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272.罪悪感ってね、そんなに悪いものじゃあないんだよ!大切なものだからね。

coucouさんです。
みなさま、ごきげんよう!

「271.幸せになるのが怖いんだ…。でも、しあわせになりたいんだ!」の続編ですので合わせて読んでくださいね。

coucouさんは子どもの頃から罪悪感を持ち苦しみ続けてきた…。
どうして、いつも罪悪感に悩まされ続けるのだろう、と何の答えもなく大人になり、さらに苛まれ続け、数十年以上、答えのないままの時を過ぎてしまった。
また、coucouさんだけでなく、周りの人たちも同じ何かしらの罪意識を感じて生きている。みんな悩んでいる…。
(当然、罪意識のない人、悩まない人もたくさんいるが)

coucouさんは答えのないまま、数十年間、いや半世紀物長い間、この罪悪感、罪意識を恨み、嫌い続けてきた。

でも、嫌うだけで何も解決しなかったんだ。

あるとき、coucouさんは物事を「あべこべ」に考えるようにした。
その理由はあまりにも、
「こうであるべきだ」
「ああでなければならない」という固定観念の塊だったので、
自らを疑いながら、嫌なこと、嫌いなこと、好まないこと、苦手なこと、無理だと思うこと、できそうにないこと、を「あべこべ」に考えるようにした。

「こうでなくていい」
「ああでなくてかまわない」
嫌いなことは好きなこと、
嫌なことは、嫌でない、
好まないことを好んでみる、
苦手だと思わない、
無理だと思わない、
できるかも、
そう考えてみることにした。

でも、それでも罪悪感は消えない…。

ただ、罪悪感はcoucouさんにとって当たり前のことなのだから、
注意しながら、静かに眺めるようになった。

毎日が罪悪感だらけなのだから、眺めがいはある。
そして、その一つひとつの罪悪感をノートに書いて比較、分析をした。

実際は、その「罪悪感ノート」のページは真っ黒になった…。

そして、その「罪悪感ノート」をつけるようになったら、
不思議なことにその罪悪感に好感が持てるようになったんだ。

つまり、もう一人のcoucouさんを発見したんだ。

もう一人のcoucouさんは、
その罪悪感というものを事前に、
「警告」「注意」「予防」してくれているように感じたんだ。

心の中のもやもやのすべては、
全部、大切なもう一人の自分からのメッセージだと信じるようになった。

それ以来、普通の人よりもだいぶ遅かったが、coucouさんはこの「罪悪感」がもう一人の自分なのだから、嫌わずに愛してみることにしたんだ。

罪悪感ってね、
そんなに悪いものじゃあないんだよ!
大切なものだからね。

この内容は、coucouさんの「罪悪感ノート」から生まれたものなんだ。


1.申し訳ないという罪意識


お金を借りると、誰もは「申し訳ない…」と、
お金を貰うと「申し訳ない…」と感じる。
お金は必要だから借りるのであって、
あまりにも、申し訳ないと思うなら借りなければ済むこと。

お金を貰うと「申し訳ない…」と感じるなら貰わなければ良いのだが、
そう簡単な事ではありませんね。

人にお金を上げる事には罪意識が働きませんが、
お金を借りたり、貰ったりすると申し訳ないと思う人が多い。

 

不思議な事ですが引け目となるのですね。

しかし、その引け目はどこから生まれるのでしょう?

本当に困っていてお金を借りた場合、
引け目よりも感謝となる。
(あとは約束通りに返せば良いのですから)
返す当てのないお金であれば、負の意識が働く。

何かの仕事をして対価としてお金をもらうのであれば、
これも感謝としてありがたいと思うが、
必要以上に貰いすぎたり、
儲けすぎたり、
何もしていない、
またはお金目当てだけで貰うお金には引け目が生まれる。

すると、さらに、異常に申し訳なくなる。

 

こうなると、自分を責めたり、
落ち込んでしまったり、心のバランスを失う場合もある。

その理由は嘘があるからかも。
それが罪意識(妄想)となってしまう。

 

罪意識や罪悪感が強すぎると、
人生は暗くつまらないものになる。

窮屈な自由のない生活になってしまう。
罪意識や罪悪感は常に自分を攻撃してしまう。
気が付かない場合は吐き気をもよおす人もいる。

自分が自分を攻撃するのだから、
毎日が恐怖心や怖れとの闘いになる。

何よりも必要以上のプレッシャーと、
必要以上のストレスによって神経が疲れ切ってしまう。
極度になれば夜も眠れなくなる場合があるね。

 

世の中には、このような罪悪感や罪意識がある人とない人、
又は少ない人に分ける事ができるが、
どのように解決すればよいのでしょう?

そのままでは「人生を楽しく生きる」ことができませんね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

 

2.罪悪感はどんな時に起るのか

どうして罪意識や罪悪感が起るのでしょう?

人によって個人差はあるものの、
罪悪感にはある共通点がある。

では、罪悪感とは何なのでしょう?
日々何気なく「罪悪感があるから…」「罪悪感を覚える…」という場合がありますね。このように自分を責めるときに出る言葉です。

 

例えば、落ちていた財布を拾って、
届けなければ罪悪感が起こります。
もしかすると落とした人は困っているかもしれない、
酷いことをしている、胸が苦しい、と思う罪悪感だ。

 

でも、こんな罪悪感のない人もいる。
つまり気にならない人達。
このような人は他人に嫌な思いを与え、
傷つけたとしても無神経を装っているのか気にならないように見える。
(本当は、内心びくびくと恐れているはずですが)

だが、「罪悪感」を持つことは一概にも悪いことではなく、
自分の犯した罪、犯しそうな罪に対して注意信号として知らせてくれるメッセージだと考えると必要な感情ともいえるかもね。

 

もし、世の中に「罪悪感」が無くなれば人は罪意識がなくなり、
悪いことが増え続けてしう恐れがある。
そのため「罪悪感」は、罪を抑制する働きがあり、
自らのセルフコントロールできるようになるため、
ある意味、「善い知らせ」というものかもしとれない。

また、「罪悪感」が発展すると、
いつまでも消えない場合もあり、
そのため常に罪悪感を抱き続け、
自分は駄目だと否定するようになってしまい、
最終的には自信喪失となる恐れもある。

©NPО japan copyright association Hiroaki


3.罪悪感の共通心理

「罪悪感の共通心理」としては、
まず、〈自分に自信がない人〉は罪悪感が働く。

自信がない=自己否定度が高いため罪悪感は強く表れる。
例えば仕事上でミスをしても、自信のある人はそれをプラスとして受け取り、そのミスに対して素直に受け入れ次には気をつけようと考えるが、自信のない人は、そのミスに対していつまでも引きずり続け、自分は駄目だと自己を否定してしまう。
さらに自分を責め、又は人のせいにしてしまう。

また、自信とは勝手に自分が、
「自信がある」
「自信がない」と決めつけているだけのものですね。

だから、勝手に自分に自信を持つことも必要かもしれませんね。

 

(1)周囲の評価が気になる


人の目を気にして生きるというのもとても辛い生き方の一つ。
でも、人の目を気にする生き方はストレスにもなるが、
常に罪悪感が生まれてしまう。

その理由は、失敗したらどうしょうか…。
笑われたらどうしょうか…と、
相手のことを考えすぎたり、
他人の目を意識し過ぎてしまうことで罪悪感となる。

 

(2)すべてを否定的に捉える


物事を否定的に捉える人は、
いつも罪悪感が強くて、
何かあれば相手から文句を言われるのではないか、
攻撃されるのではないか、
と不安が強くなります。

物事を悪い方、悪い方へと解釈しすぎるため必要以上のストレスになり、自信を失う。そして、自分のせい、もしくは人のせいとなり、そのために罪悪感が重くのしかかるってしまう。

 

(3)文句を言われることが怖い


文句をいったり、怒られたり、怒鳴られたりすると、
たとえ自分に誤りがなくとも、不安を感じたり罪悪感を常に持ってしまう。

文句を言われたり、怒られたり、怒鳴られたりすることは誰でも嫌な事だが、世の中にはそれでも怒られ馴れする人もいますね。

このようなタイプの人は、
何をいわれても、
罪悪を感じない、
失敗やミスも気にしない、
すべてが他人事で楽観的な人がいる。

このような人が良いというのではないが、
罪悪感を強く抱く人は、
ある部分だけは見習う必要があるかもしれませんね。

(4)耐える、我慢する

いつも何かを我慢する人、
いつも何かを耐えている人がいる。

自分が、自分だけが我慢すればいい、
耐えればいいんだ、とその場を収めようとする。

すると、自分の本当の心とは相反(偽る)しているわけだから、
常に罪悪感が生じてしまう。
これは罪悪感で物事を解決しょうとしても、
これでは何も解決がない。

©NPО japan copyright association Hiroaki


5.罪悪感を取り除く方法


常に罪悪感に縛られ続けると、
楽しい人生のはずが苦しく辛い人生に変わってしまう。
幸せであっても、不幸のどん底に陥る可能性がある。
そこで、罪悪感を取り除く方法がある。

(1)「ありがとう」「ごめんなさい」「よかったね」というスキルが必要


罪悪感は自分が勝手に作りだしている妄想にすぎない。

ある相手に対して何かしらの罪悪感があったとしても、
その相手は何も思っていない場合が多く、
大概は自分が、その相手に申し訳ないという罪意識が罪悪感になっているだけに過ぎないから。
そして、その罪悪感から解放されるためには次のスキルが必要になります。

 

例えば、相手が自分の為に何かをしてくれたとき、
「ありがとう」と感謝の言葉を素直に出せれば罪悪感は薄れる。
でも、その一言が言えないと罪悪感が残る可能性がある。

 

また、相手に何か失礼なことをした場合、
何も言えなければそれだけで罪悪感が生じる。
だから、失礼な事をした場合はすぐさま、
「ごめんなさい」と詫びる必要がある。

相手に何か良かったこと、
めでたいことや素晴らしいことがあったとき、
すぐさま「よかったね」「おめでとう」という言葉も同じだね。
その機会を逃すと罪悪感が残る場合がある。
ましてや、相手の良かったことに対して、
良く思えなかったり、
馬鹿にしたり、
ヤキモチや嫉妬が起きれば、
それだけで罪意識が生じる場合もある。

 

そのために「ありがとう」「ごめんなさい」「よかったね」「おめでとう」という言葉には素直なあたたかさや優しさがあり罪意識が残りませんね。

 

(2)素直で誠実な態度

罪悪感のほとんどは相手に素直な気持ちが伝わらないときに起る。
自分の意志や考えが素直に伝わっていれば罪悪感は起らない。
誠実な態度で言葉にするだけでこのスキルは生きるはず。

(3)迷惑なんて当たり前

人は誰もが他人に迷惑をかける。
おそらく誰にも迷惑をかけていないという人がいたとしたらそれは嘘でしょうね。
確かに自分が原因で相手に不快な思い、
嫌な思いを与えてしまう場合もある。

でも、迷惑をかけるのが加害者、
迷惑をかけられたものが被害者という意識があるが、
相手側の立場に立ってよく考えれば、
その迷惑は加害者も被害者もいないということがわかる。
だから、間違え、迷惑をかけたら「ごめんなさい」ですむもの。

(4)罪悪感を素直に受け入れる

罪悪感を完全になくすことは無理なことだが、
罪悪感を持つことは誰もが自然なことで、
むしろ注意信号として、
私たちに常に警告(注意)を与えてくれる
素晴らしい機能のあるものかもしれない。

だから、罪悪感を嫌うのではなく、
罪悪感が強いと思う人は、
思慮深く、相手のことを常に考えているから起る、
自然現象に近いもので、
それだけ繊細であると考えたら良いかもしれない。

罪意識を上手に減らすためにも、
素直に罪悪感を受け入れることによって、このスキルがお役に立つかもしれません。

みんな~
いつも、
読んでくれて、
おつきあいしてくれて、
ありがとう!

とても、とても、嬉しい~

また、明日ね~

今日も、素敵な一日を~




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