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226.才能があったってね、人に感動を与えることはできないんだよ。

1.「筆をくわえて綴った生命の記録」星野富弘


『神様がたった一度だけ

この腕を動かして下さるとしたら

母の肩をたたかせてもらおう。

風に揺れる

ペンペン草の実を見ていたら

そんな日が、本当に来るような気がした』

 

〈愛、深き淵より。[筆をくわえて綴った生命の記録]星野富弘著より〉


群馬県にあるみどり市立「富弘美術館」素敵でしたよ!


登山を愛し、器械体操をこよなく愛し、その魅力にとりつかれ、その一念で大学も体育科に進学。そして、夢が叶い体育の教師となった。
しかし、群馬県高崎市の倉賀中学校の教師となり24歳の6月17日、わずか2カ月ばかりで星野さんは教師生活を終える。

放課後の体育館。生徒たちの集まる中、跳馬の跳び込み前転から前方宙返りのお手本を見せたとき、不慮の事故で肩よりすべて麻痺という、あまりにも苛酷な障害を背負うことになった。

手も足もまったく動かず、当時は言葉も話せない。動かないだけではなく、感覚すら失ってしまった。

不治なるがゆえの絶望的な闘病生活を余儀なくされた。

そして、病院生活の中で新しい闘いが始まっていた。

しかし、生きる目的もなく、自ら死を考えることのみ。ただ生きながらえることの苦痛の日々は地獄に似ていた。

いつでも死んでいい、死ぬことは年老いた母を少しでも楽にさせること。つききりの母の看病に対して、死ぬことは、自分の成すべき親孝行のひとつかもしれない。これは、当時の星野さんのやさしさからくる心からの願いに似たもの。


「しかし、生きたい・・・・」


病院に駆け込んできた母の足には、田んぼの泥がこびりついていた。この姿は今でも鮮明に覚えているという。

「母にだけは迷惑や心配をかけたくはなかった・・・・」だから、「母ちゃん、しっかりしなければだめだよ・・・・」と念じ続けた。
頭の中は母のことだけでいっぱい。
おそらく母も富弘さんのことだけでいっぱいだっただろう。

父も母も貧乏だった。でも、なんてあたたかく育てられたのだろう。

それがこんなに簡単に終わってしまうのだろうか。富弘さんは、幼い頃の母との記憶を辿る。


「何もいらない、今までの日々が全部なくなってもいい。もう一度、もう一度だけ、あの頃の自分にもどしてほしい・・・・」と神に祈った。

「かぎりなくやさしい花々」星野富弘著 偕成社より


2.2年目の春


1972年、2年目の春。

ある友人が『道ありき』『光あるうちに』という本を二冊貨してくれた。
著者は三浦綾子さんで、その言葉の中に「生きるというのは権利ではなく義務です」「生きているのではなく生かされているのです・・・」。

富弘さんには、名前しか知らない作家だったが、この人もほとんどベットの上で、上を向いたまま13年間も病気と戦ってきた。
その人の言葉だからこそひとつひとつにうなずき感銘を受け、読みすすんでいるうちに光がさし込んでくるのである。

そして、三浦綾子さんの本の中の「ローマ人への手紙」(聖書の一節)の言葉と出合う。

「・・・そればかりではなく患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・・」という文だった。

この言葉が富弘さんの希望となる。1972年の夏のある日、寄せ書きを頼まれることになった。

もちろん手では書けない、しかし母を喜ばせてみたい。

そこでサインペンを口にくわえて母に手を借り、黒い点をつけるのがやっとだったが、何時間かかけて「富」という文字を書いた。
だが、首をもち上げただけで全身の力はすべて出しつくす、呼吸は乱れ、前歯は痛い、硬直した唇とよだれ。

「口でちゃんと字を書きたい!」こんなことで人が喜んでくれるなら、もっと書いてみたいという希望が湧いてきた。

しかし現実は、一文字はおろか一本の線すら書けず月日は過ぎていく。

だが、富弘さんは諦めなかった。口で字を書くことを諦めるのは、唯一の望みを棄てることであり、生きることさえ諦めることでもあるような気がしたという。

この時、神に祈った。

下手でもいいじゃあないか、どんなにのろくてもいいじゃあないか、誰だって初めての時はみんな同じ・・・・。

1973年3月、やっと念願の手紙が書けるようになった。一つの手紙に一週間もかかってしまうこともあるが、書ける喜びに浸っていた。5月に入って花の美しさを感じ、絵を描いてみようと思うようになった。

1979年2月、スケッチブックはいつの間にか十冊をこえていた。5月15日、初めての展覧会を開く。小さな展覧会としてひっそりと開催したが、人から人へ伝わり、新聞に大きく取り上げられ、テレビで放送され、多くの人が、富弘さんの絵や文字を見て感動を受けた。

5年間描きためた60枚の絵は、こうしてすべて富弘さんの手から離れていった。今では日本全国に広がっている。

アマゾン電子書籍「ありかせとう 私のいのち」星野富弘著より


3.才能とは執念

「才能とは執念である、才能とは集中力であり、積み重ねのくり返し・・・・」

才能があっても人に感動を与えることはできない。
才能があれば金持ちになれる訳でもない。
才能があったから絵を上手に描ける訳ではない。
才能があれば金メダルをとれたり、一流の歌手になれる訳ではない。
才能と成功は一切関係なく、才能は自分で生み出し、創るもの。

才能は生まれた時から特別な人に備わっている訳でもない。

人があらん限りの持てる力で一生懸命に成しとげたものであるならば、それがたとえ下手なものであっても人に感動を与えることができる。

星野富弘さんの場合は、体の不自由さとか、口で描いたことに驚くのではなく、その心の強さに感動を覚えてしまう。

生きるって本当に素晴らしい。

星野富弘さんの著書紹介

著書の紹介
新版「愛、深き淵より。」「風の旅」「星野富弘全詩集」「ありがとう私のいのち」「風の詩」「詩画とともに生きる」(ともに学研プラス)
「かぎりなくやさしい花々」「鈴の鳴る道」「速さのちがう時計」「あなたの手のひら」「花よりも小さく」「種蒔きもせず」「足で歩いた頃のこと」(ともに偕成社)
「山の向こうの美術館」(富弘美術館)
三浦綾子氏との対談「銀色のあしあと」日野原重明氏との対談「たった一度の人生だから」「星野富弘 ことばの雫」「いのちより大切なもの」「あの時から空がかわった」(ともに いのちのことば社)など
*英訳された著書は国内外の多くの人に読まれている。
(「愛、深き淵より。」「風の旅」「かぎりなくやさしい花々」「鈴の鳴る道」は、ミリオンセラー)
これらの本に発表されている作品は数多くの教科書に掲載され、また合唱曲集、歌曲集、CDにもなっている。

coucouです。みなさま、ごきげんはいかがですか?
coucouさんはもう十数年前でしょうか?

群馬県まで車で走り、星野富弘さんのおひざ元であるみどり市立「富弘美術館」に出向きました。
今までは本でしか見ていなかったのですが富弘さんの原画を一枚一枚見て帰りました。

coucouさんがとても驚いたのは、とても美しく、とても丁寧に、汚れ一つない絵の数々でした。

coucouさんが、手で描いてもそれだけの絵を描くことはできませんが、口で描くというのは至難の業です。

美術館の中にある映像には間違いなくゆっくりと、ゆっくりと口で描き続けていました。
もちろん、長時間筆を加えていれば顎や唇が痛くなります。

筆にはガーゼでしょうか生地がまかれており、まさに歯で加えて描くのです。管内では案内してくれたとが親切に説明をしてくれました。
ただ、平日のためかお客はcoucouさんの貸し切り状態のため数時間、遠慮なく堪能させてもらいました。

ああ、白が似合う…。

富弘さんの描いた絵のほとんどのバックは白地を生かし、絵が立体的となっており飛び出してくるような迫力です。

さらに会場全体が白のため、花々の色だけが目に入るという演出も素敵でした。

詩や言葉も素敵ですが、文字も素晴らしい。人の思いや心というのは、このようなパソコン文字では伝えられない、手描き文字の良さがあるのですね。

coucouさんの一番のお気に入り。
何度見ても、涙がとまりません…。

神様が たった一度だけ

この腕を動かして下さるとしたら
母の肩を たたかせてもらおう。
風に揺れる ぺんぺん草の実を 見ていたら
そんな日が
本当に
来るような気がした。

                    ( 星野 富弘 作 ・ぺんぺん草 )


ここまで、読んでくれて、とても感謝します。
また、あしたね!
ありがとう!






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