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みんな『しんどい』の形は違うよね

今週、次女は頑張って毎日登校してます。素晴らしい頑張りぶり😭

朝から給食が終わるまで『いる』ことをルーチン作業化しようと、支援の先生と話し合って決めて決行。選択することが苦手な次女に「休む or 休まない」「早退する or しない」「するならいつするか」などのたくさんの選択肢を与えることで疲れ切ってしまうのをなんとかしてみようという作戦です。

で、疲れた時にヘルプが出せない次女は居眠りしちゃうことも沢山あるんだけど、それも『しんどさの表現をする』ということでOKをいただきました。

学習障害で書字も読字もめちゃめちゃエネルギーがいることな上、彼女は聴覚優位。なかなか学校でできる支援方法がないんだよね…。

私が住んでいる地域には、支援級所属してても普通学級内でずっと一緒に授業を受けるから、支援担がずっとそばにいるってこともできない。人員が足りない。

クラスメイトの視線や自分がうまく出来ないこと、どうも多くの人と自分が違っていることに気がついてしまうこと。社会性が育つとそんな辛さが現れてきてしまう。


今朝は、授業中にしんどくてつっぷしているとクラスメイトにそれを怒られるから行きたくないと私に言えた。

しんどいことを声に出して言えるのってすごくエネルギーがいることだから、頑張ったなと思う。言ってもらえたらこちらも動きようがある。


で、今日は朝から一緒に学校に登校して、先生方に相談。しんどくてつっぷしてちゃうけど、必要なことだからそっとしておいて欲しいことを担任の先生がクラスのみんなに伝えてくださいました。


正直なところ、段階を踏んで次女のしんどさをあからさまに伝えてもいいかなとずっと思ってるんだよね。次女のしんどい部分とは違う形でしんどい子も絶対いるはず。でもそれはその子がだめってことじゃないはずだけど、当人は『なんで自分はいつも怒られるんだろう』とか悩んでるかもしれない。

みんながおんなじでいるなんて、それは無理な話だよね。それぞれが得意・不得意あっていいし、やり方が違ったっていい。感じ方も伝え方も学び取り方も違う。そういうことのかけらでも、次女の話から感じ取ってくれないかなと思ってます。

そしたら、誰かが困ったことを手助けしてもらってる時に『ずるい』って言葉は出なくなるんじゃないかと思うんだよね。『ずるい』と思っちゃう子は自分が困った時に助けられた経験がないからなんじゃないかな。困り感とそれをどうにかするための対応は人によって違うこと。羨ましく思っても自分にその方法があっているかは分からない。かえって大変かもしれない。そういうことを、どんな子もが少しずつ学べる環境ができたらいいなぁ。

『発達障害』という言葉認知度は上がったと思いますが、実際の発達障害児の生活や家庭内の状況ってなかなか実感していただけないなぁと思い、書き始めました。 子育てに必要な勉強を続けていくために、「投げ銭」という形でご支援いただければ励みになります。 よろしくお願いします。