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20歳の時、歩けなくなった理由〜ダイエットの成功とはどこ〜

【少し長めの記事になります】

「当たり前が当たり前でない、できない」

「普通が分からない」

摂食障害に限らず、精神病と謳われるものはほとんどはこれに当てはまるのではないかと思う。

かく言うと、まるで研究者か専門家かと思われるかもしれないが、私がこのように精神とか思いに関して考え始めたのは、摂食障害と医者に診断された時、つい最近のことである。


摂食障害は、「ダイエットの失敗によるもの」とか「過剰なダイエットの延長線にあるもの」とかとも捉えられる。実際、両親に向けて医者から渡された摂食障害についての文書には、そう記されていて、私もカウンセリングしてもらい、今までの経緯から、このことによるものだと判断された。


本当にそうなのだろうか。


私のダイエットの経緯…摂食障害への道と言おうか…というと、振り返ると、中学生からだったのかもしれない。韓国アイドルにハマり、そのアイドルに憧れた。若気の至りですなぁ…。

画面に映るアイドル達はとてもスタイルが良くて綺麗だった。当時の私は、太っているわけでもなく標準体型だった。しかし、この人たちくらい痩せると美しくなるんでは…とかいう軽い気持ちで始めたのがダイエット。生まれて初めてのダイエット。


食事制限を初めてマッサージをして…体重は順調に減っていった。嬉しかった。周りからも痩せたね、と言われるのが快感だった。成功体験をこの時した。


人間は成功を経験すると、さらに上を目指したくなるものである。まだいけるまだいける…と、続けた結果、高校1年生の身体測定時に低体重すぎて保健室からお呼びがかかる。その時、病院へ行くこと、カウンセリングを受けることを勧められるが、病院へ行くのが嫌で、自分が病人と見なされるのが嫌で、拒みまくった。


両親が泣いてご飯を食べてくれと頼んできた。このままではいけないと思い、その時から今度は、太るように努力した。久しぶりに食べたお米は美味しくて美味しくて止まらなかったことを忘れない。


また、高校生になると、大学受験に向けて勉強に励んだ。部活も辞め、勉強に専念した。泣かせてしまった両親の為にも頑張らねばと思った。


今まで食べてなかった反動と、勉強のストレスの発散に毎日結構な量、色んなものを食べていた。みるみる太っていった。すごく嫌だった。日に日に醜くなる自分が許せなかった。以前より太った体を見て、風呂で泣いた日もあった。しかし、当時はそんなことより大学受験になんとか合格することの方が優先事項であった。


その結果なんとか志望校には合格できた。体重は10キロ以上増えていた。


大学に入学し、周りを見ると可愛い子ばかりであった。中学生のときの感覚が戻ってきた。痩せて綺麗にならないと。また、中高は女子校であった私は、恥ずかしながら男の子からの目線も気にするようになった。女だなぁ…。


私には以前痩せることができた成功体験がある。またそれに準じて以前のようにダイエットを始めた。


そして一年ほどでだいぶ痩せることができた。


しかし、以前の成功体験を超えることができると考えた私は、過度なダイエットを始める。


中高生の時のは違い、アルバイトを始め自分でお金を稼ぐことができるようになった。そのお金を使って、薬やサプリメントを買うようになった。


SNSやインターネットってダイエットや美容に関する記事を探って、「これを飲めば、太らない、痩せる」などの謳い文句を信じ込み、外国から薬を輸入購入したり、下剤を買って飲んだりした。


コルセットを装着すると食べる量が減るという投稿を見て、早速コルセットを買い、毎日毎日お腹を締め付ける日々を送っていた。XSのコルセットが余裕でフルクローズするくらいのウエストになっていた。今思えば、異常な痩せ方だったと思う。


インターネットやSNSの情報力の凄さや、強みも分かった一方で、その影響力の恐ろしさにも気づいた。


どんどんどんどん痩せ細っていったが、それでも私は太っていると思っていた。太ってはいないにしても、普通だと思っていた。


周りから痩せすぎとか痩せたとか言われても、褒め言葉に聞こえていたし、病気?とまで聞かれたこともあるが、それまでも安心材料だった。

両親に食べろと言われても、今度は食べなかった。病院に行けと言われても、泣いて暴れるほど拒んだ。失敗体験があるから。


高校生の時、食べて太って醜くなった体験をしたので、それに戻るのが怖くて怖くて仕方がなかった。今度は誰のいうことも聞かなかった。心配されるくらいが丁度いい。そんな感覚であった。


しかし、そんな断固たる意志を持った私がなぜ、入院することになったのか。


去年の夏頃、私は痩せ細り、とうとう階段を手すりを使わなければ上ることが厳しくなっていた。歩くことさえ大変という状態であった。若干二十歳でである。


階段が登れなくなったとき、流石にそんな自分に恐怖を覚えたが、誰にも言えず、誰にも言わなかった。言うと、真っ先に食べろ、太れと言われるから。この時、もう、「死」よりも「太る」ことの方が恐怖であった。


しかし、もう限界が来ていた。ある日、目覚めると視界が真っ黄色だった。それに次いで、片耳がこもって聞こえにくくなった。更には、食べ物の味がしなくなった。起き上がるのも億劫になった。


ここまで来るまで私は痩せることを手放さなかった。それでもまだ痩せていたい。太りたくない。病院にも行きたくない。でも、限界なのもわかっている。


そんな私を見かね、心配と限界を超えた両親が救急車を呼んだ。そしてその日から、低体重と低栄養、摂食障害という診断を受けて入院することになった。


そんな状況になってもなお、太ることを恐れ入院を拒んでいたが、両親の必死の形相と自分の現実を見るとそんなことはできなかった。


なんて情け無い人間なのだろう、これからまた太って醜くなって生きる価値もない、迷惑ばかりかけて…無駄なお金を親に払わせて、死んだ方が良いと、毎日毎日思った。


低体重の為、キツい行動制限がかけられた入院生活だった。とにかくずっとベッド上安静である。食事もベッド、風呂は入れず、使えるものも限られており、スマートフォンや電子機器も1時間しか使えない。本や新聞を読むことは許可させていたが、なんせ体力もなく、頭も働かず、読むことが出来ないほどになっていた。


とうとう立ち上がることさえできなくなり、恥ずかしながら、オムツを装着する生活になってしまった。屈辱的であった。もう泣き言を言っている余裕はない。ただ与えられた三食を食べて、食事以外の時間はじっと動かず、自分と対話し、泣くほど色んなことを考え、時間が過ぎるのを待つだけの毎日だった。


それでもなお、大きく膨らんでいくお腹、むくみや脂肪で太くなる足に、耐えられない恐怖と罪悪感を感じていた。一方でこれを乗り切れば、退院できる、次こそは自分らしく生きていけるという、期待もあった。感情が蠢きすぎて、自分自身が分からず抑えきれない時もあった。


これほどまで、人生の中で自分と対話したことはなかった。自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、分析したことはなかった。


振り返ってみると、私は自分の意志ではこれまで生きていなかった。誰かからの評価を気にして、気に入られようとする人生だったのだ。決断とか自立という言葉からは程遠い道を歩んできた。


親に褒められたい、他人に良く思われたい、万人ウケするようになりたい…意識はしていないが、自ずとそういう風にしていたのだろう。


その中で自分で決断し、成功した初めてのことがダイエットなのかもしれない。(結果的には失敗と捉えられるが。)それに、快感を覚え、麻薬のように漬け込んでいったのだと思う。


また、自分には自慢できるものが1つもなく、せめて容姿だけでもという思いが加速させた。(これもまた、結果的には 痩せすぎて醜いものとなっていたが。)


三ヶ月の入院生活のうち、二ヶ月ほどが経った頃、お陰様で徐々に体力が回復し始めた。自分との対話しかできなかった私も、少しずつ動けるようになり、暇を持て余しはじめた。


すると父親が、絵でも書いてみればと勧めてくれた。幼少期は、絵を描くことも好きであったが、もう何十年も絵など描いていない。


だが、描き始めると案外楽しく、絵を描くことにハマっていった。毎日一枚以上は絵を描いた。(上の写真が私が描いたイラストの一部です)

すると、看護師さんや先生が ありがたいことに褒めて下さった。これ、特技と言っていいよといってくれた。嬉しかった。痩せていること以外にも私にも張れるものが出来たのだろうかと思った。


入院中、自分の教養不足にも気づいた。色んなことを知らな過ぎる。今まで、痩せることで頭がいっぱいで、自分の容姿にしかこだわってきていないせいで、知るべきことを知らず、やるべきことを疎かにしていたことに気づいた。


また、勉強したいという思いも溢れはじめた。勉強も自分の意志で始めると楽しいもので、入院中、英語の勉強をしたり興味のある分野の本を僅かながらも勉強しはじめた。


あぁ、これが楽しいということなのだな、これが意志あるということなのだろうか、と思った。


入院生活は、厳しいものであったが、たくさんのことに気づかせてくれた期間でもあった。その期間を与えた両親には感謝してもしきれない。お世話になった病院の方々にも頭が上がらない。


退院する時、これからは絶対に自分らしく生きていこう、容姿になんかとらわれずにやっていこうと決心した。もう、摂食障害は克服した!と感じていた。


しかし、最初の記事( https://note.mu/no_gu_/n/nb711c48406ef )に書いてあるように、まだ摂食障害の脳が残っている。決心した自分らしくには、なっていないかもしれないが、自分なりに有意義には過ごしていると思っている。



ここまで長々と私の経緯を書いてきたが、はじめの疑問“摂食障害はダイエットの延長線上にあるものか”というと、一概にそうではないと考える。

ダイエットの延長線上にあると定義されると、万年ダイエッターの方や、ダイエットについてのことを職にしている方(インストラクターなど)は皆、摂食障害なのではと思ってしまう。


そもそも摂食障害になる人々のダイエットは、自己肯定感の低さ克服や他人からの寛容を求めてするものが多くであると思う。

そうなると、“ダイエットの延長線上“というより、“自己嫌悪感の過度”によって起こるものではないかと考える。


これから、noteでは、このような私の思う摂食障害と心情、また、私の現状も吐露させて頂きたいと思っている。


長い記事を読んで頂きありがとうございました。





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