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「時間」について

こんにちは、Nollです。
読んでて辛辣なワードが多くてサンドバックになったような気分でしたが、頭に残る内容も多々ありました。
例えば、セネカの「人生の短さについて」の一部では「時間はお金よりも死守すべき財産である。人はお金は何としても節約しようとするが、時間はやすやすと人に渡してしまう。それに気づいている人が少ない。」「節約して褒められるのは時間しかない」という内容です。思えば、忙しくて時間がないという言葉はよく聞きます。時間を財産と言い換えるところも説得力があるなって聞き入ってしまいました。また、「財産を手にした者の使い方によってそれはより長く持つし、短くもなる。」と説いていました。手厳しいですが何かに似ていませんか?
贅沢がメインの生活になっていた人が急に倹約を強いられることになったとしたらどうでしょう。ブランドや豪遊が常だったのに、それが一時にしてすべてなくなる。すぐにそれに順応できるようになってくるでしょうか?書籍の中で、その例が挙げられています。

また、欲についてはこう言ってます。「欲に溺れるのは愚か者のすることだ。」セネカはストア派という禁欲主義の一人だったのでことに欲のことについては目を光らせていたそう。ここでの「欲」は三大欲に限られています。が、現代ならもっと多くの欲も当てはまりそうです。
面白いのはこの見方だと私は思います。好きなことに目を向けている間は、それは自分の時間ではないというらしいです。見ているものや聞いているものなど何らかの刺激に反応しているときは「相手に時間を払っている」というのです。
だいぶ後になって有名なショーペンハウエルも読書を例えに出すときにバネを使ってこう言っていました。「バネに圧力をかけすぎると、弾力を失う。」「作品の中に精神を置きすぎると自分の考えが持てなくなる。」そいうこともある意味、時間の使い方の点で外からの刺激ともいえると思います。
じゃあ、自分の時間がなにかと定義してるかといえば、「何もしていないときに、自分のしてきたことを振り返ることができるとき:セネカ」や「たくさんの知識を持つことではなくいかにその知識を自分の中に落とし込んでいくか:ショーペンハウエル」という。自分でも考えてみたけど割とピンポイント過ぎて頭を悩まされました。仕事も家事も趣味もそのほかもしていない時に、自分の過去を振り返る事ができるのが「自分の時間」とされています。なんとも、なんとも本当に辛辣ですが思い当たる節もあります。

A.A.ミルンの「Winnie the Poo」ぐらいにのほほんとしていたらどれくらい穏やかだったかとさえちょっと夢見てしまいます。

全然、世代どころか世紀も違うのに訴えていることが視点はずれてもほぼ類似していると思うとその説得力に圧倒されてしまいます。

さて、自分の時間という財産を自分だけの砂時計にしたとして、それはどんな大きさか、砂の色か、土台で、強度か、あとどれくらいの時間があるのかなどなど。急かすものではないにしろ活動できる時間の猶予について教えてくれた古典の名著でした。

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