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人生ではじめてライブに行ってきた

つい先日、人生ではじめてライブに行ってきた。

ずっと音楽は好きだけど直接ライブに行くのはなんか乗り気になれないなと思っていたけど、この人たちのライブだけは行かなきゃと、そう思って気付けば衝動的に動いていた。

はじめて歌声を聴いた日から2年ほどが過ぎ、いつしか生活の一部のような存在になっていたから、あと一年で解散するという発表はあまりにも突然で自分の身体に落とし込むのに幾らか時間を要した。
でも、それが未来に向けて進むべき道だと決めたその決断に、すごく納得したのはいつかそうなることを頭の何処かで感じていたし、わかっていたからだと思う。

だからこそ、この解散は前向きでは無いけど少なくとも後ろ向きには受け止めないようにしたいと思ったし、残り一年の活動をしっかり見守りたいし、今までなんとなく行く気がしていなかったライブにも行きたいと、ものすごく思った。

ライブ前日は眠れないかと思ったけど意外とすっと眠りにつき、当日はわりといつも通りの時間に起き、食事も至って普通に喉を通ったから、今思うと無意識に身体が体力を温存していたのかもしれない。

そしてせっかく行くなら何かカタチに残したいと思って、フィルムカメラで写真を撮ることにした。フィルムにした理由は単に最近フィルムカメラを始めたからというのもあるけど、フィルムならその時に観たものや気持ち、空気感を一生残せるんじゃ無いかと思ったから。


ライブがはじまり、あの音楽が聞こえてきた時、会場にいた人たち全員が立ち上がり、幕で覆われたステージに釘付けになった。
僕もその1人で、でもなんだかその空間がすごすぎてふわっとした気持ちでいた。

幕が降りはっきりと姿が見えた瞬間、本当に居たんだ。と感動のような安心のような不思議な気持ちになって涙が出そうな感情になった。
本当にいた。しかも目の前に存在している。やばい。
こういうとき、人間は「やばい」しか言えなくなる。
「やばい」は何十種類もの感情が詰まった言葉なのかもしれない。やばい。

一度はじまれば、時間が経つのはあまりにも早いもので、それはそれはものすごく濃いもので、まだまだ続いて欲しいと無意識に願っていた。
たった36枚しか撮れないフィルムカメラで一瞬一瞬を必死に大切に大切に切り取るような気持ちで撮り続けた。
やっぱり写真っていいなーと、論理とかじゃなく、感情で心の底から思えたし、写真にもちゃんと向き合いたいと、この空間は思わせてくれた。

ライブが終盤になり、暗くて確認できないいつ無くなるのかわからないフィルムを使うたびにまだまだ撮りたい、フィルムが無限だったらいいのに、と何度も思った。
ステージで歌う憧れの彼女たちも、この空間を埋め尽くす人たちも、そのみんなの感情も、すべてが美しくて眩しくて、残しておきたい、残しておかなきゃと思った。

アンコールの手拍子が鳴り響く時間は、すごく長くて期待と不安が心の中で暴れまわる不思議な時間だった。

いよいよ最後の一曲、最後までフィルムに残しておきたいとカメラを構えてシャッターを押すと、もう全てのフィルムを使い切ったあとだった。
ライブ前にミスって一枚無駄にしてさえいなければ…とも思ったけど、最後の一曲ぐらいもう何も考えずに身体中で楽しめと、写真の神様なのか音楽の神様なのかが言ってるのかもしれない、きっとそうだと根拠もなく思った。

その時間はあっという間の時間だった。
その短い時間で、撮ることも大切だけれど、撮らないことも同じぐらい大切なのだということに気付かされた。

はじまりには終わりがつきものなのだけど、それでもまだ終わってほしくないなと思ったし願っていた自分がいた。

でも終わりは来てしまう、次に向かうために。

またあの人たちに、この空間に、会いに行きたい。

行かなきゃ、とそう思った。



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