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こんにちは、そしてこんばんは。

のんたSENSEIです。

貴重なお時間を使っていただき、私の自己紹介を読んでくださるなんて、涙がナイアガラです。本当にありがとうございます。

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私は小学校で勤務した経験から、若手教員のサポートをしたいという思いがあって、このnoteをはじめました。

なぜそんなことをし始めたかというと、それには私自身の若かりし頃の苦い経験がもとになっています。

そりゃあもう、ジョージアのブラックコーヒーを100倍濃くしたくらい苦い思い出です。あ、言い過ぎました。そこまででもないです。

少しの間、お付き合いいただけたらと思います。

何も知らなかった幼少期

私は、学校の先生の両親から生まれました。生まれながらに教員一家の子どもでした。

小さい頃は何をしてもダメで、得意なことといえば絵を描くことくらいでした。よくぼーっとしていた少年でした。

家族の中ではしっかりもので通っていたのですが、学校に行くとぼーっと人間と認識されていたようです。

例えば、運動会の徒競走で、自分がどこに並べばいいかわからなくなる子でした。

運動が苦手で、人の動きを見て真似をすることができず、体が思うように動いてくれない経験ばかりありました。

サッカーをすれば明後日の方向に蹴ってしまうし、野球は最悪でフライを取ることができなかったです。

小学校や中学校ではいじめられたりもしました。大したことではなかったですが、誰しも経験?するのかな。そんな程度でしたけど、自己肯定感を低めるには申し分ない経験でした。

小学校の頃は今思い出しても吐き気がする「とある経験」をしました。

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詳しく知りたい方は上のリンクから見てみてくださいませ。私が「学校なんて大嫌い」と思う事件でした。

そんな私も、浪人しながらも大学に進学。教育学部に入学しました。

なんで教育学部か? 学校なんて嫌いだったのに、流され続けて離岸流に乗って…。自分の意思がなく、情けないことに大学進学しました。

教育実習に行くと、毎日夜遅くまで教室掲示や指導案を作らされ、そりゃあ辛い毎日でした。担当の先生は私に厳しく接してくれました。

今でこそ感謝していますが、当時は辛かったなぁ。でも、最後の日に「息子のようなもの」という言葉をいただき、愛情をもって厳しくしてくださったんだと感じました。

大学を出て、とうとう小学校の教員となりました。とはいえ、教員採用試験には落ちたので、講師として出発でした。

荒れまくる教室、出なくなる声

私の初任校は、生徒指導困難校でした。

学校全体が落ち着かなく、様々な問題を抱えている子どもたちがいる学校でした。

私はそこまで優れた教員でありませんでした。だから、クラスは荒れました。

子どもたちと一生懸命外で遊んだり、親身になって接したり努力しました。

学級通信も50通以上書きました。

それでも、なかなかクラスは落ち着かず、指示は聞けない、友達と喧嘩する、そんなことばかりでした。

気づけば声を張り上げて怒鳴り、週末になると声が出なくなる始末。

いつしか、「この生活、定年退職まで続くの…?」と思うようになりました。

思い返せば、1年目から「辞めたい」と思っていました。

それでも先輩の先生や親からは、「続ければ楽になる。最初の3年頑張れ」と言われました。

頑張りましたけど、うまくできませんでした。

保護者からのクレームもたっくさんもらいました。

理不尽なものもありました。訴訟問題に発展しそうなものもありました。

本来、私は人に何か教えるなんておこがましい存在なんです。

でも、とっても助かったことが1つだけありました

それは、新任のときの主任の先生です。

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主任の木下先生は、私にとても親身になってくれました。ご自分の仕事が忙しいのにも関わらず、1週間の授業の予定や1時間ごとの授業の構成や流し方を細かく教えてくださいました。

とっても感謝しています。木下先生のおかげで、私は初任を乗り越えることができました。

そして、少しずつ経験を重ね、逆に若い先生の話を聞く立場になりました。

私に話をしてくれたとある先生は、こんなことを言いました。

「私が新任の頃の先生は、私に冷たかった。何も教えてくれず、聞きづらい雰囲気を出していた。」

「聞かないでいると、「あなたみたいな聞かない新任の先生は初めてだ」」と嫌味を言われた。

その先生はとても心を痛めていました。

私は運良く先輩の先生に色々アドバイスを貰うことができました。

でも、誰にも相談できず、気軽にアドバイスを貰うこともできず、孤独を感じている先生もいるんです。

そして、とうとう私も…

私が講師として仕事をし続けていると、いろいろな学校に勤務することになります。

産休の先生の代わりに入る立場だったので、産休の先生が異動となると、私自身も異動しなくてはいけなくなりました。

そして異動した先の学校が、魔境でした。

開始1ヶ月で崩壊。

クラス? まぁクラスも落ち着かなかったですけど、崩壊したのは私自身でした。

その時の学校は、誰にも相談できない、不安しかない状況でした。職員室はこころが休まる場所ではありませんでした。

私と一緒に組んだ先生とも反りが合わず、どうしても自分から話しかけられなかったです。

今でこそ、そんな状況を作ってしまった自分に落ち度があることも重々承知ですが、あの頃はそんなこと思えないほど毎日苦しかったです。

ある日、朝起きると体が重くて動かなかったです。

頭が痛くて、足が学校に向かない…。

様子がおかしいと思った妻が私を病院に連れていってくれて、そこで診断されたのが「うつ病」でした。

結局休職をすることになり、多くの先生方や、当時のクラスの子達には迷惑をかけました。

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誰かのサポートなくては生きていけない世界

先生の仕事は過酷です。精神的にも気を遣う場面ばかりだし、こなす事務の量も半端ないです。疲れてても笑顔ではつらつと過ごし、放課後は鬼の形相で仕事をこなす。

帰宅したらぐったりです。

家族との時間をもつ余裕もなく、土日はただ月曜日が始まるのを恐れる。

そんな世界です。

それでも、同僚の先生と力を合わせることができるなら、生きていけると考えます。

錆びついたマシンガンで戦場に向かう同志。もし同僚の先生にそんな感覚をもてるのなら、きっと仕事も苦しいことばかりではないはずです。

ですが、なぜか学校の職場にもいじめはあるし、人格的にどうなの?という先生もいます。

先生なのに?

そうなんです。

先生の前に、1人の人間だからです。

だから、先生である必要のない職員室では、1人の人間として誰かを傷つける。

そんな状況で、私達は生きていけません。

世の中には、たくさんの若い小学校の先生がいて、きっと苦しんでいる先生もたくさんいると思うんです。

大学では小学校の免許を取得することはできますが、実践的な内容は教えてはくれません。というか、大学は職業訓練の性質よりも、学問や研究機関としての性質のほうが色濃いです。

だから、教育学部で学んだことが実践ではほとんど役に立たない。そんな状況なんですよね。

医学部で学んだ手術の方法が、実践で役に立たない。そんな状況ってあまりないような気がします。

でも、教育学部ではそれが起こる。

私達が大学で手に入れた武器は、実践ではスライムと戦うので精一杯の「ひのきのぼう」なんです。

でも、クラス担任になったらすぐさま強敵と戦うことになるのです。職業訓練が不十分なまま、バラモスと戦えますか? 無理ですよね。

だから、教員をせっかく志したのに、1年も経たずに辞めてしまう先生が沢山います。

せっかく大学時代から、多くの時間とお金を費やして就職した教職を、1年も続けないで辞めてしまうのは、あまりにもったいない。

それも1つの選択だとは思います。でも、できるなら、「仕事が辛い…月曜来ないで…」と思って生活している先生の味方になりたい。

私はそう思うようになりました。

私の恩師の木下先生のように、遠い場所だけど、ネットの世界での同僚の先生になりたい。そう思うようになったんです。

「自分が今まで培った経験」を元に話ができるなら、それが苦しんでいる若い先生の役に立てると思ったんです。

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あなたはひとりじゃない

私は、あなたに「そんなこともできないの?」とは言いません。

「もっと主体的になったらどう? 自分の頭で考えなさい。」とは言いません。

「そんなにやる気がないなら、先生やめれば」とは言いません。

私は、

「どうすればいいか、一緒に考えよう。」

「私にも同じ経験があるよ。私はこんなふうにしたよ。」

「つらい気持ちわかるよ。手を抜けるところは抜いていこう。」

といいます。

そして、「しんどいかもしれないけど、一緒に乗り越えていこう。」といいたいです。

私の夢

私の夢は、教員のみなさんが気軽に集まって、悩みを相談しあえるプラットフォームをつくることです。

リアルでは無理でも、ネットならできます。

お互いがしんどさを分かち合い、アイディアを出し合い、協力しあえるコミュニティを作りたいって思っています。

そして、「月曜しんどいかもしれないけど、この仕事は悪くない」と思える教員が、この日本に増えたら、日本の未来も少しは明るくなるんじゃないかなって思うんです。

日々しんどいけど、きっといつまでもそれが続くわけじゃない。

私達は日々の経験を積み重ね、強くなれる。

そして、私達の働く環境も良くなっていくに違いない。

もう夜中の10時まで残業して、残業代も出ない日々は終わる。

きっと土日も部活で、私生活が崩壊する事例はなくなる。

保護者の罵声を浴びる日々がこなくなる。

お互いの仕事の価値を実感でき、子どもたちと笑顔で毎日過ごすことができるようになる日がきます。

そうなるまで、一緒に歩きませんか?

無気力だった私が教員になって、ようやく見つけた情熱です。

このことをするために、私は教員になったんだって今思います。

意味を見出すことができた。

ともに、本当は尊い小学校の先生って仕事を、本当に楽しみませんか?

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最後に

ここまで読んでくださってありがとうございます。是非感想などのコメントをいただけると、涙がナイアガラのように流れます。

そして、いつかここでコミュニティを作りたいって本気で思っています。

たった少しでもいいから、私に力を貸してください。

悟空でいうところの、元気玉の気持ちです。

まとまらない長い文章でしたが、本当にありがとうございます!


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