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祖母がよく言っていた。〝事実は小説より奇なり〟らしい。我が子にはマイナススタートはさせ…

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祖母がよく言っていた。〝事実は小説より奇なり〟らしい。我が子にはマイナススタートはさせない。下等な悪循環は私が断ち切る、の思い。

最近の記事

再婚

やっちゃん なっちゃんの件があってから約1年後、父親が新たな女性を私に紹介した。名前は「やっちゃん」。結局その人と再婚して今も私の母親だから、父親が紹介した最後の人になる。  父親が友達と会社を立ち上げた時に少し手伝ってくれた人で、最初に会ったのも事務所だった。私は〝女性と会う〟ことに既に麻痺していたから、あまり観察することもなく終わった。  それから少しして、父親が『あの人がお母さんになるのはどう?』と聞いてきたから、『別にいいと思うけど、パパがその気になっても色々難し

    • 絵美となっちゃん

      百合子がジワジワタイプなら、絵美は真逆のタイプだった。上履きのまま机に上がって歌ったり、休み時間は男子とドッジボールしたり、目立つタイプの子だった。  絵美にされた嫌なことは一つだけ。でも、その一つは先生も親も巻き込む大きな問題になり、私が〝どんな理由があろうと絶対にしてはいけないこと〟を学んだ出来事だった。 誕生日会 百合子には色々されていたけど、クラスの女子とはそれなりに仲良くしていた。  ある時、なっちゃんという子の誕生日会に招かれ、かなりの人数でお家にお邪魔した。

      • 百合子

        掃除当番の最終確認 〝うちの事情〟を知っている子の中には、すごく意地悪な子が何人か居た。 百合子。 ある日の掃除当番の時、いつものように並んで最終点検した後に、百合子が『あ!今日はもう一つ確認がある!この中でお母さんがいる人手を挙げて!』と突然みんなに聞いた。突然に見えたけど、後から考えればあれは全て準備していたんだろう。 不思議そうな顔をしながらも全員手を挙げた。  私はその意味のない〝確認〟が苦しくて悲しくて恥ずかしくて下を向いていた。その姿を見ながら百合子は、『あ、

        • 不便と羞恥心

          父親の恋愛模様は、その後も韓国人女性など数人いたみたいだけど、最終的に再婚することになった継母までは誰かを紹介されることはなかった。 子どもを傷つける行為をしていることに気付いたのか、祖父母達に諭されたのか分からないけど。 〝様方〟 板橋で生活していた頃のことを少し。  古い木造の小さな家も嫌だったけど、とにかく恥ずかしかったのは学校の連絡網の住所と電話番号に〝○○様方〟と書かれていたこと。  今なら自宅固定電話が無くて親の携帯電話表記も多いし、そもそも住所は非公開なわけ

          (偽)4人家族

          ノリコさん マメで優しかったのか、根っからのタラシだったのか、お金が無いのに父親は女性が絶えなかった。  キヨミちゃんと別れたあと少しして出会ったのが「ノリコさん」。 年齢は父親と変わらないくらいの当時34、5歳、バツイチで1歳ちょっとの息子が1人、総武線沿いのある駅前にある酒屋さんの娘で、植木が綺麗に剪定された和風の庭がある母屋と、ノリコさんと息子だけが住んでいるモダンな平家のある広い敷地に住む人だった。 4人  父親は普段会社勤めだったから、その年の夏休みはほとんど

          (偽)4人家族

          父親が愛した女性たち

          自分の父親の恋愛を明かすのは、あまりいただけないのかもしれないけど、父親と私は〝戦友〟みたいだったし、父親のお陰で男性を見る目が養えた、と思ってる。 自由に生きて死んでいった人だから、こんな話も許してくれるだろう。とっくに〝時効〟だしね。 父親にとって、私を産んだ母親との結婚は初めてではなかった。その3年くらい前に年上の女性と短い結婚があった。23歳…さすがに若いよな。 いわゆるデキ婚で、私より3つ上に息子がいたことになる。でも、呆気なく2人は別れ、その後、息子を含めて彼ら

          父親が愛した女性たち

          大恋愛しても

          父親はトランペットを吹くJAZZミュージシャンだった。バンドを組んでオリジナルの曲をやりながら、地方を周って歌手のバックバンドをやっていた。そして、プロのJAZZ歌手としてコロンビアレコードからデビューしていた母親とは、岐阜のJAZZ Barで知り合ったらしい。 Louis ArmstrongやMiles Davisに憧れてドルが360円時代に渡米しJazzにハマった父親は、祖母の大反対を押し切り大学を中退して音楽の世界に。 アメリカのセクシーシンボルと言われたMarily

          大恋愛しても

          赤い靴

          何かを書きたい時は気持ちの整理をしたい時。 けど、エピソードが多過ぎて、しかも何が自分に影響したか分からないから、考えているうちに蓋して日常に戻る。 それなら気持ちの整理要らなくない?って思ったりしてね。一周回って、、、的な。笑 記憶 私は一人っ子だから、家族といえば父親と母親になるわけだけど、産みの親とは、いわゆる〝一家団欒〟を感じたことがない。これは小さい頃から何回もトライしたけど、3人で過ごした事を思い出そうとしても全く出てこない。実際には4、5歳までは3人の生活が

          赤い靴

          少しずつ見えてきたこと

          母親としての信念や私が遣り切りたいことetc… 最近見えてきたことがあるから、少し綴ろうと思う。相変わらず、誰に見せるわけでも見られたくないわけでもないやつ。 今年51歳になった。 私に頼りがちだけど優しい夫。 真面目に見えるけど実は自由人な長女。 天然に見えるけど実は芯がある次女。 とにかく完璧にこなしたい息子。 音に敏感で怖がりなトイプードル♀。 都心によくある三階建ての戸建てに住み、勤続15年の会社で企画関係の仕事をしてる。 一般的に見たら標準的なんだろうけど、私には

          少しずつ見えてきたこと

          好きなことは仕事にしない主義

          って書くと、 なんかつまらない生き方に見えるのかな いや、、たぶん飽きっぽいのを自覚してるから 〝好き〟があまり続かないことを知ってるから 好きなことも遣り過ぎると嫌いになるでしょ? 義務になって縛られるでしょ? 縛られたら逃げたくなるでしょ? だから〝好きだから〟なんて そんな純粋な動機で仕事にしたら その仕事自体を辞めたくなるって分かってるんだよね 仕事は好き嫌いで選ばない方がいい 得意不得意で選ぶ方が楽 だって人生、仕事だけじゃないんだから 仕事以外で〝好き〟を見

          好きなことは仕事にしない主義

          ブーメランと虚無

          大事なことに向き合わず邪慳に扱うと 全く違う方向から違う角度でパワーを増して しかも忘れた頃に自分に返ってくる そしてその間に "出来上がったもの”や その間”頑張ってきたこと”が虚像となって 風に吹かれた砂の城のようにあるとき姿を消す これは相手の怒りのパワーじゃない 自分が置き去りにした出来事の力 目の前に残る影には 人を傷つけて 周りを困惑させていることに気づかず  実は孤独孤立していた自分の姿が映る 気づいた時には足元を掬われ 〝虚しさ〟というブーメランで自らを

          ブーメランと虚無

          時間

          時間が解決することもあれば 時間が複雑にすることもある 何故もっとシンプルにいかないんだろう

          私が私であるということ

          まーいっか! わからなーい。 そんなの出来ない。 知らない! …って言えたら、出来たら、 どんなに楽だろうってたまに思う。 でも、いくら歳を重ねても それが出来ないんだよな。 納得しないと先には進めない。 人任せなんて 生きてる実感ないじゃない。 それが私。

          私が私であるということ

          親ってなんなんだろう 自分の親のことも自分が親になった今も  いまだにそれが判らない 我が子には自分がして欲しかったことをしてきたけど それが正しいかも判らないから立ち止まる そして考える 私はどんな親なんだろう?って これって自分が生きてるうちは出ない答えなのかな いつか葬式で語られたりするのかな 私はあの人の葬儀にですら その答えを出さなかったけどね

          noteの存在

          約一年ぶりのnote。 書いた物は今も全部保存している。 ほとんどが非公開で今は鍵のついた日記状態。 でも、悪いことしてるわけじゃないし、嘘は嫌いだし、いつか全部公開しようとは思う。 時期が来たら、気持ちがそうなったら。。 久しぶりに何か書いてみたくなった。自分史でも書こうかな。私のトラウマ的な部分。 Twitterはほとんど使ってないし、Twitterの呟き数と早さに少し疲れる。 インスタは私にとってポジティブツールだから 自分と向き合う時、気持ちの整理をする時にはno

          noteの存在