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再婚

やっちゃん

なっちゃんの件があってから約1年後、父親が新たな女性を私に紹介した。名前は「やっちゃん」。結局その人と再婚して今も私の母親だから、父親が紹介した最後の人になる。
 父親が友達と会社を立ち上げた時に少し手伝ってくれた人で、最初に会ったのも事務所だった。私は〝女性と会う〟ことに既に麻痺していたから、あまり観察することもなく終わった。

 それから少しして、父親が『あの人がお母さんになるのはどう?』と聞いてきたから、『別にいいと思うけど、パパがその気になっても色々難しいんじゃない?』というような事を答えた気がする。それは過去の女性達を客観的に見て来たから。
 そして板橋のガヤガヤした居酒屋で再会し、その晩あの汚くて狭い家に泊まりに来た。子どもながらに恥ずかしさと、あんな家に泊めてしまう父の感覚に驚きがあったことはいまだに覚えている。
父親も浮かれて沢山飲んだのだろう。お酒に強いはずなのに、その日の夜中は珍しく何回も吐いていた。

で、2人は結婚した。
38歳で初婚だった母はドレスを着て撮影くらいしたかったけど、父親が『年齢も年齢だし、もういいだろ?』と言ったと、私が大人になってから聞いた。
結婚指輪もドレスも無くてよく納得したなぁと思うけど、『亜里奈が居たから決めた』らしい。この言葉が私の自由を奪い足枷になるなんて、この時は想像もしていなかったけど。
板橋から練馬へ、よくあるハイツに引っ越して3人の生活がスタートした。今回の転校は〝お母さんができる〟というスペシャルなオプション付きだったから全く嫌ではなくて、滑り出しも最初は良く、家族3人で毎週日曜には石神井公園に行ったり、ゲームやトランプをしたり、母親と小麦粉を使ったお菓子作りをして楽しんだ。

毎朝玄関で千円

でも、私が中学に上がる頃には父親はまた転職を繰り返し、仕舞いには無職になって〝仕事を探しに行く〟という名目で、毎朝玄関で母から千円をもらうようになっていた。本当に情けなかった。
 数ヶ月で仕事は決まったけど、毎月決まった給料が入るようになると今度は新しいゴルフクラブを買ったり、飲み歩くようになった。
ゴルフクラブはGCカードでローンを組み、毎月届く封書で知ったらしい。開封出来ない母は蛍光灯に透かして中を把握していたようだ。
飲み歩きは所謂クラブのホステスと会うため。これも母が、父親の手帳に挟まった肩を組んで女性の頬にキスしている写真を見つけて知ったようで、嫉妬した母親から、父親が女性と性的な関係にあると聞いた。
 けど、子どもながらに、父親も父親だけど、そんな方法で確認している母に呆れていた。こんな女だから浮気されるのでは?と諦観したというか…
おかげで今、私は夫の手帳も携帯も一切触らないし、疑ったこともない。信用は第一だけど、そういう行為に虫唾が走るから。
そんな出来事から、男女どちらであっても『浮気はされる側にも原因がある』という少し湾曲した概念を植え付けられるほど〝嫉妬〟〝執着〟は大嫌いな人間の感情になった。

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