見出し画像

娯楽と抑圧

Z世代の僕が思うに娯楽が蔓延し過ぎていると感じる。スマホゲーム、Youtube, Instagram, Tik Tokを筆頭に無料で簡単に快楽が手に入る。ファストフードやアイドル等のエンタメも同じくだ。僕の周りの友達や家族の会話を聞いていると必ずこれらの話題が上がる。

僕はこれらが僕たちの不満や怒り、自分の本心を抑圧しているような気がするのだ。ここでは「発散」ではなく「抑圧」という表現を使わせていただきたい。現実からの「逃げ」というのであろうか。現実逃避をすることが悪いと言いたいのではない。ただあまりにも社会を動かしている側の都合がいいようになっていると思う。国民を無理やりこの社会構造に順応させるために娯楽という餌与えて僕らに「日常の辛さから逃げる」という選択をさせようとしている気がするのだ。もし餌を与えることを止めれば自己肯定感の低い言われるこの国で一体何人がこの世界に希望を持って生きていこうと思えるのだろうか。

娯楽を生み出すことは悪いことではない。それを仕事に立派に働いている方々がたくさんいるのは十分承知だ。しかし、もう十分過ぎるほど娯楽は生み出されているのではないかとも思う。僕たちに必要なのはありあまる娯楽に対し必要以上に依存しないゆとりのある生活ではないのだろうか。


話が少し逸れるが僕は乃木坂46の久保史緒里のブログが好きだ。彼女と僕が同い年であることと彼女の人柄に密かに親近感を抱いている。また、彼女が綴る文章から分かる価値観や考えの成熟さに共感すると同時に引き付けられている。彼女の言葉はどれも美しい言葉だが等身大で嘘くさくない。そしてそれらは自分を愛してくれるファンに寄り添おうとしている。文章というよりも話しかけてくれているように感じる。(ちなみに僕は乃木坂46、あるいは彼女のファンというわけではないです。それにも関わらず乃木坂のことや彼女のことを分かったかのような文面になってしまったことを先に謝罪します。すみません。)


あ、あとね、
今年は…ちゃんと生活も充実させたいな。
たくさんお料理したいし、
寝る前に温かい飲み物が飲みたいし、
ゆっくり湯船に浸かりたいし、
大好きなお友達と美味しいものを囲みたいし、
お気に入りのお店に通いたいし、
パンもたくさん焼きたいし、
録画リストの整理もしたいし、
洗濯機の音がなる原因も探りたいし、
そういうの、ちゃんと大切にしたい。
生活してるっていう実感が欲しい。
ぜいたくかな、
少しずつね。無理し過ぎずにね。
できる範囲でね。


僕がブログを読んでいてこの言葉に特に心を揺さぶられた。アイドルとして順調に階段を上りつつ多忙を極めるであろう彼女が求めているのが「生活しているという実感」だ。夢を見せる仕事をする彼女にとってきっとこの言葉は他者に伝えにくいある種の「愚痴」、「弱音」ではないかと僕には思えた。僕には彼女の言う生活している実感はあるだろうか。それを持つことがぜいたくだと思える感性、余裕を僕は持ち合わせているだろうか。


話は戻るがやはり僕たちに必要なのは仕事や日常に夢中になる余裕を持つことではないだろうか。僕たちはもう少し人間らしい生き方をしていいんじゃないか。足元を見る余裕さえあれば彼女が求めるような幸せは僕らの周りでそこら中に転がっていると思う。エンタメを提供する彼女を引き合いにだすのも変な話ではないかとは思ったがそういう結論になった。他国と競争するのはほどほどにして自国の自己分析をもっと深堀ってみてはどうだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?