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「愛がなんだ!ってんだコノヤロウ!!!」第三話【長編小説】

※ 第一話はコチラから!

↓ 前回のおはなし


覚えてない。こいつの取り柄であり短所である。そんなことは、くっつく前から知ってたことではあるけど。

——私の前に右手を差し出して、俺と付き合って下さい! と言われた。面と向かって手を差し出して付き合う、なんて流れになったことなんて今の今までなかったな……と気付かされた。
 大抵は、一度付き合ってみない? とか、俺達って付き合ってるってことだよな? とか、別にそうゆうのいいじゃん、とか言ったやつもいたっけな。
 真っ直ぐ差し出された彼の右手を見つめて、そんな過去を思い出していた——。意外とこういうベタなのってあんまないんだなって。
 本屋での出来事は、今の今まで頭の片隅に放って置かれていた。あの時はぼぉーっとしてて、記憶が曖昧で、たしか彼に本を手渡した記憶があって、その後は電車で家に帰って、風呂入ってスッキリして、缶チューハイを開けて良い気になってストンと眠りに落ちたな……なんて。
 私に差し出された手を私は握った。ゴツゴツした手。あの時、触れた手とおんなじかといわれたらどうだったか思い出せない。
 あの時はキュンとした乙女っぽい何かが反応したから、心がぐらついていた。
 今にぎっている彼の手に、トキメキを感じることはなかったけれど、みょうに納得はしていた。やっぱり付き合うんだ私達。
 なんとなく予期していた空想が現実になって、わたしは舞城ユキヨと付き合うことになった。
 色々思いが駆け巡っていて、それでいてわたしの答えは決まっていて、コイツに何をためしてやろうか? とも思っていて、手を握りながら、うん、いいよ。と、挨拶をかわすくらいのトーンで返事したと思う。

 舞城ユキヨとの初デートは、あらかじめここにしようと決めていた場所があった。
 新宿アイランド。都庁付近の青梅街道沿いにある赤いLOVEの文字をブロックのように四角く寄せ合ったオブジェ。
 ここで舞城クンと初デートして感触を確かめたいな、と決めていた。実は、このことは付き合う前からなんとなく考えていて、舞城ユキヨとはこの場所で話をしてみたいなと思っていた。

 それは、一年前に遡る——。
 私達は、他社を訪問し打ち合わせと顔合わせを済ませて、帰社しようと丸の内線に向かって歩いていた。
 会社に戻った後の残務の分配や今後の話し合いに向けてのプランなどを、上司であるユキノさんとやり取りしながらLOVEのオブジェの前を通り過ぎようとした時に、ユキノさんのヒールが折れた。
 書類を出して話し合いながら歩いていたこともあって、周りに居た同僚は咄嗟の出来事に硬直してしまっていた。
 ユキノさんは凛として弱みを出さないタイプで、そんなユキノさんがふらつく姿に反応できなかった。ひとりをのぞいて……。
 舞城ユキヨはふらついたユキノさんの背中に腕を回し、軽く抱き抱えるように身を起こすと、大丈夫ですか? と言って、さりげなく肩を貸してみせた。
 私を含めた男性社員も数名、しかも、ユキノさんの近くには、恰幅の良い他の男もいたはずなのに、その時はなぜか舞城ユキヨがユキノさんの弱い部分を庇うように体を支えていた。
 私は、その時のユキノさんの舞城ユキヨを見つめる視線を覚えている。
 彼の顔を見やり、蒼白と恥ずかしさで、一瞬、顔を彼から背けると、そこにはLOVEのオブジェが聳え立っていた。
 それにハッとしたユキノさんの顔。それから、舞城ユキヨがさりげなく彼女を心配する言葉を掛けた時に、返したユキノさんの笑顔。
 わかりやすく表情には出さなかったけれど、乙女のような透き通った視線で、彼の瞳のジッとみつめる彼女の姿がなぜか印象に残った。
 二人にはどう映っていたかはわからないけれど、少し後ろからその様子を見ていた私には、彼女を抱える彼とLOVEの構図がとてもよく出来たフォトグラフのように煌めいて、ちょうどそのときに雲の間から光の筋が差し込んで、二人を照らしているように思えた。
 互いが意識し合えば、この瞬間は二人にとって奇蹟の様に映るのだろうと俯瞰して見ている自分に切なさを感じた。
 そんな出来事があってから、ユキノさんと舞城クンとの距離は少しだけ縮まったようにみえた。何かと心配したり世話を焼いたり彼の失態を庇ったり。
 決して贔屓しているようにはみえなかったし、周りの社員たちもそんな風に捉えていなかったけれど、私が目撃したアングルのせいなのか、彼と彼女の関係は親密になるんじゃないかな。と、そう考えていた。
 けれど、そんな彼が今こうして私とデートの約束を交わそうとしている。ちょっぴりふしぎだ。
 彼の中でユキノさんと私と、出来事としてはどちらの方が確率の高い奇蹟なのだろう? 運命なのだろう? ただ鈍臭いだけで、手と手が触れ合う経験の少なさから私にひかれたのかな。
 でも、ユキノさんを抱えて肩を貸す彼は凛としていた。臆病で女性を怖がる子犬には見えなかった。
 その不可思議さが、私の中でモヤモヤとした煮え切らない苛立ちに変わって、ちょっかいをかけたくてしょうがなかった。
 それで初デートはLOVEの前で写真を撮ろう。私がLOVEの前に立って光の筋を浴びた姿をみて、彼が何を思うのか知りたかったし、からかいたかった。
 カマなんていくらでもかけられるくらい不用心で不器用なこの男の、内に秘めるなにかを炙り出してやるぞ! と、彼に新宿アイランドに行きたいと連絡してから、ニヤニヤが止まらなかった——。

 舞城ユキヨは、都営大江戸線都庁前駅の出入り口横に、ソワソワしながら突っ立っていた。
 彼に「さきにまっててえらいね」って言うと、彼は恥ずかしそうに「ぜんぜんまってないよ!」と、着ぐるみ人形のように戯けていた。
 この様子じゃ三十分前にはすでに到着していて、この辺をぷらぷらして、初デートが何でここなんだろ? なんて、考えながら下見をしたりして摩天楼を眺めてたんだろう。
 これは私の勘であって実際どうなのかはわからないけれど、じゃあいこっか。と言って彼の手を握ると、軽く汗ばんでいたからきっとそうだ。
 腕を引っ張るようにして私が歩きだすと、彼はとまどいからか、私にひっつくみたいに頑張って歩調を合わせて、私の横を歩こうとした。私はそんな彼から視線を外して、ビルの反射光を眺めて、あのときあの瞬間を思い出す——。
 考えてたよりも今日は快晴で、空は澄み渡っていた。思わず眩しくなって手を翳す。
 あのときは雲の切れ間から、ひかりがすじのように差し込んでたんだよな……と思って、ガッカリする自分に少し笑みがでてしまう。
 なんでこんなことしてんだろ……って思うとわらけてくる。彼はスカイツリーなんてどう? と提案したけど、わたしは混んでるからー……と、言い訳して、ここに来ることを押し切った。
 スカイツリーはまだ早いかな……ってきもちもあったし。彼のガチガチに固まった体を想像すると、展望デッキに直立不動するミニスカイツリーみたいに見えてきちゃうだろうから、わらいがとまらなくなってデートにならなそうだな。って、勝手に想像して、ないないって笑い転げてLINEに返信していた。
 ひどすぎな理由だけど彼とはまだそこまでっていうか、確かめにゃならんことが山ほどある。

 特になにも話さず彼の腕を引きながらLOVEの広場まで歩いた。
 ゆっくり近づくとあの光景を呼び戻すように画角を合わせていく——。
 コツコツ音を立てて、彼をその場所の前まで導くと、バッグからスマホを取り出してカメラの位置を確認する為にオブジェに向ける。カメラ機能をつかって画面に映し出される光景はあの時、私が見た光景そのものだった。
 彼にスマホを手渡そう……そう決めて、
「まいちゃん写真とってよ!」
と言って、彼の手に私のスマホを押し付けた。
 こころもち大股にLOVEのオブジェ目指して駆け歩いて、ちょうどここだなって位置に立ってみた。
 すっーっと深呼吸するように天を仰ぐと、ひざしがまぶしくて目が細くなる。思わず手をかざして顔をそむけた時に、彼は一生懸命に私を撮っていた。
 まいちゃんって呼んだのがよくなかったのか、スマホの機種が違うから使い方がわからなくて焦ってたんだろうか、私が記憶を再現するために空を見上げたのをポーズをとったんだと勘違いしたんだろうか、彼はこちらにカメラレンズを向けて何回も何回もシャッターボタンを押していた。
 その姿がばからしくて可笑しくて、「なんまいとったの?」と、おもわず吹き出してしまったので、この顔は見られまいと手で顔を覆い隠しながら駆け寄った。それでも、ばかにしたように笑っていたのはバレてたと思う。
 そんくらいばかばかしく感じられて、必死な彼が、私がまいちゃんと呼んだ彼が、ただただ私をどうやって撮ろうかとなやんでいるのが面白いし、ねじれて考えてた色々な不安や思い過ごしが、ぜんぶ吹っ飛んだような気がして……。
 たぶん、舞城クンはおばかなんだなって。此処での事とか、なあんも覚えてなくて、今のいま、おこっていることに夢中なんだろうなって。それでぜんぶ可笑しくて馬鹿らしくてコイツは相変わらずちょっぴり大きい愛玩動物みたいなんだなって。私と全てが違いすぎてわらっちゃう。そんな関係なのを自覚した。
 私は彼に駆け寄るとスマホをとりあげて、
「じゃーあ、つぎはまいちゃんの番ねっ!」
っと、彼の背中を軽く押して、LOVEの前に立たせる。
 スマホの画面に彼が映し出されて初めて気づいた。
 こっち側から見るとLOVEの文字って逆なんだ——。
 通り沿いから見ればLOVEになるけど、アイランドのビルを背にしてLOVEの前に立つと、LOVEの文字が鏡に写ったように反対になる。なんできづかなかったんだろ……。
 私はそんな事を考えながらシャッターボタンを押した。鉄みたいにカチコチに固まった直立不動のまいちゃんがライブラリに加わった。
 私は「まいちゃんらしいね」と笑って、彼の照れくさそうにする真っ赤な顔を、お返しに何枚か撮った。

 そのあと少しまわりをぷらぷらした。
 お昼時だったから建物の中をくるっとまわったりして、何か食べよっか? って探してたけど、まいちゃんはなんとなく落ち着かないようで、少しあるこっか、と私が言うまでずっとキョロキョロしていた。
 ひと通りみてまわったけど、これといった案が浮かばずに地下通路の奥の奥まで来てしまった。
 その時に「とりあえず、新宿方面に行かない?」と彼は言い、西新宿方面の出口を示す矢印を指した。私の手を軽く引いてキョトンとした笑みを浮かべて、こっちいこって感じにうながした。
 彼のなんてことない仕草に変な感じがしてみょうに照れくさかった。
 地下道を歩きながら、
「まいちゃんは最近どんな仕事回されてるの?」と私は言った。
 この辺を歩いてると、どうも仕事モードのスイッチが入ってしまって落ち着かない。
私がそうだから彼だってそうなのかもしれない、いまさら気づいた。
「うーん。なんか会議中にみんな雑談モードに入っちゃって、普段家いるときなにしてる? 談義が始まったんだけど、その時に俺が映画ばっかみてますねー、って言ったら、高田さんが、そんなら舞城にパンフの構成任せちゃえばいいじゃん! って言い始めてさ、俺は必死で、そんなんやったことないから絶対無理ですからやめてください! かんべんしてください! って言ったら、余計に火がついちゃって、舞城のステップアップだ! とか盛り上がっちゃって……。思い出すだけで胃がキーッてなるよ。周りの手を借りながらでも、やった事ない映画パンフを作る役目を任されちゃったんだよ……」
 めっちゃ長くしゃべるじゃんコイツ! って感想と、意外な近況情報に笑った。
「えっ⁉︎ それじゃ、今度から一企画任せられるってことなの? それはそれですごいじゃん。まぁわたしはその話来たらしんど! ってなると思うけど、まいちゃんならいけるんでない?」と、一段階ギア上げてわらって返した。
 新宿までのながぁーーーい、しんとした地下通路に私の笑い声が響き渡る。
「めちゃくちゃわらってんじゃん。こっちはわらってられないんだよ! 今まで装丁とライターさんから降りてきた文章構成の配分をちょと手伝わされるくらいで……それもフリーペーパーのやつのだよ! 無理無理! 俺には絶対無理難題なんだよ! ひやあせがとまんないよ!」
「それはそれで明るく受け止めてぇー、きもちん部分はいったん横よ! 高田さんだってまいちゃんならやれるって思って言ったんじゃないの?」
と、言ってみたものの、果たしてコイツに任せられる案件が果たしてあるのだろうか? と、思わんばかりの小動物なのは、横目でずっと観察してきたので、これは雑に振って根を上げたら舞城を踏み台にして、他の案件で手が空いた人員を使って穴埋めするつもりだろう。と、そろばんをはじいてみた。
 まいちゃんは私の表情を観察すると、眉間にかるく皺寄せて「さては、たまちゃんも出来ないっておもってんでしょ?」と、的の中心を射抜いてきた。
 思わずフフッと鼻でわらってしまって、
「ちがう、ちがう、そゆんじゃなくてね。高田さんはまいちゃんのことをしっかりみてるんじゃないの? ってね。そういう……ね。ふふ。ね。」だめだ。笑っちゃう。
 まいちゃんは、バカにしてぇ! と言って拗ねてみせるものの、その姿は全然板についてなくて、たよりなくて、わらいが堪えきれなくなってしまう。
「ふふ……大丈夫だって。できる……できふ。ふふ。」
 両手で口を隠しながら堪えきれない笑いをどうにかして収めようとすると、まいちゃんの怪訝な表情が目に入って、ますます笑いがこらえられなくなる。
「んもぅなんだってんだよ! どいつもこいつも。目にものみせてやるぞ」と、ひょろひょろの腕でガッツポーズしてみせた。
 西新宿から新宿まで長く伸びる通路は、片側が鏡張りになっていて、軽く弧を描くように下っていて、天井は木骨が波打つようにしつらわれ、木骨と木骨の隙間から柔らかい照明が優しく二人を照らす——。
 目の前の彼と、鏡張りに映る彼の、とてつもなく頼り甲斐がない男の、二つのガッツポーズが、どうにもシュールに感じられて耐えきれなくて、笑ってどうしようもなかった。
 オシャレな空間は、まいちゃんのひょろひょろなやる気で、ぽわぽわになってしまう。
 私は腹を抱えて「マジ……。めちゃめちゃ必死じゃん」と、彼の肩に手を置きながら言った。
 ふふふと、堪えきれない笑いを続けている自分も鏡に映る。そこには、涙を目に溜めて彼にもたれかかる私が映っていた。
 こんな私もいたんだ。って思って、まいちゃんの肩にもたれかかる私の腕が、よりいっそう力強くなる。
 まいちゃんは「わらいすぎだよ! たまちゃんだって笑われることとかあるはずじゃん!」と戯けながら、私と同じくらい大きく笑って言ってノってくれた。
 私が寄りかかるのがうれしいのかな? 鏡に映る私達に問いかけるように、私は俯瞰して、この瞬間をわらっていた。


天地が逆さになる出会いってのは神の気まぐれ。使い魔は、ふと現れて、謎を一層ややこしくして帰っていく。

 今日はパンフ作成前の試写と打ち合わせがある。事前に関係者向けの映像の一部も貰っていて、デザイナー・ライター共に擦り合わせできていたので、今日は映画を見て打ち合わせするだけで、気が楽だった。
 連日連夜に渡って人の話を聞き続けていて、もうヘトヘトだ。配給会社の意見を聞き、制作側の意見を聞き、全体のデザインをどうしていくかを聞き、どんな文章が相応しいかライターに聞き、色々な人達の意見を聞きまくって妥協案を提示する——。考えただけで嫌気が差す。
 ウチは出版関係ではあるものの、新規事業だったので、今回は中途半端な状態で俺に丸投げされて、頭の中がすっちゃかめっちゃかしていた。
 メールor電話のやり取りを永遠と繰り返し、デザイナーさんから下りてくる案を関わっている各人に送り、その反応を見てデザイナーさんと共に折衷案を提示する為のやり取りをまた行って……な具合の、堂々巡りの仲介人としての機能。そんな役割の新人編集には何の権限も無いから、何一つ自己意思を表明する立場にはあらず、言われるがまま、右に左に揺蕩たゆたうう骨なしクラゲみたいな態度をとることしか許されていない。
 カオスに呑み込まれるまま、仕事に追われるままに働き続けていたら、いつの間にか、試写からの実際に会って打ち合わせしましょうという段まで漕ぎつけた。
 高田さんは、やりゃいけんじゃん! と言ったけど、当人同士直接やり取りすりゃ済むんじゃい! と思いながら淡々と、なるほどー、そうなんですねー、とか相槌打ってただけだった。朦朧とした意識下でも働きゃ報われるんだなと一段落にホッとした。

——試写中に今までの艱難辛苦かんなんしんくが蘇ってきて目が潤んだ。映画は終盤になり、スタッフロールに自分の名前がないかと探さねば! と思い立つも、完成試写ではないのでスタッフロールは流れなかった。
 映画好きからすると、この為だけにやってるのに……。と思ってしまうが、パンフ制作の、いち編集程度がクレジットされるのか? という疑問は残った。自分が何も知らないのを思い知らされる。
 試写室がパッと明るくなって、顔合わせ後の打ち合わせに入る為に各々動き出す。
 この後は、全体文を構成するライターさんとの打ち合わせがメインだ。
 制作スタッフ各々に声掛けながら、ライターさんの姿を探すと、端っこの方で、派手目な女性が頭にペンを当てながら、メモに向かってうんうん悩んでいるのが見えた。
 肩まであるだろう髪を後ろで束ねて、おでこの辺りから伸びるミルクティーアッシュのインナーカラーが特徴的で、後れ毛から覗く耳には五百円玉くらいの大きなイヤリングが鋭く光っていた。
 うーむうーむ、ぶつぶつ言いながら、額に当て口を尖らせた下唇に当て、ペンが顔を行ったり来たりしている。
 さすがにこの人がライターじゃなきゃ不審者か何かだと思う。この人が悩みすぎて転げ回る前に早く声をかけねばと思った。
 小走りで席に駆け寄ると、
「あの……いつもお世話になっております。舞城と申します。あの、パンフの件でよくお電話させてもらっています」ここまで言うと、言葉を遮る様に、
「あー! 舞城サンですか! ども。お世話になっております。そういや、この後打ち合わせってなってんでしたっけ……」
 ペンとメモを隣の席に放り、鞄をまさぐってスマホ取り出し、慌てながらスケジュールを確認する。
 俺は焦る彼女を気遣って、
「えと……。とりあえず話しやすいとこで簡単な打ち合わせ……というか、今日は顔合わせって感じなんで、不都合があればまた今度で……」
「あっ! 大丈夫です! 大丈夫! 今日やっぱ空けてたみたいなんで! 舞城サンも、お時間割いて頂いてスイマセンね」と、今度も割り込む様に会話を進めて、立ち上がって両手を膝につけ丁寧にお辞儀する。横の席のメモをクッションにするみたいに、スマホを大雑把に放って慌てていた。
 ガサツなのか丁寧なのか? よくわからない人だなぁと思いつつ、お辞儀を返しながら、胸ポケットの名刺入れに手を掛けようとすると、
「あっ舞城サン。そゆのは後ででいいですよ! ここだとホラね」
 周囲を伺うと試写室から人が消えていた。
「ワタシって書き始めると止まんないんで、いっつも部屋出るの最後になるから。とりあえずそうゆうのは後でって事で! とりあえず出ましょ!」と、彼女は開け放たれた出口を指差して、鞄の中に散らばった仕事道具を詰め込んでいく。
 あまりの抑揚の変化に呆気に取られたが、彼女の言う通り早く外に出なきゃならないと、彼女が散らばせた道具を搔き集めるのを手伝って、彼女と一緒にせせこましく部屋を後にした。二人が退出したのを見計らった様に、試写室のライトが消された——。

 結局、近くのスタバで席を探して打ち合わせする事になった。
 俺が迷っていると彼女はテキパキと店内の様子を確認して、ここなんていいんじゃないですか? といって促した。
 俺は促されたまま席に座る。鞄を置いて、何か頼みます? と、席を立とうと腰を上げると、彼女が、
「ウチ頼んできますよ。舞城サン好みとかあります?」と、言ってきたので、ちょっとびっくりして、
「いやいや、やらせる訳にいかないですよ。あんまスタバ来ないんで好みとかはないですけど、俺行ってきますから」と、静止するも聞かずに、
「じゃあ、なんでもアリって事ですね。なら、アタシのオススメ二つ持ってきちゃいます。今ハマってるカスタムあるんで、ぜひぜひ舞城サンにも飲んでもらいたい! ちょっと時間かかりますけど、ここで腰掛けてすこっし待っててください。良いの持ってきますから」
 と、快活なスマイルで流暢に言いたいことを告げるだけ告げて、小走りでカウンターに駆けて行った。仕事相手に全てやって貰うのは果たしていいのか……? と思いつつ、彼女の後ろ姿を目を丸くして見ていた。
 レジのお姉さんにカウンターに置いてあるメニュー欄を指さしながら、色々と伝えている。二品にしては色々話しているのがわかって、一体何が出てくるのか不安になった。同時にやっぱり自分が動くべきだと反省した。
 三分ほどソワソワしながら待っていると、両手にクリームもりもりのカップを持って小走りに戻って来た。
「いやー、頼むの時間かかっちゃってスイマセンねっ。トッピング盛りまくったら、伝えんのに時間かかっちゃって。でもでも、めっちゃいいんですよ。このカスタムが今のワタシのトレンドでー、えと、こっちがダークモカでー、こっちがキャラメルマキアートってやつですね。舞城サン的にはどっちがいいですかね? ワタシ的オススメはキャラメルです!」オススメ圧が凄すぎて、じゃあそっちで、と返す他なかった。
 やっぱ甘い系が好きなんですねっ。と語尾が跳ねる様に言うと、半円形ソファに腰掛けて俺と彼女との間に鞄を置いた。
 ベージュ色のフェイクレザーのビジネストートは膨らんでいて、女性が使うには大きめなのに、こんな膨らませて一体何が詰まってるんだろうかと不思議だった。
「えと……自己紹介してませんでした。巻波まきなみあすかって言います。えと、ちょっと待ってください。名刺……めいし……やば、ちょっと忘れて来ちゃったかもです。鞄のなかかな……。ちょっと探します。その間に飲んじゃっててください。うまいんですよ! ちょっと値段足してますけど、トッピング盛ってブーストさせてますから! ハマりますよ! あっ……やば。マドラーとスプーンとナプキン、持って来んの忘れた……。どしよ。今ちょっと行って持って来ますんで、ちょっとここで待っててください!」と言って、急いで腰を上げようとしたので、
「いや! 俺とって来ますから! 大丈夫ですよ! えと……スプーンとナプキンとマドラーですね。大丈夫です! さすがにそこまでやらせるの申し訳ないんで! それに、巻波さんは資料とか名刺とか、先に探しといてください! その間に俺が行ってきますから!」と、言って彼女より素早く腰を上げて、半円の反対側から席を立った。
 彼女に何でもかんでもさせる訳にゃあいかないと反射的に思った。あの様子だと、あっちいったりこっちいったりで、彼女の滅茶苦茶ペースに嵌って、今日の打ち合わせの全てが彼女の混乱で掻き回さられる。
 それだけは避けねば! と、彼女と競るように我先にと、備品置きのカウンターに駆けた。わざわざ小走りになる必要はなかったけど、ゆっくり動こうとすれば彼女がアタシ行きます! とか言いかねないなと怖くて、体が勝手に急いでいた。
 彼女にチラチラ視線を移しながら、スプーンやマドラーを探す。
 彼女はトートの中を掻き分ける様に、あれこれ引っ張りだしては戻してを繰り返して、テーブルに資料やらなんやらが、少しずつ並べられていく。ちょうどいいタイミングを伺いながら、頼まれた品を選び取って、彼女のタイミングに合わせ、ゆっくり席に戻った。
「やー……。資料は持って来たんですけど、名刺はやっぱり忘れたみたいです。面目ない」
 両手を合わせて軽くお辞儀しごめんなさいのポーズをすると、照れくささを誤魔化す様に、こめかみを指で掻いた。
「いやいや。事前に色々と教えてもらってるし、連絡先もお互い知ってる訳ですから、全然問題ないですよ。」と言って、持ってきた小物を彼女の前に揃えて置いた。
 二人は無事着席し、とりあえずフラペチーノに口をつける。
 クリームもりもりの上には、たっぷりのキャラメルソースと、少しチョコソースもかかっている。掬って食べてみるとハチミツの味もする様な……。かなり甘いけど、自分じゃ頼まないだろう味に、けっこう満足感があるなと思った。
 彼女はダークモカに乗ったクリームを軽く掬ってから、真剣な目で資料に目を通して並べ替えたり手前奥を入れ替えたりしていた。

 彼女と鞄を挟んで隣り合わせに座り、打ち合わせを始める。彼女は今日の流れからは想像つかないくらい、テキパキと流暢に案件についての提案をパターン毎に分けて資料に纏めて、それを丁寧に読み上げながら真剣に説明する。
 仕事モードに切り替わった彼女に圧倒されたが、よくよく考えたら今までメールや電話などでのやり取りも、明確で丁寧かつ手早かったので、仕事相手としての彼女の本来の姿を思い出した。
 今日一日の印象が強すぎてサッパリ忘れていたが、彼女はかなりやり手のライターさんで、ウチ以外にも様々掛け持ちして、業界ではそれなりに名の知れた人だった。
 彼女の説明に頷きながら、こちらが事前に用意しておいた想定デザインと文章構成の擦り合わせを行なっていく。
 この工程は実にスムーズで、何一つ問題起きないまま、予定より巻いて打ち合わせ内容のほとんどを終えてしまった。
 彼女のスイッチの切り替えの速さと巧みなプレゼンに、こちらも普段よりサラサラと言葉が出てくる。仕事慣れしてる人と話すのが、どんな事かわかった気がした。
 ひとところ話が片付いて、彼女は大きく伸びをしてうーんっ……と一呼吸つくと、今日はこれくらいにしましょっか! 快活な声をあげて言った。スイッチが切り替わったように声の力が抜ける。
 彼女は、首を弧を描くように回して軽くストレッチしてみせると、こちらを見やり、
「ちょっと聞きたかったんですけど、舞城サンって映画好きだからってだけで企画任されたって耳にしたんですけど、それだけで抜擢って大変じゃなかったですか?」と聞いた。
 フラペチーノにのっかったクリームは溶けかかって、容器についた汗の奥で白と茶のポーリングアートみたいに混ざり合い綺麗な紋様をつくっていた。彼女はストローを咥えながら俺の返事を待っていた。
「映画好きってのはホントなんですけど、それは休みの日なにしてる? って話題で、ちょろっと言っただけで、まさか仕事任されるなんて微塵も思ってなかったんですよ」と、頭を掻きながら苦笑いをしてみせた。
 こんな事まで周囲に伝わってるのかと嫌な汗をかいた。
「いやね、アタシって結構色々やってんですけど、映画関係の仕事ってあんまり関わったことなくて、舞城サンみたいな仲間がいて助かったなって」
「いや、経験的に巻波さんの足元にも及ばないですから、同列にされると萎縮しちゃいますよ」
 俺も彼女のようにストローでフラペチーノを飲んでみると、沈澱したハチミツとチョコソースの甘味が喉にくっと入って軽くむせた。むせながら手をひらひら振って、ないないって伝えてみせた。
 彼女はその姿を見て、口を一の字にしながら笑うと、
「そういう初々しさ見てると笑けちゃうんですよね。ほら、前に電話でここの文はどしますかー? ってやり取りした時に舞城サン硬めの文でお願いって言うから、具体的硬めとは? って聞くと、うーん……ドゥニ・ヴィルヌーヴの書評を書くみたいな感じですかね? とか言うから笑っちゃいましたよ。あん時は、それからなるほど! とか言って互いにマニアっぽい案出しまくりましたけど、普通あんなことパッと言う人いないですよ!」と、言って相変わらず、口を一の字にして、笑いを堪える様にしながら言った。
「いや! あれは! んー……なんていうんですかね。周りがですよ、どうせやるなら硬派にいこう! とか盛り上がってて。でも、具体的にどんなですか? って聞いたら、それはお前が考えろよ。とか言うんですよ。だから、周りからどんな感じでいきます? ってよく訊かれるんですけど、初めのうちは硬派な感じで! って言ってたんですけど、硬派とは? って聞き返されるもんだから、もうめんどくせえやって、思い当たる映画監督の名前を浮かべたらヴィルヌーヴが出て来ただけで、基本的に周りはそれ聞くとハイ? って聞き返されるんですけど……ヴィルヌーヴ? みたいに。そこから、作家性の高い仄悲しい土気色の雰囲気というか……とか、めちゃくちゃ言って誤魔化すんですけど、巻波さんはすぐ、ハイハイって乗ってくれて助かったというか、ツーカーでやりやすかったですよ。あん時はちょっと雑談しすぎましたけど、楽しかったしやり易くてホント助かりました」
「やっぱめちゃくちゃ喋りますね」
と、弁明の為にあれこれジェスチャー多めに捲し立てる俺の姿を見ながら笑って言った。
「アタシあん時に、ホント映画好きなんだなってわかって、ちょっとホッとしたんです。ただ仕事押し付けられてる新人だったらどうしよって不安だったから」
「そこは間違ってないですよ。ふつーに仕事押し付けられて誤魔化しオンリーで生きてる、ただの新人ですから」
 彼女はスプーンで溶けずに残ったホイップクリームとチョコソースをくるくる混ぜながら楽しそうに聴いていた。
「アタシも好きなんですよ、映画。でも、仕事はあんましたことないから大丈夫かなって思ってて、仲間ができたみたいで楽しかったんですよ。そういや、舞城サンって今泉力哉いまいずみ りきや監督の作品を最近見てる、って聞きましたけど、なんか面白いのとかありました? アタシ忙しくて観れてない作品多くて」
「今泉力哉監督ですか。まだ全然観れてなくって観なきゃなってなってるんですけど、ちひろさんって映画が面白くて、そっから愛がなんだ観て、アイネクライネナハトムジーク観てって感じで。まだ三本しか観れてないんですよ」
「ちひろさん、アタシまだ観てないなぁ。どんな感じでした?」
「いやね。有村架純ありむら かすみさんが主演なんですけど、こう可愛いー有村架純、って感じじゃなくて、瞳の奥が澱んでるけど周りの人達のイヤな黒いモノを吸い取ってくれるような、凄い複雑だけど嫌らしさも重さもないっていう、どう転がるの? ってトコに爽快な風吹くーって感じで。ってコレ伝わってますかね?」
 映画についてあれこれ聞かれたり話したりしたことがなかったのもあって、自分のあまりの熱量に引いてないかなと心配になった。
「わかるわかるって感じです! アタシは愛がなんだを観て、重っ! って思ってたんで、ちひろさんどうなんだろ? って構えてたんですけど、今の話聞いてテイストが違う感じが分かったから、今度観てみよ! ってなりましたよ!」と、コチラを斜め下から覗き込む様にテーブルに突っ伏して、少し微笑を浮かべながら見つめて言った。
 ここまで話して、違和感に気づき始めた。
「あのー。俺が今泉力哉監督の作品観てるって、何で知ってるんですか? 高田さんには硬めの文章がー。とかってコトくらいしか話してないと思うんですけど……。それって誰から……聞きました?」
 俺の顔を覗き込む様に微笑を浮かべる彼女が、段々と謎に包まれて嘲笑う悪魔の様に見えてきた。ストーカー……では、ないだろ。と、思うけど恐ろしくなった。
 俺が表情を曇らせて背筋がピン張ったのを感じ取ると、くすくすと笑い始めて、
「実は、アタシは舞城サンの大ファンで……なんてコトは勿論なく。仕事を円滑に進める為に色々とリサーチしてました! ってコトならまだマシなんですけど……」
 彼女はそこまで言うと、少しぬるくなったフラペチーノをくるくるかき回して目をやりながら、少しニヤニヤして、
「実は……。先日、こんなコトがありしてね」
 俺はゴクリと息を呑んだ。
「アタシ、仕事柄打ち合わせとかで、バーとかに行くんですよ。飲みながら取材するーとかしょっちゅうで。それでですね。ある時にちょっとオシャレなバーに行ったんですよ。取材自体はベテラン作家さんの話を聞いて纏めるって感じで、その辺は結構慣れてるんでサクサク進めて早めに終わったんですよ。作家さんもサッパリした人で、ちゃっと話して終わらせようかみたいな。それで、時間余っちゃったんで軽く談笑したりして、その辺はライトに楽しく過ごさせてもらって。それじゃ帰るからって作家さんが席をお立ちになったんです。アタシは、もちょっと飲んでいきますって告げて、外まで軽くお見送りして。それで戻ったら客同士がケンカ始めてたんですよ。ケンカとか雰囲気そぐわない感じのお店だったんで、ちょっと関わるのもアレかなと思いつつ、職業柄ネタになるかな? とか思いつつ、横目でよくよく聴いてると、ショートボブの派手目な女の子がオジサマに絡まれてて。奢ってやるから少しお話ししましょって具合に。マスターが割って入って止めようとしてるんですけど、それを振り切る感じのテンションで、テメェみてぇな奴と飲める酒ねぇんだよ! って女の子が啖呵切ってる訳です。小洒落たオジサマは絡み絡んだあげくに、んだとこのやろう! とか言って女の子を掴んだんですけど、女の子も負けじとオジサマの高級柄シャツの襟首に掴みかかったんです。それでアタシ、コレは突撃しなきゃライター名乗ってる資格ないぞ! と思って、間に割って入ったんです。マスターも眉間に皺寄せて、今にも摘み出すなって感じだったから、先手を打って止めに入ろうと。アタシは二人の肩に手を置いて言った訳です。この子、スジものの子だけど大丈夫ですか? って。女の子の方には、まぁまぁ今日のトコはここまでってフリしながら、目線で合図して。そしたらオジサマは怖気付いて手を離して、その子がトドメの一撃で、今日のトコは許してやっけど二度とオレに触れんじゃねぇぞ! ってね。それで、おもしれー。ってアタシ思って。オジサマにそちらの席譲って頂けますか? と言ったら、苦い顔して席を立って、マスターも睨んでたから居心地悪くなって会計済まして出てって。それで無事にその子の横に座るコトが出来まして。この子めっちゃおもしれー逃すものか! ってなってたから、マスターに軽くお詫びして、その子に、アタシ奢りますから話しませんか? って誘ったんです。彼女はちょっと戸惑ってたんですけど、アタシの興味満々のキラキラした視線と、助けてもらった恩もあって、腰を下ろして付き合ってくれたんです。始めの内はボソボソ慣れない感じで話し始めて、こっちはこの子を逃すまい! と、あの手この手で彼女のことを聞こうとする訳です。その辺は仕事柄慣れてるんで多角的に攻めて女の子の内面を覗いてやろうとね。だってめっちゃおもしれー子なんですよ。オジサンに掴み掛かった時の、振り乱した紫色した髪がハラハラっと靡く姿のカッコよさの内訳を知りたい訳です」
 この話は凄く長くなるなと覚悟した。巻波さんが話してる時のテンションがどんどんと昂っていく。
 それに比例して何か違和感を感じ始めた。何故にこんな話を俺に……?
「それでうまぁーく乗っけるコトが出来たんですよ。彼女、ボソボソな話し方から、段々こっちの相槌に合わせてノってきて、色々話してくれる様になって、スマホの録音回しながら聞き逃すまいと耳ダンボです。そしたら、普段はこんなとこ似合わないから来ないんだけど、同僚に誘われて来たけど、相手に急な用事が出来たから先に帰っちゃって、仕方ないから一人カウンターでちびちび呑んでたらオッサンに絡まれたーマジふざけんな! とか、東京ってあんま慣れないんだよなーとか、オシャレってものがあんま自分と合わないとか。じゃあ何で、耳ピアスとかへそピとか空けて、髪も染めてんですか? って聞いたら、元ヤンだし少しでも馴染もうと思って自分なりに頑張ってやってんだけどねーとかね。こっちもそれなりに自分の事伝えない訳にもいかないから、ライターやってて、興味湧いちゃって話しかけちゃったんですよ! とか、年齢いっこ違いなんだ! とか、普段どんな感じに過ごしてるー、とか言い合ってたら意気投合しちゃったんです。もう盛り上がっちゃって、オネーさんめっちゃ面白い人だなって言ってくれて、連絡先とか交換して、お酒も進みながら女子トークって感じに盛り上がっちゃって。最近撮った写真の見せ合いとかもしちゃったりして、店の雰囲気無視して女子感満載って感じに」
 そこまで言うと、一旦話を切ってコチラの顔色を窺いながら、カップの中身を飲み干して一息置いた。
「で、ですね。ここからが面白いんですよ。彼女に最近飲み行ったりするのーって聞いて、もうこの辺から友達みたいに話せる様になってたんで。そしたら、たまに同僚に誘われたりして飲み行くけどつまんないから、最近は同郷の男友達と呑んでるんだって。ソイツといるとラクなんだー、東京かぶれって感じがなくてダメダメオーラで向かい合ってグダグダ言い合って朝まで、ってのが良くてー、って言ってね。それじゃ付き合ってんの? って聞いたら、そんなじゃないよ! だってめっちゃ冴えないんだぜ、端っこでチビチビやってるタイプなんだからって。えーっ! どんな子なの気になる! って聞く訳ですよ。ここまで聴いたら気になるじゃないですか。そしたら、そういや前撮った写真が……ってスマホを取り出して見せてくれたんですよ。彼女の前に酔って突っ伏してる彼の写真を」
 そう言って巻波さんはバッグからスマホを取り出した。
 少しずつ嫌な予感が迫ってるのを何となく感じていたけれど、そのスマホに映し出された写真を見て、飛び跳ねる程のゾクっとした衝撃に背筋が凍った……。
「コレって舞城くんだよね?」
 巻波あすかは、白い歯を見せながらニヤリと笑って、俺が呆然と震えて画面を見ている、その反応を楽しんでいた。
「え? え? え? ドユコトですか? 何で? 嘘? 巻波さんが会ったのって……」
「胡田イチカちゃんだったの」
 巻波さんのニヤニヤは最高潮に達した。
 彼女はこの瞬間を今日一日中狙っていて、ずっーっと俺の反応を見てたの? え? どゆこと? 何? 何が起きた?
「え? ホントドユコトですか?」
「だからね。イチカちゃんと意気投合したらペラペラ喋ってくれたの。出版社に勤めてる、冴えない男友達と呑んだくれ仲間だって。目の前で寝ちゃったキミの姿が面白かったから、この前撮ったんだぁーってね」
 写真には、向かいに顔を横に向けて机に腕枕して寝ている俺と、その画角に収まる様に身を乗り出してピースして自撮りする胡田イチカのニヤけた姿が写っていた。
「は? え? は? 巻波さん? え? 整理できないです? 俺の事しってた? え?」
「だからぁ。舞城ユキヨくんのことをね、イチカちゃんがペラペラ喋ってくれたのよ。仕事のことからプライベートのこと、イチカちゃんと呑んでる時は、舞城くんペラペラ喋るからーって、イチカちゃんも色々相談してるみたいだとか言ってたけど、彼女かなりキミの情報持ってて、アタシも楽しくなっちゃってね。イチカちゃんと三人で今度飲みたいから、ユキヨくんの話もっと聞かせてーって感じでね。だから、キミのこと色々と先回りに知っちゃってるんだ」
 俺は鯉みたいに口をパクパクさせながら、巻波あすかさんの話を聞いていた。
 イチカと巻波さんが知り合いで、イチカが俺の事を紹介してたから、巻波さんは予め俺の事を知った上で、今までずっと話してたってことだという理屈が全然信じられなくて唖然とした。
 巻波さんは俺の表情があまりにも可笑しいのか、ずっとニヤニヤしながら顔を眺めて楽しんでいた。
「いやね。アタシもビックリしたのよ。今日、試写室で話しかけられた時にパニくって何が起きたのか分からなくて焦ったけど、頭の中で線を引いてったら段々合点がいってくワケよ。出版社勤務で近頃映画関係の仕事を回されて躍起になってあんまり飲み行く機会が減ってるって愚痴ってて、そんな忙しいんだ? って聞いたら、普段は端役だからサポートばっか担当してんのに、いきなりメインみたいになってあちこち連絡し回ってるらしいと。趣味の映画もなかなか観れないって、映画の仕事やってんのに映画観る時間削られるってどゆことだよ! って酔っ払って喚いてたってね。でね。アタシが甘めのフラペチーノ持ってきたでしょ。あれもイチカちゃんから聞いたのよ。甘党なのに酒好きだって」
 唖然。とは、この事だ。胡田イチカ……オマエはとんでもないバカだ。
 そして、そんな奴にペラペラ喋ってしまった自分よ。お前はもっと阿呆だ。
「ちょっと待ってください? 名前知ってたんなら、今日会う前から知ってたってコトですか? 電話とかで連絡取り合ってた時から?」
「いやー。イチカちゃんが、ユキヲ、ユキヲって名前間違えて話すから、舞城ユキヲ……。違う人なのかなって思ってて」
「確かに……。アイツ酔って気が良くなると、俺の名前をユキヲって呼び始める癖があるんですよ……。ってか、会ったばっかの人の前で、そんだけ酔って何ペラペラ話してんだよ……」俺は頭を抱えた。
 あすかさんは、あまりの申し訳なさに、少し照れながら、
「だから、今日会うまで全然わかんなかっんだ。その事も頭から消えてたから。今日会って、めっちゃビックリしたんだもん。あ! 写真の人だ! って。マジビビったんだから」
 何なんだ。この擦れ違いの偶然の重なりは。頭の中で全く整理が付かなくて、脳の機能が軽くフリーズしていた。
「えーっ。んー。あの。じゃあ顔合わせてから、今日一日、ずっと巻波さんの掌の上で転がされてたんすか?俺は?」
「うん。そだよ。」サラッと肯定して、
「答え合わせしてくと、イチカちゃんが言ってた通りの子なんだもん。こっち笑い堪えるの必死だよ」
 巻波あすかは興奮して鼻息荒くテーブル下の足をバタバタと動かしていた。
 ここが公共の場所でなかったら腹抱えて床を転げ回っていることだろう。
 表情から滲み出る不敵な感情が伝わってきて、ゴルゴンの尾に絡めとられた憐れな男が一人石に変えられてしまうのだろう。
 巻波あすかに恐怖を覚えた。
「ふふ。そんな顔しなくて大丈夫だって。煮たり焼いたりする訳じゃないから。今日一日の出来事は、でっかいネタになるなってホクホクなだけ。その笑顔ってことでね。」
 巻波さんはふふふって笑って、俺の肩を小突いた。
「まぁ……打ち合わせはちゃんと出来たから、問題なしってことで。この理解でいいですか?」
俺は無の表情で問いかけた。巻波さんはそれを聞くと、んーっと斜め上を見つめて時間をかけてから、
「えとね。その認識で問題ないんだけどね。色々喋ってくれすぎたっていうか……、愛がなんだの話とかね。ロマンティックラヴエピソードを爆笑しながらイチカちゃん話してくれたとか。あとはね、イチカちゃんインスタとかツイッターやってるらしいんだけど、そこにキミの事色々書いてるっぽいのは知っといた方が……いいかも。あの……。アタシも聞けなかったことあったから、連絡先聞いた時についでに、SNSとかやってる? って聞いたんだ。アタシは仕事用も兼ねて色々やってるからフォローしあおうよーってね。そしたら、教えてくれたんだけど、今見せた写真。アレも彼女載せてんの。ヤベー……と思って大丈夫? って聞いたんだけど、イチカちゃんは、アイツには内緒にしてっから大丈夫大丈夫! ってね。うん。ね。キミの名前が書いてないだけで、今日こんな事話したーとかけっこう細かく書いてあるから。コレはさすがに、今日伝えなきゃと思ってた補足情報ですね……」
 巻波さんは流石に哀れに思ったのか、改まった口調で、ゆっくり俺が受け止められるスピードで話してくれた。
 その気遣いが余計に悲しく感じられて、消えてなくなりたい……の表情が一層濃くなったと思う。
 巻波さんは俺の肩に手を置いて、ドンマイと言った。
「イチカ……。イチカ……。あのやろう。じゃあですよ、垂れ流されてるってことですか? 俺の個人情報」
「まぁフォローしてる人少なかったから大丈夫だと思うけど、分かる人には分かっちゃうからなぁ。いつか一緒に飲み行く! って思ってたから、ユキヨくんのこと色々調べちゃって、初対面なのにこんだけ話せるんだもん。ちょっとヤバさは感じるよね」と、こめかみを掻きながら気まづい顔して最低限のフォローをしてくれた。
 俺は放心状態で、「どう整理したらいいかわからないです。胡田イチカをブン殴りたい気分です」と言って、口から魂が抜けた様に天井を見つめた。
「やめときな。勝てっこないからあの子には。口でも腕っぷしでも彼女の方が上手だもん。それに、今度飲み行こ! それでお友達ってことでチャラにしちゃおう。アタシもユキヨくんのこと観察したいから丁度いいってことでね」巻波さんは俺を憐れんで背中をさすってくれた。
 飲み過ぎた明け方のガード下の光景が頭に浮かんでゲロ吐きたくなって、思わず、うぷ……と胃液が昇ってきそうになる。
「でさ。アタシこの手の仕事してるから色々知ってると思うの。だから、とりあえず今回の仕事の件が落ち着いてきたら、何か手助けしたげるよ。知った仲ってよしみでね。まぁ一方的に色々知りすぎてるだけではあるけど……。それでも、仕事の事とか人を紹介するとか、そゆうの得意だからさ! それで穴埋めさせてもらいます」そう言って丁寧にお辞儀した。
 半分意識飛んだ状態で、こちらこそどうぞよろしくお願いしますのお辞儀を返した。
 苛立ちと哀しみが入り混じった感情で呆けてると、「まぁ、そうゆう事だから、また今度会おうね! そん時、色々話しましょ。今日アタシ話しすぎちゃってこんな時間だからまた今度会おう! その時に一緒に作戦会議だ! イチカちゃんの暴走は、ちょっと問題あるとアタシも思うから」と、苦笑いしてみせると、荷物を片付けて飲みかけのカップを俺に差し出すと、自分が飲み切ったカップを丁寧に整理してダストボックスに持っていってテキパキ分別していた。
 俺は放心状態の中、残ったフラペチーノをスプーンとストローで掻き込むように平らげると、ある出来事が頭に浮かんできた。
 ん? もしや、これは一矢報いる策が浮かんだやもしれん。
 甘々のフラペチーノは俺の血糖値を急上昇させて活力が補われていく。
 巻波さんはテーブルに戻ってきて、大丈夫? と、心配しながら俺の飲み干したカップを片付けてくれようとした。
 俺はそれを手で制すと、巻波さんをキリッと見つめて、「巻波サン! イチカから聞いてることって俺のほとんどって事ですよね」
「う、うん。たぶん、あの感じだとほとんど知っちゃってると思うよアタシ」
 急に意気揚々生気が戻った姿にビックリして、頭でもおかしくなったかと心配の眼差しで反応した、
「と、いうことはですよ。ということは、俺が胡田イチカと一悶着あったってのも?」問いかける様に聞くと、
「うん。何となく知ってる。というかけっこう知ってると思う」
 それならば、俺は偶然から思いがけないチャンスを手にしたのかもしれない。
 巻波さんに向かって、「巻波さん! 埋め合わせするっておっしゃいましたよね。それ、次会う時に返してくれませんか? 次に飲み行く時にちょっと手伝ってほしいことがあるんすよ!」
 俺のキラキラした眼差しを見て、何かを察した彼女は俺の横に座ると、「おぬし。さては、なにかをひらめいたな?」と、悪代官同士の会話の様な言い方で返すと顔を近づけて、俺の次の言葉を待った。
 二人で暫しの密談を交わすと、「ホウホウ。そりゃおぬし、なかなかやりますな」と、巻波さんは悪どい笑みを浮かべながら、おぬしも悪よのぉと言わんばかりに、俺の胸を肘で小突いた。
「ぜひぜひ、たのんます。次会う時は一連托生ってことで。宜しくお願げぇします」巻波さんは満足そうに、「いやいや、コレ程面白いネタには出会えないもんだから、コチラこそ宜しくおねげぇしますよ」と、二人でニヤニヤ笑って、すぐさまテキパキと後片付けを始めて、店の外へ出た。
 駅までの道中で軽く打ち合わせてから、彼女は別の用件でここでお別れって時までやり取りして、お互いキリッとした顔でほいじゃあ! ここでっ! と言って、是非とも宜しくお願い致します! と俺が言うと、彼女は任して下さい! と、互いに敬礼して、それじゃまた仕事でよろしくっ! と言って彼女は地下鉄へ下る階段を降りていった。

——店を出たすぐに彼女がボソッと、こんな複雑な巡り合わせなんてあるもんなんだねぇ……とボヤいたのを思いだした。


―― 第4話はコチラから!

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