたことなんて遺恨も残さずに次のことをすればいいんだよ。
感情的になんてなる必要はないのさ~
2.それって、間違いじゃあないかもThat may not be a mistake.
「間違えた..」「間違えてない...」、こんな言い合いもよく耳にする。
別に仕事だけじゃあないよ。
親子だって、友だち同士だって、お互いに「間違えていない...」と平行線~
まったく終わりのない感情のぶつかり合い。
だけど、もしかするとね、「お互いが間違えていない」場合だってある気がする。
言い方の違い、考え方、受け取り方、捉え方の違いだってある。
悲しいことに、お互いに間違いがない場合だってある。
また、誰もが「間違いだ~」と決めつけていても、それって、もしかすると間違えていない場合だってあるよね。
567のとき、お馬鹿なcoucouさんは〇〇〇〇を打たなかった...。
みんなにも打たないでって、言い続けた。
その理由は科学的根拠があまりにもないし、焦らないでもう少し様子をみようと言い続けた...。
でも「赤信号、みんなで渡れば怖くない教」の方が圧倒的多数で、お馬鹿なcoucouさんは浮いてしまった...。
そして、
「…打たないで誰かにうつしたらどうするのか?」
「それって、おかしくない?」
「自分勝手...」
「失礼じゃあない?」
「みんな打つているんだよ?」
「国がそんな馬鹿な真似するわけない...」と、打たない人間が狂人扱い差別を受けた。
もちろん、感染した人はみんなから嫌われ差別を受けたよね。
今では考えられないけれど、町から追い出された人もいた。
ああ~coucouさんが間違いなんだね。
でも、我が家族たちには誰も打たせなかった...。
そして、本来は「予防」が目的だったのに、打っても感染し始めると「重症化を防ぐため」となり、若い人より「お年寄りの安全のために」とコロコロ変わり、5類相当となり風邪扱いになった。
すると、どうなの?
何が間違いで、何が正しかったの?
別にcoucouさんが正しいとは思わない。
1年目はそれだけ誰にもわからない「未知なるもの」だったからね。
でも、2年経ち、3年過ぎて誰も過ちも反省も、謝罪も、間違いも認めない...。
これって、狂っていない~
お馬鹿なcoucouさんはこれがきっかけで社会が、経済が壊れてしまった気がしている。だって、みんな自分を守るためだけの自己保身と、人のせい。
そして、誰も間違いを認めない。
これだけの死者と、副作用、後遺症で苦しんでいる人たちがいるのに、まだ科学的根拠を示さない。(もう、すでにデータは揃っているけれど公表はしない)。
まるで裏金の世界のようにこのまま闇に葬られてしまうんだね。
だから、間違いを認めない社会や○○家、〇師、専門家たちを信頼できなくなっていったのさ。
coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
しばらく、「間違い」をテーマにしてきたけれど、あと少しおつきあいくださいね。だってね、あまりにも酷すぎるんだもの~
間違いだらけのお馬鹿なcoucouさんはね、間違えたらすぐに認めることにした。だって、間違えたまま引きづって行けば、結果、自分も相手も得がないことがわかったからね。
むしろ、損ばかり。それに、間違えをそのまま放りっぱなしだとお互いに嫌な感情が残り続けてしまうからね。
だから、間違えたと思った瞬間に間違いを認めることにしたのさ。
もちろん、絶対に正しいと信じ込んでいたけれど、考えて見れば自分の方がおかしいかな?自分が間違っていないかな?って、自分に問いかけるんだ。
そして、少しでもモヤモヤしたなら、そのモヤモヤは素直に受け入れて「間違えた...」って謝るんだ。
例えば、右に行けばある、左に行けば目的のものがあるとする。
お馬鹿なcoucouさんは右だと思い込んでいるけれど、相手の人は左だという。
そのときに完全に目的としたものが右にある場合は、心の中ってモヤモヤしたりしないよね。
でも、もしかすると、その人が言うように左かもしれないと思うと一瞬に心の中がモヤモヤしてしまう、グラっく。
そんなときは言い切らない、言い張らない方がいいよね。
「あ~そう~coucouさんの間違いかもしれない...」っていうと、心の中のモヤモヤは晴れて来るよね。
そう、「自分が間違えているかもしれない...」って思うことって大事な気がする。だって、人も自分も、誰もが間違える場合があるんだもの。
どちらかが間違いを認めると、話は前向きに話が始まり、その場で簡単に修復して、人間関係が意外と上手くいく気がする。
間違いを認めたら自分の負けなんて不必要なプライドはお互いの信頼関係まですぐさま奪ってしまう。だけど、間違いを認めない人もたくさんいるけれど、そこで信頼関係も同時に失ってしまうんだよね。
いいじゃない、どっちが間違えても、どっちが正しくても。そんなことよりも認め合うことだよね~
愚かなcoucouさんはね、やっと、少しばかり大人になれた気がした~(笑)
遅すぎるけれどね~(笑)
本日も【お馬鹿なcoucouさんの間違い論】、ここまで読んでくれてありがとう~あと少しで終わります~おつきあいよろしくね~
では、また、あした~
文字数5,737文字
夢見るシャンソン人形 Poupée de cire, poupée de son
coucouさんのアーカイブス(過去作品)だよ、みてね~
coucouさんのお気に入りnoteの素敵なクリエイターさんたち~
coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~
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