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「愛がなんだ!ってんだコノヤロウ!!!」第七話【長編小説】

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↓ 前回のおはなし。


キャンドルに照らされた島にポツンと佇んでいる。全てなくしちゃって二人で仲良く暮らしたい。

「ちょっとお洒落してんじゃん」
 私は彼の格好を見て言葉を投げた。
「前よか少しでも変わったって思われたんなら嬉しいや」ユキヨはそう言って笑ってみせた——。

 六本木のデート? 喧嘩? 別れの口論? 以来、しばらく連絡をとらなかった。
 あの後、家に帰ってムカついて、その辺にある物という物を壁に投げつけて、隣の部屋からドン! という音が聞こえるまで投げつけて。何なんだよあのやろう。って地団駄踏んで虚しくなって。私からも連絡とらなかったし、彼からも連絡はなかった。私は日常が甦った気分になって、次の日からフツーに仕事して生きよ。って思うに至った。
 でも、彼も普通に仕事をして、それなりに順調に事が運んでるみたいだった。
 パンフの件はどうやら上手くいったみたいだ。社内でも、新規事業の扱いをうまく熟したって高評で、高田さんは俺の目に狂いはなかった! って声高に言い回っていたけど、ユキヨの株は確実に上がった。
 彼は少し見た目も小綺麗になって、応対も丁寧になったって評判で、私と付き合ってる事が会社中の噂の的にされたすぐに言われていた「アレと付き合ってるってたまきも変わったよね」っていう陰口も、今ではすっかりなかったことのように静かになった。
 そんな彼からデートに誘われたのは数日前だった。たまきさん、今度時間が空いたらデートに行きませんか? ってLINE。私は明後日なら空いてるって返信した。やっぱりあのまま終わりって訳にはいかないよなって、そんな気持ちはあったから、複雑なきぶんで彼にそう返事すると、すぐに、俺もその日は暇なんで江ノ島でも行きませんか? って、誘われた。
 嘘だ。アイツの予定はなんとなく把握している。明後日は午前会議の、午後は打ち合わせの予定だったはず。
 二時に小田急の江ノ島駅前で待ち合わせで。って言われたけど、どうすんだろ? と思いながら、はい。わかりました。って素っ気なく返信した。私はすっぽかすつもりはなかった。彼はすっぽかすのか? 午後休とるのかな? 打ち合わせすっぽかすのかな? アイツの馬鹿さ加減には辟易する。本当無茶苦茶だなって思うと、フッて自然とわらけてしまう。

 彼は髪型をワックスとスプレーでしっかり固めて、NORTH FACEのダウンと黒のバギースラックス、光沢感のある軽く丸みがかった黒のプレーントゥシューズを履いていた。67点って感じ。
 背中はバックパックじゃなくて、レザートートかスクエアバッグだろって言いたくなったけど、彼は午前中まで仕事してただろうから、そこまで突っ込むのはやぼだなって思って言うのをやめた。
「たまちゃんおひさしぶり」と言って彼は丁寧に頭を下げた。
「LINEではたまきさん、って変えてたのに、いざ会うとたまちゃんって言い換えるんだね」と、いじわるに言ってみせると、彼は微笑んで「言われると思ってた」ってはにかんだ。
 私が、ん! って言って、手を差し出すと、彼は手を繋ぐの拒否して、えのすいに行こう! って歩き始めた。
 私は横に並んで歩いて「まいちゃんが勝手に歩き出すのって初めて見た気がする」って拗ねてみた。
「いっつも、たまちゃんが手をとって歩き出すから、今日くらいはね。今日は俺が誘ったのもあるし」
「じゃあ手ぐらいにぎれよ」って私は彼にそっぽ向きながら言うと、
「コレは俺の意地だから。」って彼は真っ直ぐ見て言った。
「意地ってなんだよ。あほらしい」
「いーじゃん。後で手を繋ぐの。その時までおあずけ」
「まいちゃんが決めんの?」
「決める」
「あっそ」
 私はそう言って手を揺らしながら歩いてる彼の手をはたいた。お前が決めんなよ、なんかムカつくな! って。私の態度を見て、まいちゃんは笑って、私の肩に自分の肩をぶつけてきた。不意をつかれてふらついた私は、彼の腕を握って支えにした。
 ムッとした表情で「今のわざとでしょ!」と、言うと「わざとだよ。たまちゃんにやられてばっかはやだもん」ってにやついて、私の表情を楽しんでいた。
 新江ノ島水族館までやってくるとチケット売り場に並ぼうと横について歩くと、
「チケット買ってくるからちょっとここで待ってて!」と言って、私をその場に置き去りにして駆けて行った。
 レディの扱いをわきまえろよ! って思うけど、まいちゃんのことだからなんか考えてんだろうなって。
 アイツの行動は予想しやすいけど、予想できる全てが私にとって信じられないくらい朴訥で無邪気で困ってしまう。
 チケット売り場から見える海の先には、江ノ島が橋にくくりつけられ揺蕩うように浮かんでいる。
 まいちゃんは私をあそこに連れてくんだろうな。江ノ島にある展望台がある庭園では、夜の五時からライトアップが行われる。
 江ノ島に行くって言われたから一応と思って調べたら、すぐにでてきたので、たぶん、カピバラワンコはここに連れて行く為に、午後休をとってでも時間を合わせたんだろう。
 その考え方は相変わらずだけど、私をチケット売り場に連れてかないのは賢いと思う。
 まいちゃんが、えのすいとライトアップがセットになったチケットを買ったら、私は売り場の人にこっちでお願いします、って言って水族館単体のチケットを指差すだろう。ギクシャクした雰囲気になってでも、早く帰る為にそんぐらいするつもりではいる。
 その点で私を売り場に連れて行かない選択は正しいけれど、それならウェブ予約とかしとけよ、とも思った。
 でも、渋るのかな……私は。先にネット予約とっといたから! って言われたらカチンとくるだろうから。めんどいな私……って、海風にさらされながら、つい客観的に考えてしまった。
まいちゃんは小走りでこっちに戻ってきて、ほら! これチケット! って言って、紙券を手渡してきた。私はそれを素直に受け取ると「今日は八時まで一緒にいるつもりなの?」って、目線を外しながら言った。
 彼は戸惑いなく、うん。そだよ。って言って、私の手をとった。
「いや、もう手を繋ぐんかい。ってか、つっこまないの? 夜まで一緒なの? って言ったことに対しては」
 私は呆れながら言うと、
「そりゃ当たり前でしょ。たまちゃんは俺のことお見通しなんだろうから。だから、ここで手を繋いで不意を突いたの」って、彼なりの意地悪な表情をして言ってみせた。
「ホントおばかだね。なんかチグハグな理屈で私をこまらせようとするなんて。おばかまいちゃんのおばか」と、言って、ふっ……て、つい鼻で笑った。
 その様子を見て「そうやって返してくれるの、たまちゃんらしくて好きだよ。だから、今日は俺がエスコートしていっぱいいぢわるするからね」と、言って、私の腕を引いてゲートに向かった。はぁ……と溜息をつきつつ、私は彼に引っ張られながら少し後ろをついて歩く。
 ゲートの係員さんにチケットを見せると、まいちゃんは私の手をギュッと握って、手を繋いで館内へ向かうエスカレーターを登る。「入り口にエスカレーターあると、これからテーマパーク始まります! って感じして、楽しくならない?」って、聞いてきた。
「私は食べられるお魚がいるとこ行きたいんですけど」って、意地悪に返してみると、まいちゃんは笑って「また、ひどすぎなこと言って。でも、帰りはお魚たべて帰ろっか?」
「いや、その返しもひどくない? お魚見てからお魚食べて帰ろっか?って」
「たしかにひどい」
「そゆとこ、まいちゃんのそゆとこ。詰めが甘いんだよ。そこらへんはサラッとこなれた感じで、ライトアップされた景色の中で君とディナーをしない? とか言ってみせてよ」
「そんな俺って想像できる?」
「できない」
「ならむりだよ。俺ってそんな口説き文句持ってないもん」
「だから、ぬぼーってしてるって言われんだからさ。もうちょっと、ワンナイトラヴをよぎらせる文句を考えてよ」
「それ言ったら、たまちゃん笑うでしょ」
「ぜってー笑う。腹抱えちゃうと思う」
「なら、俺の方法論は正しいということであーる」まいちゃんは、博士が自分の功績を自慢するみたいに胸を張って目を細めて口を曲げてみせた。
「ばかなまいちゃん。はいはい。根負けしたからさっさと行くよ」って言って、二人で館内に入る重いドアを開けた。

 少し歩くと少しずつ薄暗くなる館内。
 まいちゃんと手を繋ぎながら周りを見渡すと、クラゲの入ったグラスの展示や、大きな水槽と魚たちに囲まれる。淡い暖色と青いネオン色。深海に浸かって心音が落ち着くような空間は、日々の疲れや複雑さから解き放ってくれるようで、私はボンヤリとそれを眺めて心の中が無になっていた。自然と彼の手を握りこみ、肩を近づけた。まいちゃんの表情も私とおんなじようにボンヤリと揺らめく水槽の魚を目で追っている。
「久々に来たよ。水族館」私は何気なく言うと、まいちゃんは「俺は恋人と来るの初めてなんだ」と言った。「私が初めての恋人だからでしょ」と、返した。「たしかにそうだね。でも、たまちゃんと一緒にボンヤリと水槽を眺めてると、たまちゃんは俺の恋人なんだなって思うんだ。なんとなくね」
 カップルっぽい、はしゃぎ方はしてないけど、その気持ちはなんとなく理解できる気がした。彼の手を握る強さとか、肩と肩の距離感とか、黙っていてもおんなじことを考えてるような感覚が、恋人って言葉に結びつく。
 刹那的なデートじゃ得られない、ぷかぷかした浮遊感。私達は、顔を突き合わせて水槽の中を必死に泳ぐちっちゃな魚を見つめて黄昏る。かわいいって言ったり、あそこになんかいるよって指差したり。特に昂るわけでもなければ、その先を期待するわけでもない、何でもない時間。
 そこにまいちゃんがいる。
 彼の横顔を見ると、この間にぶつけた言葉の一つ一つに後悔が生まれた。なんで……あんなこと言っちゃったんだろうな……。
 ちょろちょろ動き回る甲殻類や、壁に張り付く貝類が収縮しながら必死になってほんの少しの距離を移動する様を眺める。まいちゃんはそれを見てかわいいねって言った。変わったこと言うな。って思ったけど、私もかわいいと思う。ほんの少しずつ動いてコツコツ順調に目的に向かっていく姿は生きてるんだなって感じる。
 同じ水槽の中には、もっと動きの早い魚だって沢山いて、我先にと泳ぎ回っている。それも可愛げはあるけど、私はそれに疲れてるんだなって思った。ゆっくりしたい。生きることにゆっくりしたい。刹那から離れて生きたい。彼は水槽の魚や甲殻類や貝や珊瑚や水草ひとつひとつに目をやって、慈しむような目をして眺めている。
 まいちゃん。まいちゃん。心の中で二回唱えてみた。彼に届け、なんて思わないけど、彼のそういうとこが好きだって。好きなんだって。
 私がどんな生き方をしていても、彼は慈しむように私を見てくれそうで、それに縋り付いてしまいそうで怖い。恐怖心が態度や暴言に変換されてしまう。でも、そんな私を真っ直ぐに見つめて、離れないと言ってみせた彼の姿は私を繋ぎ止めた。もう少しで自暴自棄になる私を。
 別に誰といたってしたって構わないのが人生。今でもそう思ってる。でも、時折寂しくなる。自分を知らない人に囲まれて、苦しみを表に出せなくて、わかりやすい人間関係を模索してしまって傷ついてしまう。カップルってこういうものでしょ。って。そんなものに囚われてしまう。
 まいちゃんは、私の手をゆっくり引きながら水槽を一つ一つ観て周る。私はそんな彼を観察していた。ボンヤリと水槽を眺める彼の姿をボンヤリと見つめる私。恋。たぶんちがうのかも。でも、他と比べるのことのできない掛け替えない時間は今ここに確かにあるのを実感した。黙って手を繋いで、時折、こんなとこに魚がいるよ! なんて言ってみたり。この魚は暗いとこにずっといるから夜行性なのかな? って言ってみたり。いつものデートならダラダラしてないで次行けよって思うシーンも、今日はこれでいいかって彼に合わせて相槌を打って、時折、微笑んでみたりして。
 誰もが羨むカップルではないかもしれないけど、私は心の空洞に彼の純粋さを注ぎ込んで満足しているのかもしれない。私、ちょっと心がやられてるなって思った。
 でも、彼と一緒に手を繋ぎながらベンチに座って、二階に跨った巨大な水槽を眺めてるこの時間が何よりも安らぎを与えてくれる気がした。彼に放った罵詈雑言の数々も、まいちゃんは全てなかったかのように、水槽を好き勝手に泳ぎ回るエイを指さして、あの水槽だったら俺はエイかな? なんて問いかける。私は「それなら私はサメがいいかな」って言うと、まいちゃんは「たまちゃんはウミガメじゃない? それかペンギンかも」って言った。「この水槽の中にどっちもいないじゃん」って返すと、「たまちゃんは水槽にとどまってるような子じゃないでしょ」って。どういう意味だよ。ってちょっと怒ると、枠にとらわれない自由さがたまちゃんのいいとこだからって小さな声で返した。
 喜んでいいのかな? って不思議に思ったけど、彼の肩に体を近づけて、ホントにバカみたいなこと言うよねまいちゃんって。って言いながら目を潤ませて笑った——。
 二人でベンチに腰掛け、ボンヤリとでっかい水槽を眺めていると、ダイバースーツを着た飼育員さんが魚達に餌をやりに水槽に潜ってきた。
 近くの看板に目をやると、餌やりタイム14:30〜、と書いてある。私が看板を指差すとまいちゃんは、こんなのあんだね。来る前に調べたつもりだったけど全然知らなかった、と驚いた。私も知らなかった。
 エサあげるだけだから、すっーって始まって、すっーって終わるのかな。なんてみていると、ダイバーさんは巨大水槽を自由に泳ぎ回り、エイやウツボ、サメやタイやカサゴ、他にもいろんな魚が周りに集まって、それぞれが順番を待ってみたり、ダイバーさんに撫でてもらえるのを待ち遠しそうにクルクル周って気を引いたりしてみたり。ゆっくりとその子達にエサをあげたり撫で回してみたり、表情筋があるわけじゃないのに、嬉しそうに水中を泳ぎ回っているようにみえるさかなたち。
 なぜなんだろう。でも、嬉しいんだろう。飼育員さんとの触れ合いはこの子達にとって愛情のやりとりなのかもしれない。
 ダイバーさんは水槽の中から、こちらに手を振ったり魚達を紹介するようにこちら側に誘導してみたり。そのやり取りが楽しそうで、温かく感じられて朗らかで。冷たい水槽の中がパァッと明るくなる様子に私はこころを包まれるような感覚がした。
 二階側から水槽を覗けるベンチに腰掛けていたから姿がよく見えてうつくしかったけれど、まいちゃんに「下に行こ! 近くで見たい!」って、立ち上がって、欄干に寄りかかって水槽を指さして言うと、「俺も近くでみたいとおもってた!」って言って、彼もベンチから立ち上がって、私の手をギュッと握って、半螺旋のスロープを二人で駆け降りた。
 ギュッとした感触が魚達の喜びとリンクしたように、私の心もギュッとにぎられて温かくなった。指と指が触れ合った時の淡いときめき。
 まいちゃんは私の手をとって楽しそうに水槽へ向かって前を歩く。その姿に愛情を感じた。
——あの触れ合った時の感覚は愛情? 一瞬でそんなことをおもうのかな? 頭にイメージが浮かんだ。
 彼の手は私のゆびにぶつかって、すぐにひっこめて私に向けて本をどうぞって手で促した。顔も見ないで、他人の私に。ふふ。馬鹿みたいだなっておもう。けど、まいちゃんらしいやって思う。彼の優しさは私にとって温かったんだ。あの時にゆびとゆびがぶつかって現れた温かさは、なんてことない彼のやさしさだったんだ。だから、あの時にドキッとしたんだ。優しいから。
 フッ。つまんね。私ってつまんないなって。優しくされたことがなさすぎたんだなって。でも、まいちゃんは優しい。それは知ってる。それは何度も何度も感じてきた。それが辛いのに、なぜかこうして手を繋ぎながらはしゃいでいる。なんでだろ。楽しい。笑えてくる。一緒にいるとわらえてくる。
 水槽の前で二人並んで魚達の戯れを見上げていると笑顔が溢れる。
 ダイバーさんがこちらに手を振ってくれて、二人で手を振り返してみたり。エサにパクッと食いついたときの仕草を指さしてはしゃいでみたり。恥ずかしそうに水槽の端っこで佇んでる大きな魚をみつけて、あーいう子もかわいいよねって慈しんでみたり。はしゃいだり、気を引いてみたり、怖気ていたり、照れるようになかなか近づけない子がいたり。水槽の中に社会があって、それを眺めて自分を見つめ直してるようだった。
 二人で手を繋いでここに居る。ちょっと話したり、凄いねって感嘆したり。些細なやり取り。ダイバーさんが最後にパフォーマンスしてこちらに手を振って上に帰っていくまで、ずっとそれを二人で見上げていた。まいちゃんの感情が手を伝って届いてくる気がした。私もまいちゃんに伝わるように心の中で彼の名前を呼んだ。
 二人でボンヤリしながら水槽の回廊を歩きながら見れてよかったねって言い合った。まいちゃんは写真撮らないの? って聞いたけど、なんか恥ずかしくなっちゃって、今はいいよ。手を繋いでゆっくり歩いてたいから。って返事して彼の手をつよくにぎった。
 クラゲがいっぱいいる水槽に囲まれたドーム型のホールのベンチに座って、ふわふわ水の中をゆらめくクラゲを目で追った。ちっちゃい。
 半球型のドームの天井がクラゲの紋様にデザインされていて、蒼白く薄暗く水槽の中が、少しだけ明るく照らされていて、ここに座っていると眠くなってくるくらいここちよかった。
 隣に座るまいちゃんに「ここにいると寝ちゃいそうだよ」って言うと、まいちゃんから返事がかえってこなくて、あれ? って彼を見ると、目を瞑ってすやすやしていた。
 私は笑って彼の肩に頭を乗せて目を瞑ってみた。そういや、まいちゃんの方が疲れてんだなって思い出して、私が肩に寄りかかって彼の疲れを吸い取ってあげれたらなって。そうやって目を瞑る。
 傍から見ると、とっても恥ずかしいカップルなんだろうな。二人揃ってこんなトコで眠ってなにしてんだ。って。
 まいちゃんはクラゲみたいだなって。私もクラゲみたいだ。小動物だってバカにしてたけど、彼は掴むことができなくて揺ら揺らしてて、でも、何故かそばに居てくれる。私も掴みどころがなくて揺蕩って色んなとこにふわふわ揺れて、何処かに消えてってしまう。
 波に揺られてひとっところに落ち着かない。そんな私の心の波に一緒に乗ってついて回る。まいちゃん。彼は私の心の波を想像して一緒に荒波に飲まれようとしてくれてるんだろうな。
 彼は撫で肩で頭をのっけにくかった。そのことにフッて笑ってしまうけど、良かった。それで。
 この人と一緒に揺蕩っていたいって。私も彼に影響されて馬鹿になっちゃったのかもしれない。それでもかまわない。初めてそう思った。一緒に先の見えない世界をゆらめいていこうって。無計画な情動に身を任せて、すやすやと眠る彼の横で私もすやすやとしてみせた。イルカショーまでは、まだ30分はあるから。それまでは彼を起さずこうしていようって決めて、彼の肩に身を預けて喧騒の中で疲れ果てた心のあぶくを洗い流す時間に身を委ねた——。

 彼の肩を小突いて起こすと「そろそろイルカショー始まっちゃうよ」って背中をさすった。
 彼は目を半開きで少しボンヤリして時計に目をやると「あっ。もうそんな時間? もしかして、俺寝てた?」と、少し寝ぼけたようにむにゃむにゃっと言った。
 私は「あほっぽく口開けてボッーっと寝てたよ」って揶揄うと、ほら! 行こ! って手を引っ張ってイルカショーのステージに向かった。
 ちょっと早めに席に座って、彼を椅子に座らせたまま、私は売店でチュロス二つとコーヒーを買いに向かって、席に戻るとまいちゃんにチュロスとコーヒーを手渡して「ほらそれ口に入れて眠気覚ましてねっ」って言って、またからかうように言ってみせた。彼の背中をポンと叩いてから、ほらはじまるよってステージを指差してまいちゃんに伝えた。
 飼育員さんの元気良いかけ声と、イルカが跳ね落ちて水が音を立て、キューと甲高い鳴き声が響く。観客の拍手に合わせて私達も拍手して声をあげながらキャハハってまいちゃんと一緒にはしゃぐ。
 私は涙ぐみながらまいちゃんにすごいねーって言って、まいちゃんは眠気が吹っ飛んだように合わせて凄いねっ! ってはしゃいで。時間はあっという間に過ぎていって、涙は頬をつたって、拍手してショーが終わって、イルカ達が帰っていく。私はまいちゃんに気づかれないように涙をぬぐうと、楽しかったねって言って、ほらほらゴミ片付けなきゃ! って席を立った。まいちゃんもそだね! っていって手を繋いで席を後にした。
 イルカショーを観るために、慌てて前を通り過ぎたアザラシとペンギンを見に、少し順路を戻った。
 アザラシとペンギンは氷山を模した簡単な仕切りに区切られて同じ展示スペースにいた。
「やっぱ、ペンギンじゃないよ」って私が言うと、
「なかなか似てると思うんだけどな」ってまいちゃんが言った。
どのへんが? って聞くと、パタパタ歩くとことか、って言いやがって彼の肩を殴った。まいちゃんはごめんごめん冗談! って笑うと、すいすいーって泳いでパタパタって歩くとこ、って言ったので、なんだよーってまた肩を叩いて笑った。
 そんな姿をアザラシは見ていたようで、こっちに向かって泳ぎながらクルクル回って、かまってのアピールをしていた。
「アザラシってまいちゃんに似てるかも。構ってアピールの感じ。あと、ポヨンとした感じ」
「ポヨンとした感じは余計でしょ」ってまいちゃんはつっこんで、「でも、アザラシなら許す。可愛いから」
「なら、ペンギンも許す。かわいいから」ってお互い言って、アザラシに向かって指をクルクルして、かまってあげるとアザラシは嬉しそうに、鼻先をこっちに向けて表情を柔らかくした。
 喜んでるといいねって言って、ペンギンを見ると飼育員さんが餌のお魚をあげていて、口を真上に上げたペンギンが列をなしていた。お腹いっぱいになると各々好きに泳いだり、どっかいったりして、好き勝手なペンギンたちに囲まれて、飼育員さんは大変そうだ。でも、愛らしい。
 私はそろそろ行こっか、って言うとまいちゃんの手を引っ張って次の展示に向かおうと促した。まいちゃんは名残惜しそうに「まいたまよさようならー」って言って、私に引っ張られながら後にした。
まいたまって何? って聞いたら、まいちゃんとたまちゃんでまいたま、っ言うから笑っちゃった。
 たしかに同じ空間に似た二人が居るってコトだとすれば、それはまいたまだなって。バカップルみたいなコト言うなよって笑って、彼の頭をぽんと叩いた。
 海沿いのオーシャンデッキから外に出ると、うねったスロープがあって下に降りられる。海風がちょっと寒くなってきた。売店に寄ったり、飲み物買ったりしてたから、いつの間にか16時を越えていた。夕日が沈み始めてきて薄暗くなってきた。肩を寄せ合って、なかなか寒いね! って二人して早歩きでスロープを降りると、そこにウミガメがいて、バシャバシャ優雅に浮かんでいた。
「また、たまちゃんいたね」って、まいちゃんが言う。
「ウミガメは優雅だからいいの。のーんびりしてて素敵。それよりも後ろにはまいちゃんがいるよ」
 私は、右後ろのガラスケージを指差すと、そこにカピバラがいた。
「ここにもいたんだ。知らなかった」まいちゃんは笑った。
 上野動物園を思い出す。
「ここの子は狭いから、ちょっと寂しそうにみえる」って私が言うと、
「でも、カピバラなら、ぬぼーってゆったり過ごすんじゃないかな? 小さいとか大きいとかあんまり考えないで、ボンヤリと海風に当たって幸せを感じてそう」って、まいちゃんは返した。
 私はそれを聞いて、また彼との日々を思い出して、なんか心が満たされた気分になった——。
 通り過ごした水槽や展示なんかを見ながらゆっくりと出口に向かった。
 館内から外に出ると、もう日が沈んで海が薄黒くなり、風も冷たくなっていた。ひゅーと音を立てて風が通り過ぎると思わず体が縮む。
 私はまいちゃんにひっつきながら、
「それじゃあ、こっから江ノ島いく? チケット買っちゃったんでしょ? いこいこ」って言って、行きの時のお返しのように、まいちゃんを先導して、江ノ島へ向かって歩き始めた。
「やっぱりお見通しだったか」って、まいちゃんは照れたけど「そんなのチケット見ればわかるよ。ここに書いてあるじゃん」って、チケットをちらっと見せつけると「あ! ホントだ! ってかそりゃそうだよね」って恥ずかしそうに言ってから、「ちょっと遅くまで付き合ってくれる?」って聞いてきた。
「イルミネーションの営業時間って夜の8時までなんだから、年頃の女の子には全然遅い時間じゃありませんからおっけーですよ」と、意地悪な顔して返すと、まいちゃんはふふって笑った。
 海風がちょっとひんやりして寒くなってきて、江ノ島までの大橋を気持ち早足になりながら二人で歩いた。
 お土産屋に目移りしながら、江ノ島の急坂を登る。エスカーまで辿り着くと、チケットみせてフリーパスの様にエスカレーターに飛び乗った。水族館とイルミネーションのパスには、エスカーの乗車も含まれてるんだなって。まいちゃんは私にこっちこっちと伝えながら展望台までの参道を二人で登っていった。途中でお参りしたり、エスカーに何度か乗りながら、ライトアップされた木々の間を抜けてイルミネーションされた展望台まで辿り着く。
 遠目に見ても凄くキラキラしてるし、庭園に入るまでの間もキラキラしてる。
 彼は「じゃあ行こっか」と言うと、私の前を歩いて、チケットを従業員さんに見せて進んだ。私もそれについていく。
 夕日が完全に沈んで、辺りは電灯と電飾の灯りだけになっていた。けれど、展望台周りの庭園のイルミネーションは夕景を輝かせて、キラキラな煌めきと、幻想的なブルーが調和した美しい空間になっていた。
 ハッとするほどの美しい光景に私もまいちゃんも驚いて、すごーいって唸ってしまった。デートだ。って感じ。
 庭園に、は花々とそれらを飾るように電飾が散りばめられ、中央通路には青い電飾がアーチ状に備え付けられていて、よく見ると蝶々が舞っているようにデザインされている。
 二人はふぁーとか、ふぇーとか、声にならない声でポワンとしながら歩いた。
 凄く綺麗で、こんなん付き合う前に来たら相手の事を間違っても好きになっちゃうよってくらい美しく幻想的だった。
 私もまいちゃんも、何話したのか覚えてないくらいボッーっと見惚れながら、キラキラを歩いて廻った。
 お腹へったね。まいちゃんがそう言うと、私は、うん。へったね。って、ボンヤリ返して、展望台下にあるレストランのテラス席でご飯を食べる事にした。
 テラス席の中央にランタンが置かれていて、周りはライトアップで幻想的で、ぽっーとしながらフレンチプレートを二人で食べた。ちょっと寒かったから人もまばらで、それもあって二人でボンヤリと幻想的な景色の中でフワフワした気分でご飯を食べた。
 ちょっと素敵すぎて二人で笑っちゃって、
「まいちゃん。とんでもないとこに来ちゃったね」なんて言い合った。
 普段なら寒いからパス。とか言って、冬の江ノ島なんて断り続けてきたから、こんな所があるなんて知らなくて、まいちゃんの事を少し見直して、自分ももうちょっと色々知った方がいいなと思い直した。
まいちゃんは「思ってたよりも素敵空間すぎて、ちょっと引いちゃったよ」ってテンション高く言っていた。
 引いてんだか、テンション上がったんだか、どっちだよ! って思ったけど、私もそんな感じだった。
 まいちゃんとここに居るのが信じられないくらい素敵だった。
 展望台に登った。海岸沿いの夜景がハッキリ見えて胸がスッとする。
 私とまいちゃんは手を繋いで、肩と肩を近づけながら黙って夜景を眺めていた。頂上の展望デッキは風が冷たくて、ギュッと彼の腕に手を回した。彼の顔を時折見ながら夜景に目をやる。何話したかお互い忘れちゃってたと思う。私の心はこの一日で決まった。
 展望台の頂上で彼の横顔を見ながら、彼の手をつよくつよく握った。ライトアップは相変わらずキラキラと美しく輝いていた——。


オレの寂しいって何なんだろう。

 四人で散々飲んで歌ってを繰り返した。
 オレはぐでとソファに横たわって、もうダメだーって言葉を繰り返して、あすかは、まだまだへたるなー! って元気づいている。
 ユキヨはトウリにお酒を乾杯させられ続けてぐでっていて、トウリはそんなユキヨを見て楽しそうに、からかって弄んでいる。
 まぁーたカオスに逆戻りかよ。
 まぁオレもユキヨとあすかと歌いまくって、トウリは手拍子で散々煽って、それに釣られて益々歌いまくって……。
 オレが潰れるって中々ないと思うんだけど、と我ながらに思い、あすかが益々元気になっていくのを見て引いていた。コイツはとんでもない化け物なんじゃないか? って。
あすかが一人で歌いまくって、ユキヨがトウリに絡まれ始めて助けを求め始めた頃に、オレは「もうそろそろおしまいにしていいんじゃねーの!」って、あすかの激唱を掻き消す声のボリュームで言った。
 あすかが、「えっー? ちょっとつまんないよぉー」って、言って続けようとするから「いや、周り見ろよ。トウリちゃんも酔って絡んでんだから、さすがにお開きだろ!」トウリはユキヨに絡みつくようにベタつき始めてたので、そろそろ止めないとマズい。
「うーん。しょうがないなぁ。じゃあこれ歌ったらカラオケはやめにしまーす」そう言って曲の途中でも構わず歌い続けた。
 オレは、こりゃだめだと思って、テーブルの物を片して、トウリとユキヨのとこに行って二人を引き剥がす。
 イッちゃんいいとこなのにーってトウリが絡むから、わかったから絡むならオレに絡めよって腕を差し出して、イッちゃんさすが男前ー! ってトウリはその腕に絡みついた。
 ハァ……って溜息つきながら、ユキヨにテーブルを片付けるように促すと、ホラホラあすかさん、そろそろ帰りますよって言いながらユキヨはテーブルを片付けを始めた。
 あすかは、ユキヨくん歌おうよー! ってゴネたが、ユキヨは、明日の予定覚えてます? 朝から打ち合わせですよ。って返すと、さすがにあすかも黙った。
 そっか。二人は新しい仕事に取り掛かってるとかって言ってたっけ? 意外と親密な関係になってんだなと気づいた。
 あすかはテンション高く歌いきって、んーって伸びをして、じゃあそろそろ帰りますよってユキヨが声をかけると、
「ちょっとさ。最後に四人でお話しない?」
って声をかけた。みんな今更? って顔をして、あすかも絡み酒に入ったのかと思って、片付けを続けたが、
「ちょっと結構真面目な話がしたいんだって。さっきまでイチカちゃんの話だったでしょ。でも、こっからはユキヨくんの話がしたいんだよ」って言い始めた。
 ユキヨはキョトンとしたけど、オレとトウリは何となく意味を理解して、あすかの次の言葉を待った。トウリはオレの腕から手を離して、しゃんとソファに腰掛けた。ユキヨは突然の変な空気に戸惑っていた。
「ユキヨくんさ。単刀直入に聞いちゃうけど、たまきちゃんとこれからも付き合っていくの? 彼女でホントいいの?」と、言った。
 ユキヨは、は? って顔をしたが、三人は真剣な顔でユキヨの言葉を待っていた。
「ぶっちゃけさ。ユキヨくん遊ばれてるよ。実はたまきちゃんとも仲良くさせてもらってるから、殊更悪く言いたくはないんだけどさ」と言うと、ユキヨは驚いた。
「あすかさんってどんだけ知り合いいるんですか?」って奇獣を見る様な目で、あすかをみていた。
「私は顔が広いのです」えっへんって感じ言うと、
「彼女ってキミの他に男が三人いるからね。キミは四番目ってコトになるけど大丈夫?」と、サラッと口にした。
 オレは「は? 四番目? なんだそれ! 無茶苦茶じゃん。そんな女だったのかよ!」と、仰天して怒鳴った。トウリも流石に……って感じに引いていた。
 あすかは、ホント大丈夫? ってもう一度問うと、ユキヨは残ったサワーに口をつけながら、
「はい。知ってますよ。その辺は大丈夫です」って、サラリと返した。
 コイツ頭がおかしくなったのか?とも、思ったけど、ユキヨは至って普通の表情をしている。
 あすかもそれを聞いて意外そうな表情はしてなかった。
「社内で噂になってますし。誰とどうのーっての伝え聞こえてくるから。未駒さんって、そもそもそういう人だったってのもありますし、まぁその辺は知りたくなくても聞こえてくるし、今は特に何も思ってないですかね」って言った。
 オレもトウリもその言葉に引いていた。わけわからん奇獣が此処にも居たって感じに。
「オマエホントにそれでいいのかよ! 三人だぞ! さんにん! それで四番目だって言われて悔しさとかねぇのかよ!」オレは昂ってガツンとテーブルを叩きながら言った。
「んー。でも、この間、社内でたまきさんと噂になってるって男の人数を数えたら合計で十三人って事になったから、それよかかなりマシだなって。あすかさんが言ってるなら、その辺の噂より、だいぶ信憑性あるはずだからさ」ユキヨは表情を変えずに言ってみせる。
 は? マジでオマエなんなんだ? って顔しながらユキヨに呆れ顔を放った。トウリもおんなじ様に呆れていた。
「ふーん。じゃあ、ユキヨくんはそもそも知ってて付き合ってたって事だったんだ。何があってもしょうがない的な?」
 あすかは話を纏める様に冷静に言うと、ユキヨは「はい。知ってました。というか、知らない方がおかしいってくらい派手な交友関係でしたし。未駒さんって」
 しれっと言うので、更に呆れた。何考えてんだ? 彼女は遊び人で、現在進行形で付き合ってる奴がいて、オマエはその一番下に気まぐれで付け加えられたってのに、何でそんなふつーにしてられんだ? って。でも、コイツはそれを知ってて、半年以上も付き合ってたことになる。ホント何考えてんのかわからねぇ。
「たまきちゃんは悪い子ではないと思うけど、アレは自分を見失ってる感じがするよ。誰でもいい。ダレカタスケテー! ってね。でも、彼女は誰でもいいって選んでないの。肩で風切って街を闊歩する王子様を探してて、手当たり次第に爽やかを求めてる。そこに偶々キミが加わった。それを理解してキミは彼女と付き合ってる。その意味を理解してる?」
 あすかはオレとトウリを置いてけぼりにして、淡々と話を進めていく。至って冷静に真剣な眼差しでユキヨの目を見て言葉を選んでいた。
「意味ですか。わからないような、わかるような、わからないような。ホントに偶々です。俺が勝手に好きになっちゃったんです。本屋で同じ本を手に取ろうとした時に、特別な瞬間だって思っちゃったんです。だから、一生懸命に付き合ってるだけです。どうせ、四番目なのはわかってますから。でも、いいんです。自分が必死に思いを伝えて、それでダメならしょうがないって事ですから」
 オレはその言葉一つ一つにムカついて、
「オマエなぁ! そんなんだから弄ばれてポイってされんだよ! そもそもムカつけよ! 何だよ! わかってますから。って態度! オマエ、自分がコケにされてムカつかねぇのか? 嗚呼?」
 ユキヨにガンつけて唾飛ばした。でも、ユキヨはオレを力強く見つめて、
「そりゃ俺だってムカつくよ。四番目? は? ふざけんな? って思ってるよ! でもな! 俺は飛びっきりに何かに長けてる訳でもないし、その瞬間までフツーに生きてたダメダメボーイなんだよ。だから、じっと我慢してんだ。ずっとムカつきながら。会う度に何かあったな? とか、何か言われたんだな? とか、その穴埋めに付き合わされてんだな? とかさ。勘づくわ! さすがに! でも、ソイツらが雑に扱ったせいで、未駒さんが傷付くんなら、傷付いた時に側に居てあげるのが俺でありたいって。それが俺の強さなんだよ。未駒さんの良い部分は沢山知ってる。付き合ってから知って、付き合う前から知ってる事もある。だから、彼女が苦しんだり辛い顔したりするのを見てると悲しくなる。今までのと俺は彼女の横に居る権利すら無かったんだ。でも、今は横に居られる。それなら今はずっと横に居てやる! 俺は舐められても蔑まれても横に居てやる! それが俺なんだ! わかったか!」
 ユキヨは声を荒げて言い切った。真っ直ぐに歪んだセリフを吐いてるコイツに気圧された。そんな事は今までなくて、言葉が出なくなってしまった。
 あすかはゆっくりとした口調で、
「でもさ。たまきちゃんが別れたいって言ったらどうするの? 重いとか、めんどくさいとか、気持ち悪いとか、まぁ色々言い訳して離れられるんだろうけど、そんな時にキミはどうするつもり?」
「でも、まだ別れたい、って言葉は聞いてないですから。だから、横に居て手を握って絶対離すもんか! って思って、ふざけたりおどけたりしてやります。周りのことなんかどーーだっていいんです。馬鹿だの阿呆だの言われたって、手を繋ぐ権利が残ってて、横で話できる時間があれば、俺はまだ戦えますから。一生ついて回ってやります。モウヤダ、キエロ、って言われるまでは彼女を離す気はないですから」
 ユキヨはそんなとんでもないことを平気で言ってのけた。オレとトウリは絶句してた。
 何がコイツを突き動かすのかよくわからなかった。そんなにも好きなのか? それともロマンに酔いしれた馬鹿なのか? 明らかに終わった恋愛観を堂々と披露して何食わぬ顔している。オレにはよくわからん。トウリも同じ気持ちだろう。何で、あすかはコイツの話を飲み込めるんだろうか?
 あすかは眉一つ動かさずに、
「なら、キミにチャンスをあげようかなって思うよ。私がカミサマならね。ワンコクンがとっておきの決意表明をしてくれたんだ。それに対してなんにも返さない訳にはいかないでしょ。多分、彼女は近いうちにキミに決断を迫る筈だ。自分の内面をぶち撒けて別れるかをオマエが決めろ! って。その時にキミが何を言うか、ワタシは知りたいんだ。愚直で阿呆なキミの言葉が彼女の荒んだ心にどう響くか? それに興味があるんだよ。だから、ちょっとだけ手伝ってあげる。まぁ全てはキミ次第だけどね」
 何の話をしてるのかよくわからなかったけれど、ユキヨとあすかは真剣な眼差しで会話を成立させている。
「俺は、俺のやれることをを行うまでです。それで上手くいかなかったんならしょうがない。それ以降の事なんか一切考えてませんから。ただ向き合うだけです。」
 それを聞くと、あすかは晴れやかな表情になって、ニコッと笑い、軽く伸びをすると、
「まぁ、ダメだった時はワンコを拾ってくれる子は沢山いるよ。それに、此処にいる三人以外にもキミを思ってる人はいるからね。だから、心配せずに突っ走ってこい!」
 ユキヨはキョトンとして「そんな心配してないですし、拾ってもらおうなんて考えてもないですよ。一日くらいスーンってなって、忘れてやるぞ! って努力しますから」なんて事を言った。
 三人は呆れ顔して、ホント馬鹿だねえって合わせる様に言った。
 あすかは「愛がなんだって気持ちがキミを突き動かすなら、その通り真っ直ぐ進んで、第四の壁をぶち壊してやってね」
 そう言ってユキヨの肩をつついた。
「あと、イチカちゃんはタカシくんだっけ?
あの子の事を大事にしなよ。これは余計なおせっかい。でも、恋愛ってそういうもんよ。自分を見てくれる人って少ないんだから」
 あすかは急に話をオレに振って微笑んだ。
 何で急にとばっちり受けなきゃなんねーんだよ! って怒ると、ごめんごめん。これは言っとかなきゃいけないやつなの。って笑って返した。
 トウリはユキヨを見つめたまま黙っていた。オレもトウリの気持ちが何となく分かった。ユキヨって男が何なのか理解できて、そのせいでとても寂しい気分になる。その思いはオレも一緒だったから。
 トウリが「それじゃ片付けて帰ろっか」と、言って微笑むと、皆んなで一斉に動き出して、散らばった鞄やら飲みかけのグラスやらを掻き集めた。
 談笑しながら部屋を出て、フロントで会計をすると、思ってた倍以上の金額になって青ざめた。さすがにここは折半しようって出し合って店を出ると、夜風で体が縮んだ。
 いつもならこのまま二次会だー! って騒ぐ係のオレだけど、今日はそんな気分になれなかった。他の三人もそんな感じでお開きって流れになるんだろう。
 オレは三人に「オレはこの後予定あっから今日はここで!」って言って、みんなと逆方向に歩き出した。
 あすかは、また飲もうねー! って手を振って、トウリは、まだ完全に許してないからね! 今度また話し合おうね! って。ユキヨはまた今度な、って笑顔で手を振った。
 オレは一瞥すると、背中を押す様に吹き上がる風に身を縮めながらポッケからスマホを取り出すと、タカシに今日は悪かったな。もし良かったからこれから一緒に飲まないか? って誘いの連絡を入れた。


愛がなんだってんだ。コノヤロウ!

 すっかり暗くなって人気も少なくなった江ノ島の階段を二人で降っていく。
 うねりながら街並みや海岸沿いが眺めるけれど、真っ暗で遠くにポツポツとつく灯りと私達を照らす電灯だけが、この黒い海に囲まれた島の道標だった。まいちゃんの手を握って、階段をゆっくり降りながら、坂を降りながら、散歩するみたいに目線を景色にやりながら、あんまり喋らないで二人で夜道を下っていった。
 辺りが暗くなればなるほど、まいちゃんが側にいることで安心できる気がして、そんなに怖くも辛くもなかった。ゴツゴツした床石がパンプスだと痛いんだけど、その度に彼の手をにぎって彼に痛みを送ってみたりした。彼は私の顔を見ると心配そうにしながら、肩を近づけて、私が身を預けることを許してくれた。度々彼の腕を掴みながら、やっぱりこの靴でくるんじゃなかった! って駄々を捏ねてみると、まいちゃんはこんなに歩くって思ってなかったから伝えとくべきだったね。ごめんごめん。って謝った。
 私はちょっとどうでもよかった。こうやってくだらないやり取りをずっと続けていたくて先延ばしにしてる感じに、駄々を捏ねて困らせたかっただけだから。独りになるのが怖かった。こういう時に縋り付いて、一緒にいたい。とかって言うと、その通りに朝までいてくれる男が私には沢山いる。けれど、寂しかった。何故かはわかってた。
 まいちゃんはどうせ、一緒にいたいとか言っても、テンパってあたふたして結局、何もなく帰るタイプなんだろうな。だから、ちょっと意地悪して揶揄って時間を稼ぎたかった。まいちゃんが経験不足だからそうなるって訳じゃないんだろうな。
 私は夜の深く黒い海の先を想像しながら、そんな事を思った。私の孤独は黒い海の先みたいだ。まいちゃんは私が見てる黒を一緒に見ようとする。たぶん。気づいてる。だから——。
 大橋を渡る時には今日一番の冷たい海風が吹いて彼の腕に力強く抱きついた。まいちゃんも私に身を委ねて、体を寄せ合った。寒いね! って。そのやり取りで充分だった。

 九時ちょっとの小田急線のホームには、人がほとんどいなかった。閑散として、上りと下りの双方は、がらんどうとしていて、駅舎の隙間から雲一つない星空が覗いている。私は顔を空にやって、ふふって笑いながらそれを見つめていた。まいちゃんとは今日でおしまい? それともまだ続く? 不可思議な関係。そう思ってる。
 彼は私を知ってるようで知らない。こういう時に手を引いてくれないと別れるんだ。でも、こういう時に手を引っ張られると普通の男になっちゃうんだ。特別じゃなくなっちゃうの。だから、彼の顔を見るのが辛かった。
 空を見上げて、んーって伸びをして、彼の顔を想像する。たぶん、まいちゃんは私の気持ちを何となく想像してるんだろう。動物園にいたパンダのように頭をくしゃくしゃってやって忘れようとする。それが今なんじゃないかって。彼につなぎとめてほしい。そんな空想を頭で描きながら伸びをして、電車来るまでの時間を埋めようとしてる。
 まいちゃんに何をして欲しいのかなんてよくわからない。今日で、さよならばいばいって言ってもいいのかもしれない。大事だから。この関係が満たされちゃったから。だから……——。
 そこまで思った時に、彼は一緒に座ってたベンチをいきなり立ち上がって、
「俺さ! あなたの事が……! 未駒さんの事が! たまちゃんの事が好きなんだよ! だから、俺を見てほしいって思って……! 辛くなるから……こっちを、こっちを一瞬でもチラッとでも見てほしいって! 思うのに……空見て黄昏て……。頸は綺麗だよ……。たまちゃんは綺麗。でも、辛いから! 俺が好きな分だけ、たまちゃんにも俺の事好きでいて欲しいから! どう思ってるのか、一度でいいから。一度だけでも、いいから俺に教えてくれ! 頭グチャグチャで電車がいつ来るかとかもう分かんないし……。誰かにうっせーって言われてもかまわない……。たまちゃんの、未駒たまきさんの気持ちを俺に教えてくれ! 俺には! 大人の恋愛とかわかんないから! めんどくさい奴になるしかないから! とにかく……! とにかく……君の気持ちを聞かせて欲しい……それだけなんだ」
 後半はあんまり聞こえてなかった。電車のアナウンスと、ホームの反対に到着する電車の音に掻き消されて。
 でも、わかった。彼の気持ちが。だから。
 私は彼の手をとると、抱き寄せて縋り付いて離したくなくて。彼の顔を見ながら泣いていた。そうであるべきのように泣いた。泣きながら「まいちゃん。ずるいよ。バカ」って言った気がする。
 なんでこんな奴好きになったのかわかんないよ……。彼といたかったけど、でも、今日は帰るべきだなって。彼に伝えたいことがある。でも、一緒に居たくて。彼の顔に私を近づけて、鼻を重ねた。
「アンタこそ何もわかってないよ。コノヤロー……」と言うと、唇を近づけて、目を閉じながらキスをした。当てるように。重ねるように。離したくない気持ちを乗せるように強く。強く。離したくなかった。けど、私は冷静で、電車のアナウンスが耳に入った。新宿方面行きの列車がホームにやってくるって。
 だから、私は笑っちゃった。まいちゃんらしい別れだなって。
 だから、彼の胸を軽く押し離すと、これでもかって大声で、まいちゃんよりも、ずっとずっと大きく、
「ここで! お別れっ! また! 今度! お互いが! 私が言いたいこと全部言って! また! また……! それまで! お預けね! で! 私は! この電車で! 帰ります! 着いてくんなよ! バカヤローッ!」
 彼への言葉を投げつけた。喉が痛くなるくらい声を張り上げた。電車に飛び乗るまで。ぐっと決意を固めて。プシューと音立てて電車が止まり、アナウンスがホームに響き渡る。私は彼に笑いかけながら、手をはらはらって振って電車に飛び乗った。
 彼は茫然としたまま、私が飛び乗った電車には乗ってこなかった。追ってこなかった。
 なんで? わかりきってた。まいちゃんは私の言葉を待ってる。貴方が好きだ。一緒に居たい。って言葉を。男としてどうなの? って思っても、その言葉を待たせたのは私自身だった。愛されたいんじゃない。愛したかった。私と一緒に居る誰かを愛したかった。飢えてた。愛に。自分の中の愛という存在に。ボンヤリとした意識の中でかろうじて聞こえる駅名を頼りに、閑散とした車両に揺られて自我を保っていた。まいちゃんとの日々を思い出しながら、一緒の世界と一緒じゃない世界が別れようとしてる。そんなことを思うと悲しくて仕方なかった——。
 部屋までどうやって帰ったのか覚えてなかった。舞城のバカヤロー! って言って、クッションを壁に投げつけてみた。それくらい歯痒かった。私の全てを彼は受け止めるのかな? たぶん、うけとめようとするけど、一瞬でも怯んだら、私は彼の元を去るんだろうな。そんくらい心がふらついていて、この恋が上手くいかなかったら、一生迷いながら一夜を過ごす世界に閉じ込められるんだろう。
 でも、そんなものだと思う。愛なんてそんなもんだと思う。打算的でいいし。身勝手でいい。そう思わせるのは、全てまいちゃんのせいだ。だから、心底腹が立つ。
 クッションを投げて拾い上げてまた投げて。繰り返してクタクタになって、風呂も入らずに眠ってしまった。バカ……バカ……呟きながら、酔ってもないのにクラクラしながら言葉をもごもご繰り返していた。
「また会おうね! バカヤロー」って送ったのを思い出して、ベッドに横たわると、これからの不安で胸いっぱいになって無理矢理目を瞑った。眠ろう眠ろうと言い聞かせて……。


―― 第8話はコチラから!

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