漫画家になりたかった「僕」の農業日記|本の紹介<前編>
農文協の新刊『僕の漫画農業日記 昭和31~36年−−14歳、農家を継ぐ』が5月30日に発売されます。
本書は、昭和30年代、農村に暮らすひとりの青年が書きためた漫画日記を一冊にまとめたものです。
農家の日々の仕事や暮らしが、ユーモアあふれる文章と漫画で綴られる『僕の漫画農業日記 昭和31~36年−−14歳、農家を継ぐ』を、前後編に分けてご紹介します。
青年時代の日記が60年の時を超えて
「中学生の頃に書いていた漫画日記を本にしたい」と農文協に一本の電話がありました。電話をかけてきたのは、千葉県印西市草深地区で野菜苗の生産・販売を行う(有)伊藤苗木の創業者、伊藤茂男さん。伊藤さんは昭和17年生まれの現在82歳。現在は引退して娘夫婦に経営を譲渡していますが、30棟のハウスを構え、30品目200品種以上の野菜苗および野菜を取り扱っています。
ある日、伊藤さんが自宅の書斎を整理していたら、中学3年生の頃から書いていた日記帳の束が出てきたそうです。当時の日記を「(書いた本人以外には)少し分かりにくいところはあるけれど、ありのままに書いているのがかえっておもしろい」という家族からの後押しもあって、本をつくりたいということでした。
ほどなくして、11冊の大学ノートが農文協に送られてきました。すっかり変色し、年季の入ったそのノートは、伊藤さんが青年時代を過ごした昭和30年代の5年間に書きためていたものです。几帳面に文字が並んでいるかと思えば、農作業風景を緻密な線で描き込んだ漫画もあり、伊藤さんの日記に一気に引き込まれました。
三足のわらじ 漫画と学校と農業と
千葉県印旛郡船穂村(現・印西市)で江戸時代から続く農家に生まれた伊藤さん。小学生の頃に絵画の展覧会で入賞し、賞品に絵の具をもらったことがきっかけで、絵を描くことが好きになりました。中学3年生になると担任の先生の勧めで日記をつけるようになり、学校生活や家の農業の手伝いを綴り始め、やがて漫画で日常を描くようになります。それは先生たちの目に留まり、職員室で回し読みされていたそうです。
昭和30年代当時の中学校がどんな様子だったのか、それは伊藤さんの日記が教えてくれます。体育の授業は合体(合同体育)といって、複数のクラスが一緒になってラグビーなどを楽しみました。また、真冬の教室を温めるのはダルマストーブで、燃料にする木の枝を級友と取りに行くことも。
また、日記のなかで「課外」という言葉がよく出てきますが、これは課外授業(補習授業)のことで、中学3年の途中から始まったそうです。進学組と就職組に分かれ、さらに就職組の中でも進学はしないけれども課外に出る生徒と、課外に出ない生徒の3組に分かれました。伊藤さんは就職組で課外に出ていましたが、進学組と就職組に分けられることに対して小さなわだかまりのようなものがあったといいます。
農家か漫画家か、進路に悩む
中学校を卒業した後は、進学するか家業の農家を継ぐか、はたまた漫画家の道か……と悩むことも。漫画の通信教育の入学案内書を取り寄せたものの、父親に「お前は、家のあとつぎだぞ。百姓にならなければいけないんだぞ」と大目玉をくらった日もありました。
父母や姉妹とともに農業に励み、そのかたわらで「日本一の漫画家になりたい」と夢見ながら、1日の農作業をさまざまなタッチで綴る毎日でした。漫画の通信教育は諦めきれず、とうとう母親が根負けしてお金を出してくれたそうです。が、絵が描けてもストーリーが書けないことに気づき、卒業後は進学せずに家業を継ぐことを決めました。
その後、伊藤青年の人生はどうなったのでしょうか。農業では古いものと新しいものが共存する時代です。
後編では、中学校を卒業して農業に励む日々や、家を継いで、伊藤苗木を始める過程について触れていきます。
(制作局・高井)
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