見出し画像

【レビュー】「佐伯祐三ー自画像としての風景」展〜刹那に、ほとばしる絵具と熱情〜

先日、東京ステーションギャラリーで開催されている展覧会「佐伯祐三ー自画像としての風景」を鑑賞した。

同展は、2023年1月21日〜4月2日まで、東京ステーションギャラリーで、また4月15日〜6月25日まで大阪中之島美術館で開催される。



佐伯祐三(1898~1928)は、フランスの街角の風景を数多く描いたことで知られる洋画家だが、今回の展示では、佐伯の作品の主要なモチーフであるフランスだけでなく、佐伯の生誕の地・大阪、学生時代と一時帰国時代を過ごした東京にもスポットを当てている。大阪と東京は、今回の展覧会の会場でもある。

佐伯の描いたフランスの街並みを、私はこれまでにも美術館でたびたび目にしてきたが、佐伯が描いた日本の風景画を見るのは、今回が初めてだった。
東京で佐伯の回顧展が開催されるのは18年ぶりのことらしい。

佐伯祐三といえばこれこれ、というような代表作だけでなく、へぇ…こんなものも描くのか、という驚きのあるのが回顧展の面白いところ。

東京会場の展覧会チラシに「赤いレンガ壁の空間で味わう、重厚なパリの街並みを描いた数々の名作」と謳われているように、作品の世界観に没入できるような空間で作品と向き合えるのも、この展覧会の魅力の一つ。 

私は夕方に展覧会を見終えたが、会場を抜けて、明かりの灯る、夕映えの東京駅を眺めていたら、佐伯の生きた20世紀初頭の世界と地続きの場に立っているような感覚に陥った。



さて、冒頭で、先日この展覧会を鑑賞したと書いたが、実は鑑賞してから、ひと月が過ぎようとしている。

今春から美術館の学芸員になる私は、今年からは展覧会のレビューをちゃんと記録として残そうと決めた。…はずなのだが、筆を執ることをためらってしまっていた。

その理由は、率直に申し上げよう、学芸員の卵という肩書のプレッシャーによるものである。

これまで私が専門として学んできたのは西洋美術史。学芸員の試験前から、日本近代美術の本も読み漁ったが、かといって素人の域を脱せていないというのが実情だ。

ということで、今回の記事では、作品に関する知識を披露することはできないにしても、作品について考える過程を提示してみたい。

私が、普段どんなふうに展覧会を楽しんでいるのか、作品のどんなところに着目するのか、そして、どんなことを考えているのかをご紹介しよう。

作品へのアプローチの手法を示しつつ、作品や作者に思いを馳せていく。

作品を楽しむヒント、考えることの面白さ、そのほんのカケラでも伝えられたら、と思っている。



美術展の楽しみ方①近づいてみる

美術展で作品を見るとき、私はとりあえずできるかぎり近づいてみる。

ぐっと近くから見る。
(もちろん、作品に触れたり、床に引かれたラインからはみ出すことはしない)

近くから見てどうするのか。

どんな小さな発見でもいいから、写真ではわからないことを探すのだ。
探偵になったつもりで。

たとえば、この作品をよく見てみる。


すると、この絵の衣服の白い斑点は、写真では塗り残しのようにも見えるが、黒い衣服のうえに塗り重ねたものであることに気づく。

画家は、白い絵の具を衣服の上に飛び散らせた。

これが、発見だとすると、次に疑問が浮かぶ。

白い斑点を衣服に散らせているのはなぜか。

答えは、わからない。と先に言っておこう。

画家自身も、答えなんて持っていないかもしれない。

だが、推測してみることはできる。

まず、画面の中に、白い絵の具が使われている箇所がほかにもある。特に目につくのは、パレットの白色、絵筆の白さだ。

この画面の状況からして、画家が白い絵の具を衣服に飛び散らせながら描いている様子を再現していると見るのが、自然だろう。

でも、わざわざ飛び散らせているところを描かなくともいいわけで、こんなふうに絵の具を飛び散らせているさまを描いていることに、画家のこだわりがあるような気もする。

なぜ自画像を描くときに、絵の具がほとばしる様子を描いたのか、
と、また疑問が生まれる。

そんな疑問をもちながら、立ち止まってもいい。
疑問を抱えながら、その答えを他の作品に見出してもいい。
会場を出るまでに答えが見つからなくてもいい。

大事なのは、問いを立てることだと私は思う。

この記事の中で、仮説をあとで立ててみるが、とりあえず、ここでは疑問を抱いたまま先に進む。



美術展の楽しみ方②共感してみる

美術作品を前にしたとき、私はとりあえず共感できそうなところを探す。

共感というと、最近では心優しい人の特技のように語られているけれど、ここでいう共感はそんなに難しいことではない。

この光景、この感覚、なんだかわかる気がする!

そのくらいの気持ち。

たとえば、この作品を見たとき、私はそんな気持ちを抱いた。

この絵を見ていたら、小学生の頃、近所の空き地で妹とそりすべりをしたことを思い出した。

空き地には、土が盛ってあって、小さな山の形をなしていた。山といっても、5歩くらいで山頂まで登れてしまうほどの小さな山だ。でも、そんな小さな山でも、雪が積もると、そりすべりができた。

でも、スキー場とはちがって、滑りつづけているうちに山の雪は禿げてきて、雪の下の地面の土が雪に混じってくる。


この作品を見ていたら、そんな光景を思い出していた。

懐かしい。

そう思うと同時に、すこし可笑しくもあった。

だって、雪景色を描くなら、こんな土に汚れた雪じゃなくて、雪がしんしんと降りつもる美しい光景を描いたっていいのに。

でも、画家は、あえてこの薄汚い雪景色を描くことを選んだ。

そうすると、一つの仮説が浮かぶ。

画家は、汚いもの、卑近なものを好んだのではないか。

浄らかなものを美とするのではなくて、粗野なもの、生活感が滲むものに美を見出した、いや美しいかどうかなんてどうでもよくて、ただそこにあるものを描きたかったのではないか。

美しい雪景色よりも、土がむき出しになるほどに、そりすべりをしつづける人々を描くことで、人々が雪が降ったことを喜んでいたことがよくわかる。

そう考えると、自画像で絵の具を飛び散らせていた理由もわかるような気がする。

白い斑点は、自分は小綺麗な絵描きではなくて、絵の具をほとばしらせながら描く絵描きなのだという証なのかもしれない。


展覧会の会場では、そこまでの仮説しか立てられなかったが、後日こんな記述を見つけた。佐伯の友人による言葉だ。

彼のモテイフに所謂汚いものでない何物があらう。廣告ビラで糊つぎになつた家屋ガラクタの場末、物置、共同便所、靴屋、自動車小屋、場末のキアフエ・テラス、其他われわれの日常觸れるものゝうち所謂汚い部分が彼のモテイフであり、そうであればある程彼の作品は特殊に充實した切迫感をもってゐる。

前田寛治「佐伯祐三君の藝術」『没後50年記念佐伯祐三展』展覧会図録、1978年、p.28


美術展の楽しみ方③時代背景を知る

近づいてみる、共感してみる、はだれにでもできることだが、美術鑑賞を難しいと考える人が多いのは、知識がないことを引け目に感じているからではないかと思う。

だが、美術鑑賞にとって、知識が絶対に必要なものとは、私は思わない。
むしろ知識が先入観となって、目を塞いでしまうこともあると思う。

それでも、知識があることで見えてくることもある。

知識は諸刃の剣だ

と前置きしたうえで、今回の展覧会の鑑賞に役立ちそうな背景を2つ紹介してみたい。

まずは、この時代における「結核」という病について。

佐伯祐三は、結核に冒されいた。

今回の展覧会では、肺病という言葉が使われていたが(なんらかの配慮なのかな)、結核という病とこの画家を切り離して考えることは難しいように思う。

結核は、第二次世界大戦中を除いて、1950年代半ばまでは日本の最大の死因だった。

知識人や芸術家の犠牲者も多く、作家では樋口一葉、正岡子規、石川啄木、画家では青木繁、村山槐多、関根正二、中村彝らが夭折している。

この病は、19世紀に流行したコレラとは異なり、病状の進行が遅く、死に至るまでには時間があり、治癒することもあった。
したがって、結核患者は、じわりじわりと忍び寄る死の影を恐れながらも、生きる希望をもちえた。

しかし、佐伯祐三の場合、20代のはじめに、父親と弟を相次いで亡くしている。残された時間が少ないことを、佐伯は自覚していたかもしれない。

佐伯の作品に見られる、素早い筆致、画面の切迫感がすべてこの病に起因するといえば、言い過ぎになるだろう。

だが、晩年の鬼気迫る描写を見ていると、病の進行が画家に与えた影響を考えずにはいられない。

均衡が崩れそうになりながらも、迫りくるような画面を見つめていると、画家の背負っていた命の重さが、ずんと肩の上にのしかかってくるような気がする。



この展覧会を見るにあたってのもう一つ背景知識として、「フォーヴィスム(野獣派)」も挙げておこう。

ヴラマンクの《セーヌ川の曳き船、シャトゥー》のように、フォーヴィスムは、自然の色にはこだわらずに、チューブから絞り出した色をそのままカンヴァスにおき、色の強さや純粋さを活かしているのが特徴。

筆触も、モネやルノワールといった印象派の画家たちよりも、さらに荒々しく大胆になっている。

彼ら(=フォーヴィスムの画家たち)に大きな刺激を与えたのが、「自分の目の前にあるものを正確に再現するかわりに、僕は自分自身を強力に表現するために色彩をもっと思い切って使う」と語ったゴッホと、色彩の「神秘的で謎めいた力」を信じ、その「音楽的な効果」について語ったゴーガン、それと印象派から出発しながら色彩の純度と輝きを高めたスーラ、シニャックの新印象主義であった。

千足伸行「マティスとフォーヴィスム」『新西洋美術史』1999年、西村書店、p.370


佐伯が渡仏した折に、ヴラマンクから「このアカデミック!」と叱責を受けた逸話は有名だが、原色を力強く使い、粗いタッチで描いていくこと、ゴッホへの憧憬、パリの街角の広告を描く流れるような線がどこか音楽的であることなど、佐伯の画風とフォーヴィスムには共通するところが多くある。

ただ、佐伯は、そのフォーヴィスムの枠に収まっていただけではないだろう。

マティスやドラン、ヴラマンク、デュフィなどのフォーヴィスムの画家たちの作品は、当時にしてみれば野蛮な描き方であったかもしれない。だが、人物画や長閑な風景を描いた彼らの絵は、現代の感覚で見ると、野獣フォーヴというよりも、お洒落な絵に見えてしまう(それだけ、現代の感覚に彼らの与えた影響が大きいとも言えるのだが)。

一方、佐伯の絵は、お洒落な絵という言葉では片づけられない何かがあるように思う。

それは、天才だとか、夭折の画家だとか、そんな言葉でも言い尽くせない。

今回の展覧会で展示されているのはフランスの風景画なのだが、旅行気分で楽しく見られるよ、とは勧めにくい。

佐伯の絵画は、「風景画」という言葉からイメージするものを、おそらく凌駕しているから。

「自画像としての風景」という今回の展覧会のサブタイトルは、佐伯の絵をよく表した言葉だと思う。


美術展の究極の楽しみ方「持ち帰る」

ここまで、展覧会の楽しみ方を書いてきたが、私の思う美術館の究極の楽しみ方は、美術展を「持ち帰る」ことだと思う。

それは、ミュージアムショップで何かを買って持ち帰りましょうということではない(もちろん、それもステキなことだけれど)。

美術展で疑問に思ったことを調べてみたり、展覧会について誰かに話してみたり、こうして展覧会評を書いてみたり。
あるいは、家に帰ってから美術展のことを思い返してみる。それだけでもいい。

そうやって、日常の中に美術展を「持ち帰る」のだ。


私自身は、展覧会を観てから、画家が亡くなった年齢を、そしてその年齢までに画家が成し遂げたことを、何度も思い返していた。

今年29歳になった私は、画家が亡くなった30歳という年齢を、あまりにも身近に感じたから。

あと1年しか残されていないとしたら、何をしたいと思うだろう、いったい何ができるだろう。そんなことを考えた。

と言うと、この展覧会に向かう足取りが重くなってしまうかもしれない。

たしかに、佐伯の作品には、見つめていると苦しくなるような、自分自身に生きることの意味を問いかけたくなるような、重さがある。

でも、それだけではない。

それ以外に、何があるのか、をここでは語らない。

それを、ぜひご自身の目で見つけて、美術展を「持ち帰って」みてほしい。