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「真似とマネーとAIと金と」(随筆)2024/02/26 非おむろ

【序】


 本稿は小説ではないので、木製の鎖鎌を腰に巻いた名探偵や、貨物列車の上で闘う破戒僧、元水道局員の限界状態のおじさんにネカマのおじさんといった、私のオリジナルキャラクターが所狭しと暴れ回ったりはしない。〝抑(そもそ)も非おむろの小説って、暗くてつまらないし、読む価値が無いのでは?〟という議題も、今回は捨て置く心算(つもり)だ。
 まあねェ、百四十文字に収める算段で書き始めたのに、存外長くなってしまった故、noteにしただけで、随筆というか呟きというか戯言というか。少なくとも、有益な法的知識等はこの文章達からは得られないであろうことを保証する。

 真似とAIとマネーと金と、他ならぬ私達──令和の人類──について、随(まにま)に筆を執った次第だ。筆を執った、といっても、現代では実際には硯で磨(す)った墨を用いるわけではない。ノートパソコンのキーボードを、舌や前歯で叩くだけだ。
(今回は、性的な描写を控える方向だということがお分かり頂けただろうか。)



【本】

《真似》

 「学ぶ」の語源が「真似(まね)ぶ」だと聞いたことのある人も少なくないだろう。「ぶ」は動詞を作る為の接尾辞とのことだ。(現代人が動詞を作る際は、「る」という接尾辞を選びそうだ。 「(カラ)オケる」「バミる」「コメる(=コメリへ行く)」……。
 兎に角、真似、という行為は、学習、修練、教育においては、基礎であり必須であり原点である段階だ。初期段階。一時間目の授業だ。一時間目の授業なくして、二時間目の授業の理解はない。(特別な横道を使用せぬ限りは。)

 真似、という行為は自己研鑽の第一歩だ。

 文においても、真似ありきだ、擬古典主義者ならずとも過去の読み書き、言語活動を通して、その本人の文章が出て来る。不朽の名作の文章を実際にノートに〝写経〟するという修行方法も、作家の中では、あるくらいだ。造語や新キャラクターを出すにせよ、一から言語を作ることを求められている狼に育てられた人物等ではない限りは、言語習得においては、真似ありきだ。
 曲においても、真似ありきだ。一秒も音楽を聴いていない状態から作曲者になった、というケースは、なかろう。勿論、これからの時代は、〝生まれつき耳が全く聴こえない状態の人が医療技術の効能ありて、二十歳の或る日に初めて音を感じるようになり、その日に作曲をした。〟等というケースもあるかもしれない。併し、令和の現在では、作曲家のうち、限りなく100%に近い人々が、音楽を過去に聴いたことがあるという意味では、真似から入っている。そりゃそうだ。コード進行だってそう。真似ありきだ。
 絵においても、真似ありきだ。他人の絵というより、実際の物を見て、模写をするのは、絵の修行の第一歩だと聞く。絵画の分野によって、現実味を帯びる度合いは大きく異なるだろうが、仮令(たとえ)最終的には抽象画しか描かなくなる人々も──それがどれだけ現実離れした妄想であったとしても、その妄想自体が過去の経験の産物である以上は──まずは何らかの模倣要素を跳躍の土台とした筈だ。真似ありきだ。

 創造においては文、絵、曲の他にも、様々な分野があることは十分に承知している。が、電子紙面にも限りがあるので(私の住む岐阜県に配布される〝インターネットの素〟は有限物質なのだ。)、これくらいにしておく。論を俟(ま)たず、ラジオドラマや彫刻、オリジナルキャンドル作り等においても、技術習得において真似が基盤となっていることは、ここでは述べないが決して忘れてはならない事実だ。俳句なんかはもう、その〝縛り〟の特性から、真似を強要されているような言語芸術だといえよう。

 さて。

 ならええやんけ、真似万歳、はい、おしまい!

 と、なりそうなものであるが、世間で「真似しっ子」が悉(ことごと)く糾弾対象となってきたのは、簡単に言えば〝「真似100%」に近い作品を、オリジナル作品であるとして発表したから〟にほかならない。
 文においては、言い回し自体は異なっていても、明らかにあらすじが過去の有名作品そっくりそのままだとか、そういう問題。
 曲においては、(電子音の選択を含む)楽器が違うだけで、同じ曲やんけ、アレンジか? と思わざるを得ないようなカブリ問題。
 絵においては盛りだくさんで、絵柄やら、構図やら、そっくりそのままコピーしたキャラクターの問題。

 これらは、オリジナルであるという名目を引っ提げる以上、いつも揉める。二次創作であっても、だ。何故なら、一次創作をそのまま完璧に模倣したら、それはもう一次創作をコピーしただけだ。それを発信したら、どの分野でも転載となる。

 オリジナル。
 鯉(てがみ)を認(したた)めるにせよ、文学雑誌の公募コーナーへ投稿するにせよ、文は自らのものでなければならない。
 曲を書くならば、編曲版であろうがコピーバンドの音源だろうが何だろうが、それは貴方だけの曲であるべきだ。
 絵を生み出すのならば、それは、君の、君だけの……。

 これは別に、私の主張ではない。〝私が把握している世間の皆様の平均主張〟だ。倫理的に間違っていたり、胸糞悪い部分があったりしたら、それは、私の把握能力が的確ではなく、内容に誤りが生じたか、或いは──実際に世間の皆様の平均主張が倫理的に間違っていたり、胸糞悪いか、だ。

 なら畢竟(ひっきょう)、真似は善か、悪か。──真似自体に善悪は、無いのではないか。問題が発生し始めるとしたら、その真似を、作品として発信した場面からではなかろうか。
 真似をして学び、研鑽する。善だ。ノートや自分のパソコン内で、その〝真似〟が溜まってゆく。何の問題も無い。
 現代社会では、その次の時点で、難局が待っている。

 SNSへのアップだ。

 例えば……作品として投稿したというよりかは、練習の成果をフォロワー(フォロワーとは何なのか。人類最大の謎だ。不特定多数の知人未満。ドイツではフォロワーの投票によってナチスが選ばれたのだともいえる。これは、冗談ではない。大衆の意思が結晶化した化け物、それもフォロワーの一面。大切な旅の友、それもフォロワーの一面。フォロワーは信じられない程の多面体であり、球体に近い為、よく転がるのだ。形而上学的にも。掌どころか、全身がひっくり返る。……閑話休題。)へ見せる為の下描きの絵。或いは、完成させたとしても、それは習作。習作としての絵。別にR-18やR-18Gではないその絵は、どういう立ち位置なのだろうか。
 私が一次創作の漫画家だったら、
「おう! わざわざ私の作品の登場人物を描いてくれたのか……サンキュー!」
という感じだ。
(尤も、売れっ子作家だったら、取捨選択が発生してしまうことを怖れて、SNSでのやりとりはリ・ポストも含めて控えたほうがよいかもしれないが。)

 習作が一万リツイート。R-18やR-18Gが絡まないとしたら、別に問題はなかろう、と私は思う。世の中には〝悪い意味で〟色々な人々が存在するが、嫉妬心に起因するいちゃもん以外で、その一万リツイートの習作を、非難出来るか? 習作が、二次創作、という名であったとしても、だ。その二次創作イラストを、作者も、世間の皆様も、非難出来るか……?
 この真似の話で出てくる問題などありはしない、という結論になりそうなところで、出て来る問題がある。マネーだ。


《マネー》

 SNSの中には、ペケという、破落戸(ごろつき)、不成者(ならずもの)の吹き溜まりのようなものもある。そのペケで、車屋出身の悪政狂人・クスマ=ンローイは、インプレッションというあほあほ電通臭い、見られれば見られるほどお金が発生する大便システムを実装した。で、〝現在の惨状〟がある。勿論、元々日本のマスメディアはごみくずで、わざと分かりにくくした大事件っぽい見出しでアクセス数を稼いだりと、子どものようなことを頻繁に繰り返してきた。しかし、それを今や、全世界の住民が行えるようになってしまったわけだ。露悪的な広告、陰謀論を含む虚偽のニュース、大小の民間パパラッチ。火の無い所にも煙が立ち過ぎている。
 無論、性善説なぞ嘘っぱちで、人間の本性は悪だ。悪と言うより、侵略。闘争。勝利。それが人間及び全生命の本質。生命力と生殖行為と勝利への希求を、美談の付け焼き刃で切り離そうとするのは、無茶だ。

 併し乍ら、インプレッション・ゾンビは、金を得ているわけだ。

 私は、スパム・アカウントにフォローされようが、自身のアカウントが凍結されようが、どうも思わない。
(スパムにフォローされてびびっている人もインターネット上には存在するようだが、あのー、どれだけ甘い人生を送って来たんだ? 私のように、ちゃんと父から虐待的躾を受けなかったのか? 労働中に怒鳴り合いが発生しないのか? 「助けて!」なんて言葉、言っても無意味だと分かり切っているから使用語彙に入って来なくないか? 何でもかんでも被害者ぶるなよ……!? 一日に千アカウント凍結されたら、一日に千五百アカウントを作ればよかろう。──無料でアカウントを作れるうちは。)
 ただ、パソコンをカタカタして楽にお金を稼いでいる奴が居たら、当然、蹴って鼻を折りたくなる。当然の感情だ。何故、フォークリフトに乗り降りして荷の検査中に怒られて……という苦しい過程を経ずして、〝クソリプ〟一つで金を稼ぐことが許される?

 と、まあ、そんなことばかり言ってしまうと根っからの嫌儲民みたいな雰囲気になってしまうが、話を元に戻すと、インプレゾンビはうんちだとしても、〝二次創作イラストで金を稼ぐことは良いのか?〟という問題が壁として聳(そび)えているわけだ。
 で、SNS──ペケでお手軽化したり、pixiv FANBOXやら〝パトロン〟やらで電子空間を経て作家個人に収入が入る制度が出来てお手軽化したり、ということで表面化したわけだが、本来この、真似を売ってマネーを得る行為は非インターネットの時空間においても問題だった筈(はず)だ。

 二次創作同人誌販売は作者の暗黙の了解によって成り立っている、とよく口にされる。それは正確には、了解でも無視でもなく、〝知らなかった〟というスタンスであり、何か問題が発生したら二次創作者が当然全責任を負ってくれ、という不文律(ふぶんりつ)なのだろう。
 しかし、莫大な稼ぎを二次創作者が手にしたら、どうだろうか? 勿論、一円も、権利元には還元されない。特にR-18。エロは売れる。金になる。倫理的に元の馬のイメージを傷つける、倫理的に元の女児向け戦闘魔法少女のイメージを傷つける、という方向の問題も勿論ある。
 だが、〝現在を含める歴史上に実在した馬や艦隊を擬人化したという経緯からその一次創作自体が元ネタとの権利関係に敏感な作品〟や、〝一次創作自体が元から幼い層へ向けて発信されていてその世界観を壊すわけにはいかない作品〟以外の場合は、どうだろうか。

 電子か現実かを問わず、文でも曲でも絵でも、二次創作は常にグレーだ。だが、目的が、〝元ネタである一次創作を愛する者達が交流する手段としての作品たるべく綴った、奏でた、塗った〟だったら良いだろう。そう思う。売名行為や金稼ぎ目的でなければ、二次創作は許されるべきだ!

 ……と記し切ってしまう気は、実は、私にはない。仮に、悪意は勿論、〝他意〟の無い二次創作作品でも、一億円を稼いでしまったら、どうか?

 キチンと申告して税金を納めて社会貢献をしているからセーフ、という線引きも当然あるだろう。併し、一次創作者は一億円を稼いだ二次創作者の鼻を蹴って折りたいであろうこともまた、無視出来ない。
 一次創作者に無断で行われた金を生む二次創作作品が転載・転売されて、最後に笑うのは転載中毒者・転売中毒者──という最悪のオチも、既に、夜空に鏤(ちりば)められた星々の数程に現実となってしまっている。

 銭が絡むと揉めるのは、人の世の常だ。

《AI》

 で!

 インターネットやSNSで転載が気軽に出来るようになったことや、権利関係者以外の人物が注目を集める(≒金銭を獲得しやすい状態になる)ことは、私が綴るまでもなく皆様の脳内で多少なりとも問題提起され続けているとは思うが……追い討ちのようにごくごく近年発生したのが、AIである。
 AIの擡頭(たいとう)は、同時に、AIに纏(まつ)わる問題が頭を擡(もた)げることを意味した。

 お手軽パクリでうぇ~いうぇ~い! お手軽パクリでうぇ~いうぇ~い! 金ゲット~。

 というわけだ。

 文でも曲でも絵でも、簡単な命令文──巷(ちまた)では、それは〝呪文〟と呼ばれる──を与えただけで、あとはAIが自動生成してくれる。〝作品〟を。
 問題は、このAIの生成も、〝人間同様に〟、〝真似〟を根幹としているからだ。

 人間と同じなら、じゃあ、問題無いやんけ、という意見もあるだろう。そう。そうなんだよ。私もそう思う。問題無いというより、〝AIを経過しようがしまいが、完成したその作品自体に問題があるかどうか〟を判定しなければならないと思う。手描きだろうがAIだろうが、他人のキャラクターを勝手に使用して金銭を稼ぐのは、違法だ。

 なら、なんで? なんで〝AIの問題〟みたいに世間では言われているの!? という話だが、これは〝お手軽さの問題〟であって、〝AI「だけ」の問題〟ではない。携帯電話やスマートフォンの普及だってそうだ、あんなものスパイセットじゃないか。昔はハメ撮りの現像にも苦労したと聞く──。

 AIによって文も曲も絵もお手軽自動生成が可能となった。大学のレポートにAIを使用するのは言語道断として──済まないが私は〝大学において学術を舐めて楽しようとする連中のことが、在学中から赦せなかった〟性(さが)であり、質(たち)だ。──創作物においてAIを使用するのは悪か?
 一次創作であろうが二次創作であろうが、AIを利用したこと自体で問題が発生するとは思えないが……世間が許さないのは〝真似〟要素と〝お手軽〟要素だろう。

 人が一生懸命考えた文ならかぶっていてもOKで、AIを使用したのならば内容が問題無くてもNG。それは歪(いびつ)だろう。有名作曲家が何回も実際にピアノで弾きながら作った、コード進行の構造上、結果的に酷似してしまった曲ならOKで、AIを利用した曲ならばNG。これも歪(ひずみ)。二次元愛好家の熱心な信者達がバックにいる有名絵師が長時間かけて描いたからパロディやオマージュの域を遙かに逸脱した模倣品でもOKで、AIを利用したから具体的にどこが偸盗(ちゅうとう)や剽窃(ひょうせつ)に当たるのか不明な名画でもNG。うん、歪(ゆがみ)。

 併(しか)し、併(しか)しだ、人間と言うのは、自分が詳しくない分野や自分が挫折をした分野、自分が憎んでいる(!?)分野の盗作には、非常に甘いものだ。具体的にツイートを引用なぞしようものなら大荒れになる為その行いは省くが、絵師は自動作曲アプリに甘く、ミュージシャンはAIの絵も気にならない。
(ところで、音楽家のことを〝アーティスト〟と呼ぶようになったのは、2010年代に入ってからではないか? 少なくとも、私の人生では、そうだが……。)

 故意の真似でなくても、似てしまうことはよくある。
 SNSには〝自分が自力で発見したことだから、このアイデアは自分が唯一の、世界最初のものだ!〟と平気で思っている人が多くて、非常に辟易している。
 逆に〝後々結構設定が被っちゃっているけど、この作品はこの人が自力で頑張って創ってきたものだ〟と納得出来ない屎莫迦(くそばか)な輩もおり、収拾がつかない印象だ。
 ジャム、と発音する音楽スタジオに大学時代は多少縁があったが、ジャムを話題にする際に、〝ジャムおじさんがジャムを持参〟と言った人を、私は何人も知っている。彼等・彼女等はおそらく、その駄洒落を、〝自力で発見した〟のだ……。
 また、ニコニコ動画でもpixivでも(記憶違いで無ければ)『まどマギ』のマミさんがバクっと頭部を食べられている場面を『東方Project』の二ッ岩マミゾウでパロる動画・静画が複数あった筈だが、それは最初に投稿した者を〝真似た〟のだろうか? また、真似たかどうかはさておき、最初に投稿した者に、全ての権利があるのだろうか?(これは反語ではなく、疑問だ。私にも分からない。あるのか? ないのか?)


 文の真似、文のAI、文のマネー。
 曲の真似、曲のAI、曲のマネー。
 絵の真似、絵のAI、絵のマネー。


 どの分野のどこまでなら、私は許せるのか。貴方は許せるのか。そして、第三者達は、許せるのか。それはその人の遵法の精神の度合いのみではなく、どの分野を寵愛しているか、どの分野に興味・関心が無いか、或いは、どの分野で挫折したっきりになっているか、が大きな影響元となっているのではないだろうか。
 令和時代に限った話ではないが、人は、少なくとも日本人は、法律よりも印象が優先される。実存が、本質に先行しっぱなしであるように。ミネルヴァの梟は、黄昏どころか、宵闇の中で漸く羽搏(はばた)きを始める始末だ。

 著作権について今回は触れたが、肖像権だって本当はそうだ。多少顔出ししている人がいたとしても、勝手にその人をネットのおもちゃにしていい筈があるだろうか? おじさん、おばさんの年齢になっても、そこらへんのラインも分からない人が、世の中には多過ぎる。

 まあ、世の中には他人の自作ゲームのエンディング画面を投稿するような悪意のある障碍者もいるわけで、インターネットは本当に下水道以下の悪臭空間だといえる。どういう神経をしているのだろう。ああいう連中は、生まれてから一度も、反省という行為をしたことが無いのだろう。当然、奴等は生きるのをやめるのが筋だと思う。

 人類全般が、インターネットの悪い面にうんざりして、インターネットを廃止してしまうというのも勿体無い話だ。仮令(たとえ)インターネットの99.99%が悪意だったとしても、我々は、パンドラの底に放置された「希望」という名の地味で凡庸な色をした、併し乍らかけがえのない小石を、求め続ける生き物なのだろう。
 いくら我々が〝真似〟や〝AI〟について熟考しようと、世間は相変わらず醜く動くだろう。

 お手軽パクリでうぇ~いうぇ~い! お手軽パクリでうぇ~いうぇ~い! 金ゲット~。

 併し、人間ならば、人道に悖(もと)る行いは、愧(は)ずべきだ。

 それを大前提とした上で、他人が少々(あくまで少々)、〝真似〟や〝AI〟や〝マネー〟の感覚において一線を越えていたとしても、得意分野や重視分野の違いもあるから、目を瞑るべきだろう。
 逆に、今度は自分は、他人から見て〝真似〟や〝AI〟や〝マネー〟において、冗談や悪ふざけの域を超えていないか、常に内省すべきである。

 てか、キュアサンシャインのニプルファック画像、少な過ぎやんけ。AIでいいから、死苦夜露(しくよろ)~。

 つってもまあ……(他人事ではなく自分も含めた)二次創作する側の人々は、どの分野にせよ、〝相手〟は選ばなければならないだろう。どれだけその作品のことが好きであっても、だ。ウマ娘、プリキュア、ポケモン、その他任天堂……「二次創作に厳しい作品一覧」というピクシブ百科事典のページがあるので、それを参考にするのもよいだろう( https://dic.pixiv.net/a/%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%89%B5%E4%BD%9C%E3%81%AB%E5%8E%B3%E3%81%97%E3%81%84%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7 )。

 舌の根も未乾燥であるうちに申し訳ないが──相手が五月蠅くなさそうだから二次創作するか、というのもどうなんだ……!?

 と思ったが、結局もはまた堂々巡りで、愛のある二次創作かどうか、お金に関しても常識的な範囲なのか……という問答となる。グダグダ綴っている暇があったら絵を練習して実際に二次創作をやれ! という(内なる)声もあるが……。

 そもそも、二次でなくても、一次でも──一次こそ、問題なのだ。一次創作の中に含まれる〝真似〟。それについては、自らには厳しく、他人には……優しくあるべきだろう。

 AIにクオリアが無い内は──自立と自律を実現させた魂が無い内は、AIはあくまでツールだ。使い主の理性が、試される。……既に、試されている。
 そもそもアニメでも、セル画から3Dポリゴンに移った際に、ツールと倫理の問題が発生したわけで。でも、この令和の世に改めて問題となっているのは、AIが〝特定の達人や企業ではなく、民間人が気軽に使えるツール〟であるからだ。
 民間人のAI使用禁止は、正直、現実的ではなかろう。

 ここで、私でも第三者達でもなく、画面の前の、ほかならぬ〝貴方〟へ、質問だ。


(1)どこまでならあらすじが被った小説を一次創作と言えるか。
(2)どこまでならあらすじが被った小説を二次創作と言えるか。また、組み合わせの模倣なら許されるのか。
(例えば『ドラえもん』×『バイオハザード』で小説を書いたとしたら? そしてしかも、そのあらすじが、既にある二次創作ゲーム作品と酷似していたら?)
(3)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した一次創作小説を許せるか?
(4)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した二次創作小説を許せるか?
(5)抑(そもそ)も一次創作の小説で金を稼いでいる人々を許せるか?
(6)二次創作の小説で金を稼いでいる人々を許せるか?
(7)どこまでならフレーズ等が被った楽曲を一次創作と言えるか。
(8)どこまでならフレーズ等が被った楽曲を二次創作と言えるか。また、組み合わせの模倣なら許されるのか。
(例えば『メダロット』のBGMのコード進行を真似て、『符割(ふわり)』は『ダンガンロンパ』のBGMのものを拝借したとしたら?)
(9)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した一次創作楽曲を許せるか?
(10)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した二次創作楽曲を許せるか?
(11)抑(そもそ)も一次創作の楽曲で金を稼いでいる人々を許せるか?
(12)二次創作の楽曲で金を稼いでいる人々を許せるか?
(13)どこまでなら絵柄や構図等が被った絵を一次創作と言えるか。
(14)どこまでなら絵柄や構図等が被った絵を二次創作と言えるか。また、組み合わせの模倣なら許されるのか。
(例えば『北斗の拳』の絵柄で『魁!!男塾』の構図で『ジョジョの奇妙な冒険』の技を使用する『それいけ!アンパンマン』のキャラクター達が活躍する二次創作をおもしろフラッシュ倉庫に投稿したら? 或いは、無料でEKKUSUにポストしたら? Fantiaなら?)
(15)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した一次創作の絵を許せるか?
(16)目立った丸パクリ要素が無かったとしても、AIを使用した二次創作の絵を許せるか?
(17)抑(そもそ)も一次創作の絵で金を稼いでいる人々を許せるか?
(18)二次創作の絵で金を稼いでいる人々を許せるか?


 解答は、というと、そんなものは私は少なくとも知らない。ここで大切なのは、〝貴方〟の回答なのだから。例えば、曲のパクリには甘くて、絵のパクリには厳しいとか、そういった偏りは、どうだろうか……?
 〝貴方〟の人生と共にある、そのガイドラインが正しいか誤っているかを見守ることが出来るのは、突き詰めに突き詰めれば、〝貴方〟だけだ。勿論、大外れの悪行は法律が最後は許さないだろうが、併し……法が〝貴方〟を裁くまでに、どれだけの他人が不快な思いをするだろうか?
 ──これらは無論、自戒でもある。

 また、今回は省略したラジオドラマや彫刻、オリジナルキャンドル作りに俳句等の創作分野のことも、論(あげつら)うまでもなく、蔑(ないがし)ろにしてはならない。
 自分が努力を慮(おもんぱか)ることが出来る分野と出来ない分野が発生してしまうのは、人間の人生が有限であるからには或る程度は仕方ないとはいえ、自分が関わって来なかった分野を軽視して当然だというような巫山戯(ふざけ)た態度は、当然赦されない。許されない、ではなく、赦されない。

 いずれにせよ、天網恢恢、疎にして漏らしに漏らしているのが憂世(うきよ)の理(ことわり)。憎まれっ子世に憚る。悪徳の栄え。苟(かりそめ)であろうが、なかろうが。

 回答ではなく解答については、法律的には一応の解答があるのかもしれないが、私にはややこしくて分からない。
 私だけでは、ないだろう。

 しかし、法律としても印象としても、分野ごとに不平等なブレがあったなら……それはそれで、問題ではなかろうか。

 私も貴方も第三者達も、常に、真似とAIとマネーについては、悩み続けるべきなのだ。結論を早々に出して脳死して、後は梃子(てこ)でも動かない、という態度では、迷惑だ。


《金》


 ああそうそう、最後に金(かね)、つまり金属について一言言っておくと、金属だからといって強度を過信するのは危険だ。この間私は、フォークリフトで後進(フォークリフト関係では、後退、ではなく、後進、と言う場合が多いように思われる。)していて、誤ってシャッターの金属の桟にぶつけてしまったが、バールや金槌、鑿(のみ)に似た大きめのマイナスドライバーで修理するのに苦戦した。ほ~んと、金属なんてべこべこに凹むものなのだ。
 まあ、パクリでごちゃごちゃ問題を起こしてギャクギレしてくる卑劣漢や、逆に他人のオリジナル作品に対して「ぼくのほうがさきにかんがえてたから、ぼくのぱくりだ! うったえるぞ!」と吐(ぬ)かしているような〝自分の権利〟を拡大解釈した上で過剰に大切にしちゃう輩には、確(しっか)り反省して頂きたい。
 貴方方(あなたがた)の頭蓋骨は、シャッターの桟よりは硬いかもしれないが、フォークリフトの後進には耐えられまい。



【跋】


 と、いうわけで、結論。

 あくまで世の権利を妨げない範囲で、だが、絵の上手い人は、どんどんエロい絵を描いてほしいし、AIへの命令が上手い人は、どんどんエロい画像を生成してほしい。
 そういうことだ。
 一万一千文字以上も書いたわりに、大した結論でもないし、本論で扱ったことの纏(まとめ)でも何でもあらへんやんけ、と思うかもしれないが、そんなことは私も思っている。書いた私の方が余ッ程時間を無駄にしたのだ。何らかの慰藉料(いしゃりょう)が発生するのであれば、貰うにあたって、配分は、私が最大であるべきだ!
 併し、まァ……真似とマネーとAIを取り巻く環境は、これからも生命体宛(さなが)らに流動的に変化していくことだろう。節操莫(な)しとなれ、変節せよ、と云(い)っているのではない。人間は、常に反省し、フィードバックをかけ続けるべきだ。勿論、時には、過去の態度を慚愧(ざんき)し、詫びねばならない場面もあるだろう。金属に関しては、まあ、強度を過信して事故や怪我を起こさぬように、注意だ!

 真似をするということ。金を稼ぐということ。AIを使用するということ。

 実際にはそれらが重なり合って問題が発生するとはいえ、この三つの論点を混ぜこぜにした儘(まま)で口喧嘩をしても、何の益も無いことは頭に置いておくべきだ。それら一つ一つの本質は、その、悪用された現実とは別の筋の概念なのだから。

 それと。

 二次元のエロ画像しか生き甲斐が無い者が世の中には沢山いる、という事実から、目を背ける続けるのは、あまりにも真摯ではない。


                      〈了〉


      「真似とAIとマネーと金と」(随筆)2024/02/26 非おむろ

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