克服とは、障害とは

「摂食障害 治したい」

「過食 やめたい」

「摂食障害 なぜ」

気がつくと毎日検索するワード

「せ」と打つと、すぐに「摂食障害」というワードが浮かび上がる

分からないことは「ググれカス」の時代だが、

この疑問に対する答えはググってもでてこない。


人の克服するまでの体験談を読んでも、摂食障害を患う人の心理傾向を理解しても、この病気は簡単には治らない。


自分の精神、信条は自分で一掃するしかない。


人の容姿なんて他人はそんなに気にしていない、太ってても痩せてても私は私、人は人。好きなように生きれば良い。


そんなことは分かっている。分かっているのに、異常に気にする。良い見た目でなければならない、不細工だけれども、せめて体型だけは、

と痩せに執着してしまう。

これはカロリーが高い…糖質が…太ってしまう…アァ食べ過ぎた…出さな…


そうかと思えば


もうどうでもいいや、好きなもの食べよう、食べまくろうと、満腹の体に詰め込む。

そしてその後長い長い後悔の時間が続く、それと共に、長い長い御手洗いでの時間が過ぎる…


どうして普通に食べられないのだろう、どうして食べることに後悔するのだろう、どうして普通のことが普通にできないのだろう。そんな、甚だどうでもいいことを延々と悩んでしまう。


こうでなければならない、こういなければならないという自分の勝手なルールに縛られ、どんどん小さな人間になっていく。縛れば縛るほど、その反動も大きい。


私は昨年の夏、摂食障害が原因で入院した。


痩せ細り、筋力がなくなり自力で起き上がれなくなるほどになった。自分のルールに縛られすぎ、それが私の中での標準になり、自分が異常なことに気づかず行くところまで行ってしまった。


まさか自分が人生で入院を経験するとは思ってもいなかった。


食事管理、行動制限につぐ行動制限の三ヶ月の入院生活だった。毎日毎日泣いた。


早く退院して自分の好きなことを好きなようにして、好きなものを好きなだけ食べようと思っていた。退院する頃は、もう自分は摂食障害は克服した!大丈夫!と思っていた。


確かに、退院して一ヶ月ほどは明るい気持ちで歩き出していた。


しかし、摂食障害はそんなに容易く消え去る病気ではない。時間が経ってくると、膨らんでいくお腹、ウエストに死にたくなるほどの恐怖を感じ始めた。太っていっている自分を受け入れられなくなってきた。


また、食事制限をしよう、糖質制限しよう、食べないでいよう…というループにはまり込んでしまった。


入院前は食べることを制限することができた。

しかし、今はそれができない。ダメだダメだと制限すればするほど思いっきり食べてしまう。きっと体が飢餓状態にあるから栄養を求めているのだろう…通院先の先生もそう言う。せめて標準体重になるまでは、それで大丈夫だと言う。


標準体重なんて私にとっては、もうそれはかなり太っているように感じる。後に、そうなるのかと思うと怖くて怖くて涙が出る。


なんて贅沢病なのだろうと思う。こんなことに悩む余裕があるなんて逆に幸せなのではないだろうかとも思う。


だが、当事者の自分にとっては生きるか死ぬか程の重大な要件だ。毎日頭の中は、太る痩せる、食べる食べないでいっぱいである。


摂食障害とはなんなのだろうか。

目には見えない病気、人からの評価を過剰に気にする病気、生きにくくなる病気、自分を受け入れることができない病気…


治療法、特効薬は実質的にはない。


自分と向き合って、対話して、解放するところは解放することで、うまく付き合っていくしかない。


「克服」と言えるのは、どの状態なのかはわからない。「普通」はどこなのか見えない。


毎日辛いを楽しいに変えたい



読んで頂きありがとうございました! まだまだ初心者ですが、色んなことを書いていきたいと 思います! ぜひあなたのnoteも勉強にさせて頂きたいです〜🌹