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少しずつ見えてきたこと

母親としての信念や私が遣り切りたいことetc…
最近見えてきたことがあるから、少し綴ろうと思う。相変わらず、誰に見せるわけでも見られたくないわけでもないやつ。

今年51歳になった。
私に頼りがちだけど優しい夫。
真面目に見えるけど実は自由人な長女。
天然に見えるけど実は芯がある次女。
とにかく完璧にこなしたい息子。
音に敏感で怖がりなトイプードル♀。
都心によくある三階建ての戸建てに住み、勤続15年の会社で企画関係の仕事をしてる。
一般的に見たら標準的なんだろうけど、私には『普通』であるまでのハードルが高かった。

子ども時代のこと

親が離婚したのは6歳。
母親がほとんど帰ってこないまま、父子家庭になることも私が知らないうちに勝手に決まっていた。
確か小1の2学期の途中の土曜日で、小学校の前までトラックが迎えに来て乗せられて、そのまま向かった。
クラスが違う1番仲が良かったノリコちゃんとは、ちゃんとお別れしなかった気がする。

引っ越した板橋の家は、大家さんの娘さんが勉強部屋に使うために建てられた木造の建物。
6畳一間と、トイレ、湯沸かし器とコンロをつけた玄関横の水場。台所とは言い難いものだった。
敷地内にあるから、家には鍵がついていない。
でも反対側にある窓は敷地外にある駐車場から一段下がっていたから排気ガスは入るし、砂利や埃がすごくて、人が侵入できる隙間があって防犯なんて全くない作りだった。ちなみに〝離れ〟だからお風呂も電話もなかった。

仕事を転々としていた父親は、収入の浮き沈みが激しく、でも大抵はお金が無かった。だから毎月給食費の引き落としが出来ない。
健康保険に加入してないから、病気は市販の薬で治す。歯医者にも行けない。
 金貸しの取り立て屋が来てガラスの引き戸をガンガン叩き、私が無言で出て父親が居ないことを確かめると、名刺に日付と一言書いて置いていく。
引き戸を閉める時、大家さんの家のカーテンの隙間から様子を窺う人影を感じる。居た堪れない空気を感じて気付かない振りで部屋に戻る。ドラマみたいだけど現実に起きていた。

離婚までは、新宿の内藤町や大田区の蒲田に住み、北区にあった父親の実家に預けられることも多く、私は幼稚園も保育園も行っていない。
今でいう〝完全に親ガチャに失敗した〟状態だったから、小学校5年までは感情を無くすのが1番の安全な方法だったけど、吃音が出たり、片親というだけでイジメもあったし、とにかく親が私に与えた世界は地獄で早く抜け出したかった。

こんな私を不憫に思い、祖母は愛情をかけてくれたけど、母親がどんなものか分からなくて、いつか自分も母親みたいになるだろうと思っていた。
だから私は子どもは欲しくなかったし、子どもって実はすごく見抜く力があることを知っていたから、弱い部分を見透かされるのが嫌で苦手だった。

家族愛、心配性、完璧主義、相手の資質を見極める感覚、嫌なことを排除するパワーの強さ、
そういう過去の体験が私のベースを作ってきたんだと思う。

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