【創作大賞2024応募作】 Marshall 4 Season #9
【タイトル】
Composition Of Pain
2024年1月8日 7:39
Noobは、鏡に映る自らを心配していた。
担当相談員の加藤、それにMarshallも、死にたくなるくらいなら学校なんて行かなくとも良いし、勉強はどこでも出来る、と言ってくれた。
──ピコン。LINEチャットの着信音が鳴る。
通知画面には、『画像あり』と表示されている。
強い不安感に駆られるが、このタイミングで確認をしないのも、リスキーだと感じ取ったNoobは、恐る恐る、添付された画像データを確認する。
そこには、学生服姿の一之瀬 雫(しずく)の姿が写し出されていた。
写真を取られていることになど気付く様子は無く、通学途中の忙しそうな表情をしている。
続けてメッセージチャットが一件。
「もし学校に来なかったら、お前のかわりにコイツがターゲットになる」
送り主は『ヒダリテ』、つまり『シュハン』(主犯)の指示だ。
クソっ。と口から悔しさが溢れる。
とことん容赦がない。
世界は相変わらず残酷だ。
元日から石川の方で地震があったり、空港が燃えたりしたのも、全てシュハンの仕業かもしれない、と一瞬勘繰りたくなる。
学生服に袖を通すと、表情筋が強張り、手足の指先から血の気が引き、胃液が吐き出てきそうになる。
「行ってきます」
加藤は、夜勤明けの朝業務に追われて、Noobの異変に気が付かない。
朝の施設は、バタバタと騒がしい。
それが心地いいときもあるが、今日はNoobの危険信号を妨害するノイズでしか無かった。
靴を履き、外に出る。
少し冷静にならなくては と思い、この時間の外の空気を鼻いっぱいに吸ってみる。
下駄箱のある土間の残り香を、新鮮な真冬の外気が一瞬で無にする。目線を上げると、曇天の空が、今にも何か降らせそうな分厚くて仄暗い雲を形成していた。
学生、サラリーマン、業者、バス、車etc…街並みが忙しなく東奔西走する、ラフでタフな名古屋の朝。
凶兆に怯えているはずのNoobに、何故だかほんの少しだけ、わくわくした気持ちを呼び起こすから不思議だ。
Noobは自転車で通学している為、首都環状線と空港線を国際センター沿いに30分ほど行けば高校に着く。
今日のプレイリストは、
否、今日はやめておこう。
Apple music内にある、自身のアカウントには約5000曲のヒップホップに関連する楽曲が収まっている。
もちろん、Buddhaの曲も『日本語ラップ』のプレイリストには入っているし、Marshallがソロで参加している楽曲も網羅している。
でも、今日はやめておこう。
学校には、8:20くらいに着いた。
Noobは、『何も取り柄は無いけれど』というタイトルで、自分より小さい子どもたちのお弁当箱にウインナーや卵焼きを詰めたり、おにぎりを握ったりする日常や、早起きして学校へ来て、何も取り柄はないけれど、無遅刻無欠席を目指して今のところ上手くいっている旨の作文を書いたことがある。
通学中、耳に流れ込んでくる日本語ラップを口ずさむことで、知らず知らずのうちに言語化能力が開花されていったのだ。
その作文は、校長が直々に褒めに来たり、"令和の『雨ニモ負ケズ』だ"と地方新聞にも掲載されたりもした。
そこから、いじめが始まった。
まだ校舎はまばらな人数しかいない。
朝練終わりの部活生と、真面目そうな学生と、その他といった感じだ。
──ピコン
LINEの着信音だ。
送り主は、『ミギテ』
「おはよー着いたー?」
こいつらは、右手・左手・右足・左足と、シュハンの四肢の化身として振る舞う"実行犯"で、あくまでもシュハンというブレイン(頭脳)からの指令でしか動かない。
大人や被害者達から咎められ、社会的制裁を食らったとしても、トカゲの尻尾切りかの如く、また別の右手や左手が現れ、いじめは続く。
ターゲットが、学校をやめたり、不登校になったり、あるいは自ら命を絶たない限り、この地獄からは逃れられない。
シュハンが存在する限り、その悪趣味は続く。最悪だ。
「おはよう。Noob。今日も早いね!」
その声は、一之瀬 雫。
雫は、小、中、高と同じ学舎に通う、いわば幼馴染だ。明るく、誰に対しても優しい器量の持ち主で、何より凛と咲く菖の花のような可愛らしさを兼ね備えている。
「おはよう」
その一言を返すだけでも、まるで余命宣告をするみたいで、明らかに気負いしている。
「何それ。怒っとん?」
何それ。には、朝の挨拶。
怒っとん?には、怒ってない。
必要最低限のことしか答えられない。
"離れてくれ。これ以上ボクに関わっちゃ駄目だ"
心のなかで、合わせた掌にすら汗をかいていた。
不自然なほど無愛想なNoobを、少し残念そうにする雫の寂しい表情が、余計に胸を締めつける。
「また話すよ」
それが、Noobの精一杯だった。
3学期初日ということもあり、教室では、休みの日にどこに行ったとか、休み明けで体がしんどいとか、家の人と長くいたせいでヒステリックになりそうだったとか、"休暇中の過ごし方について"が飛び交っている。
「おいNoob」
「おーまだ生きてたのかー」
声の主は、ミギテ。そして、ヒダリテだ。
Noobの表情が一気に引きつる。
その様子を、ひゃっひゃっと嘲笑う。
「わかってんだろな、ここにいるってことは。」
「ったく、キモいんだよお前」
今更、これぐらいの誹謗中傷では、何も感じない。
「今年も宜しくね、Noobちゃん」
「帰り、また"ゲーム"やるから。逃げるなよ」
そう言って、雫の画像をチラつかせる。
無論、このことを担任や、学校側の人間に言うのも、雫に危険が及ぶ可能性があるため出来ない。
クズほど図太く、狡猾なのが世の常。最悪だ。
その日は、午前中で学校行事が終わるということもあり、諸々の提出や、式などが行われ、早々に終業チャイムが鳴った。
Noobは憂鬱だった。
自分は、何の為に生まれてきたんだろう、そんなことを考え、窓の外を眺めた。
朝の分厚い雲が、いよいよ痛いほどに冷たいものを、下々の者たちに降り注ごうと企んでいる。
──ピコン。あの忌々しい通知音が鳴る。
「旧校舎入り口に来い 逃げるなよ」
「痛いって言ったら1万。アプデ入ったんだわ」
"ゲーム"と称して、行っていることは集団リンチ。
アプデというのは、アップデートの略。
つまりゲームのルールや設定に一部変更があったということを意味している。
ちなみに昨年は、8千円で、それが1万円に値上がりしていることから、アプデというのはカツアゲでむしり取る金額が上がった、ということだと分かる。
ヒダリテがNoobの身体を背中側から羽交締めにし、ヒダリアシとミギアシが露わになった顔や、胸部、腹部、大腿部など無防備な箇所をいたぶる。
もっぱら、顔を叩くときは平手打ちで、加える圧力を手のひら全体に分散させる事で、アザになるリスクを抑える。
あくまでも痕跡は残さないずる賢さが、如何にもシュハンらしい手口だ。
ミギテはその様子をスマートフォンで撮影し、誰かに送っている。
誰か、と云っても十中八九シュハンに送っているのだが、シュハンは徹底して、自らの手を汚したり、実行犯と直接コンタクトを取っている様子を悟られないようにしている。
何発も何発も殴られ、罵られ、Noobが大切にしている文房具や教科書を破壊し、母親から買ってもらった大切な"リリック帳"も遠慮なく破ったりする。
その度に、テープで補修したり、ハードカバーなどはわざわざ代わりになりそうな物をあてがったりして、壊されるたびに再生させていた。そういう健気な反応が、シュハンたちを余計に苛立たせたのだ。
「今日の撮れ高は、聖水でーす」
そう言って、Noobの身体を跪かせ、顔を無理矢理地面にねじ伏せる。1月の土は冷たい。
その直後、頭上からミギアシとヒダリアシの小便が降り注ぐ。老廃物とアンモニアが入り混じった特有の嫌な臭いが立ち込む。
「ぎゃははは!湯気が凄い!」
「くっさ!きっも!」
こいつらは、人間の皮を被った悪魔だ。
──ポツポツ
今度は冷たい雨が降ってきた。
「よし撮れた。まあ今日はこれぐらいか」
「やばいやばい、早く戻ろ」
「あー寒っ。帰りにマック寄ってこうぜ」
四肢の4人は何処かへ行き、雨は季節外れの土砂降りに変わった。冬型の爆弾低気圧の仕業らしい。
静寂と、敗北。強まる雨。
Noobは独り、声にならない声で泣いていた。
死にたい。こんな思いをするくらいなら。
そう思うことでしか、やり返せない。
冷たく、汚く、全身が痛い。このまま地面に倒れていれば凍死出来るかな、と想像していた。
それに応えるかのように、雨は彼の体温を加速度的に奪っていく。苦しい。悔しい。
そこに、傘をさした男が現れた。
「ねえ、キミ大丈夫?」
そう言って、散らばったカバンの中身を拾い、Noobの顔や頭を持っていたハンカチで拭く。
この男こそが、シュハンこと清水である。
父親は衆議院議員 元文部科学省副大臣で、愛知県第3区から立候補し、数年前に当選を果たした国会議員『清水よしたか』である。
名古屋の中ではかなりの権力者らしく、黒い噂もちらほら耳にする。その七光りや後ろ盾を駆使して、息子のシュハンは、悪事の限りを尽くしていた。
絵に描いたような悪役である。
「こんな土砂降りのなか、地面に突っ伏しているなんて…かわいそうに」
そう言って、泣きそうな表情を作ったりしているが、コイツの腹の内は、人間の醜さや支配欲に関するものばかりだろう。
Noobは、悔しさのあまり、一人で立ち上がり、傘もささず土砂降りの中を歩き、シュハンと対峙する。
シュハンの手からカバンを奪還し、あふれる涙と顔にかけられた小便は、雨に流して誤魔化した。
「施設育ちのくせに」
去り際、シュハンがそう言ったようにも聞こえたが、土砂降りの音が凄まじい為、よくわからなかった。
Noobはなんとかその場を立ち去り、駐輪場へ向かう。
雨は一向に止む気配がなく、この後、雹や雪に変わるかもしれないとネットニュースの通知音が鳴る。
Noobの全身はずぶ濡れで、ひどく凍えており、低体温症のようなチアノーゼも現れ始めている。
「Noob!てっきり自転車があるからまだ帰っ」
雫の声がひゃっ!と小さな悲鳴をあげて止まる。
「ちょっと、大丈夫!!ねえ!」
満身創痍で衰弱し、全身をガタガタ震わせているNoobの様子に、雫は取り乱している。
「すぐ保健室行って身体を暖めんと!」
「・・・ かな い」
「何?痛いの?どっか痛いん?」
「行かない!」
身体や背中をさする雫の手を、強引に振り解き、Noobは停めてある自転車に向かおうとする。
「なんで、何も話してくれんの?」
「ねえ!!!」雫は泣いていた。
これには、Noobも驚いた。
何故なら、雫の泣き顔を初めて見たからだ。
「わかったよ。行くよ保健室」
"女の涙には気をつけろ"とよく大人たちが言っていた意味が少しだけわかった。
雫の泣き顔は出来ることなら見たくない。
「お母さんだって悲しむよ。もしNoobに何かあったら。嫌でしょそんなの?」
雫はいつも、Noobの味方でいてくれる。
だからこそ辛い。その真っ直ぐな優しさが。
急いで二人は保健室に行き、中にいる先生に身体を拭くタオルや、Noobの着替えや暖かい毛布を用意してもらった。
「何があったの?」当然聞かれる質問。
養護教諭のアイ先生が静かに伺う。
雫もその質問については、真剣な様子でNoobの回答を待っている。
「いや別に…」
Noobはそう答えるほか無かった。
「ちょっと一之瀬さん、席を外してくれる?」
ピシャっとした鋭い一言に、思わず雫は退室する。
「雫、ありがと」
一瞬だったが、今日一日のなかで絶対に言わなければならない言葉がようやくNoobの口から発せられた。
バタンとドアが閉まる。
「清水たちでしょ?この原因は」
アイ先生の思わぬ一言に、Noobの身体がビクッと強張る。
「加藤さんから聞いてるよ。それに、」
Noobの担当相談員の加藤とアイ先生は、施設から学校に通う生徒に関する情報交換や、地域包括支援の研修等で面識がある。
それに?
Noobの鼻息が荒くなる。
「同じ目に遭っている生徒がいたの」
つまり学校がいじめを黙認していることと変わりないじゃないかと、Noobは強烈な憤りを感じた。あんな危険人物をなんの理由があって野放しにするんだ、と今にも口に出して言いそうだった。
「"彼には、いじめをしている証拠が無い"
もしあったとしても父親が揉み消す。
そのおかげで、大人たちは何も出来ないのよ。
本当に最悪よ。あんなクソガキもクソ親父もとっとと消え失せれば良いのに」
そう言ったあと、Noobの手を握り締め、アイ先生は「ごめんなさい。本当にごめんなさい」と何度も謝った。
「もう、アタシこんなとこ辞めてやろうと思ってる」
最悪だ。
悪が、小さな正義やささやかな善意を、食い殺し、陵辱し、恐怖で支配し、我が物顔でのさばるという人の世の現状をまざまざと痛感してしまう。
勝てない。逃げるしかない。でも逃げられない。
ボクや雫は、一体どうすれば良いんだ。
「今日、あなたに直接危害を加えて来たのは誰?そいつらなら先ずは学校を辞めさせたり、訴えたり出来るわ。それでしばらくは…ね」
安心ね、ホッと出来るわね、助かるわね、そう言い切れない部分に、"正義に守られた悪"の闇深さを感じた。
ひとまず、そこから今日あったことをアイ先生に伝え、LINEでのやり取りをスクリーンショットで画像にし、証拠として学校に提出した。
それだけじゃない。"付着した体液"を嫌というほど染み込ませた学生服も提出した。新しい学生服は、後日学校負担でNoobに届くそうだ。
もし今日の一件が事実だった場合、ミギテ、ヒダリテ、ミギアシ、ヒダリアシの4人は、間違いなく退学処分で、警察に被害届を出すことも辞さないとの事。
そうすれば、その後、彼ら4人から危害を加えられるリスクが減るうえ、警備の目も生まれるとの事。
奴らが学校を辞め、向こう見ずな立場になったとき、果たして警察や学校は、Noobや雫を守ることが出来るのか甚だ疑問だったが、何もしないよりはマシだと判断した。
結局、Noobは夕方まで学校にいる羽目になったが、雫が心配してずっと側にいてくれた。
久しぶりに二人で帰る。
一月は日が短く、夕方と云ってもすでに暗い。
「これでいいのかな、本当に」
「良いに決まっとる!」
「怖くないの?雫は」
「ちょっとは怖いけど、なんも悪い事して無いのにビビっちゃうってめっちゃやだ」
「確かにそうだけど」
明日からの生活、シュハンの魔の手から暫くの間、逃れられるのであれば、それだけで人生の悩みの9割以上は消失するのではないかと思った。
「…あ、そうそう!Noobは最近何聴いとるの?」
雫が話題を替えようしてくれた。
中学の頃は、こんな感じでよく帰り道にお互いのプレイリストを見せ合いながら、オススメ楽曲を聴かせ合って帰っていた。
「最近は…」
最近は、通学中に音楽を聴く習慣がめっぽう減って、よく分からなかった。
「最近ね、Noobに昔教えてもらった曲聴いとるよ。ほら」
そう言って、雫はBluetooth式のイヤホンを、Noobの耳につけた。
近づくほど遠くになって
遠くなるほど近づくなんて
不思議なこともあるのが生活
Summer Situation
あまりある計画 yeah yeah yeah yeah
雫がサビのフレーズを口ずさむ。
「冬に真夏の曲リリースするのってなんかエモい」
「夏はもちろん、秋は惜しんで、冬は懐かしんで、春には"今年の夏はー"って期待して、一年中思いを馳せるような名曲だよね」
「そうそう。ホントにそれ!」
「アタシ"近づくほど遠くになって 遠くなるほど近づく。"ここがなんか切なくて、好きだわあ」
「男女の心情とか、季節とか、波とか、色んなものを同時に指す描写が流石っていうか、『枕草子』とか『万葉集』に出てきそうな風情があるっていうか。なんかイイよね」
和歌の風情を想ふとは、ちょっと嫌味なほどに言葉の縦と横の構造を理解していそうで、Noobは自分でもキザだなぁと内心反省していた。
いとエモし。そしてバカ。
「何それ?何を言っとるか分からん!」
「ぶふっ!ぶははは!」
雫の発するコテコテの名古屋弁が、たまにTOKONA-Xという東海エリアを代表する伝説のラッパーのような節になり、Noobはそれがたまらなく好きだった。
この名古屋弁は、一緒に暮らすおばあちゃんの影響らしい。
兎にも角にも、Noobは久しぶりに笑った。
「…最近のオススメはコレかな」
そう言って、今度は雫にイヤホンを渡す。耳にはつけない。恥ずかしいから。
「なんか良い曲だね。なんか良い」
「そう。なんか良いんだよ」
本当にもう殴られたり、小便をかけられたりしなくて済むなら、本当にもう大切な人が傷つけられる心配をしなくて済むなら、それは心から嬉しいことだと思った。
これでいい。これだけでいい。
そんなことを思い各々の帰る場所へと帰っていった。
翌日、体育館で急遽、朝会が開かれた。
「えー、この4人に至っては、退学処分と判断致しました。二度とこのような事があってはならないと、深く反省しております。今後は、被害に遭われた複数名の生徒さんの心のケアもー」
本当に退学になっている。
Noobは、本当に現実なのかと、何度も夢じゃないことを確認した。
「それから、今回、心のケアにあたってくださりました、アイ先生ですが、昨日交通事故に遭われて、しばらくは怪我の治療の為、お休みされます。その間は、保健所の方から…」
えっ?と一瞬耳を疑った。
このタイミングで交通事故?絶対に怪しい。
邪推であって欲しいが、シュハンが裏で何かやったのではないかと勘繰ってしまう。
単なる杞憂なら良いのだが。
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