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【体験談】大学に行けたのは、好きなことのおかげ。

はいどうも!(^^)/
対人恐怖克服コーチの野田新菜(のだわかな)です!

私は主に、社交不安障害(あがり症、赤面症、視線恐怖等)でお悩みの人をサポートする活動をしています。

今回は「社交不安障害を克服する直前の話」をさせていただきます。



私は野球が好きでした。
観戦するのも、実際に投げたり打ったりするのも好きです。
いつかは本格的にやってみたいと、心のどこかで思っていました。

「大学に入って、野球に専念しよう。」

そう決意し、引きこもりだった私は大学に入学することができました。

中をのぞいてみると、周りは全員経験者。
高校から野球部に所属し、そのまま大学でも続けていくという人ばかり。
プロを目指人も中にはいました。

そう、気づきましたでしょうか、、?

部員が数十人いる中で未経験者は、私だけだったのです。

しかも、他の部員はお互いが顔見知り。

女子野球は規模が大きいわけではないので、高校で野球をしていれば自然と知り合いが多くなります。

私は大学から野球を始めたので、周りからは「なんで野球部入ったの?」という風に変わり者だと思われていました。

野球をしに来ている人が多かったので、
勉強に真面目な人はほとんどいませんでした。

授業中に喋ったり自由に出入りをしたり、堂々と寝ていたり、、。

高校の半分は受験勉強しかしてこなかった私にとって、
それは軽いカルチャーショックでした。

(この人たちと上手くやっていけるのだろうか、、?)

毎日不安はありました。

講義が終わると毎日部活があるのですが、
野球部の文化もあまりわからず、ただ上下関係には厳しかったです。

先輩一人一人にラウンドして挨拶していくのが当たり前のように繰り広げらていて、高校生の頃の部活が頭をよぎりました。

学内でも遠くでも先輩を見つけたら駆け寄って挨拶をしていました。

(この形式ばった慣習、、あまり得意ではないな、、。)

そう思いながら私は見様見まねで頭を下げて一人一人に挨拶をし続けました。

礼儀・マナーとして挨拶は自然なものではありますが、
挨拶のし忘れや雑用をうっかり先輩にやらせてしまうと、それ相応の扱いを受けるなんてこともありました。

私はそういうのが得意ではなかったため、その度に傷つきました。

気付けば素で笑うこともほとんどなくなっていました。

周りと上手くかかわっていくには、周りと同じタイミングで笑ったり、
周りと同じところでご飯を食べたり、

自分から歩み寄ることが大事なんだ。

そう思っていました。

自分を押し殺してまでも、違和感の方を選び取っていたんです。

しかし、周りに合わせることを続けていった結果、自分が分からなくなってしまいました。

そして、周りに合わせれば合わせるほど人は離れていきました。

私は居場所がなくなることを恐れていました。

焦りと不安です。

部活を続けていくには、誰かと仲良くならなきゃいけない。

そう思っていましたが、そのための努力は逆効果だったようです。

私は周りに合わせきれず、浮いてしまいました。

トスバッティング等で二人一組になる場合は奇数だと大体私が残ってしまうし、

気を遣ってくれて「やろうよ」と言ってくれる人もいましたが、

そんな自分が情けなかったです。

ルールも細かくは把握していないし、スライディングもまともにやったことない人間を相手してくれているだけありがたかったのかもしれません。

ご飯に連れて行ってくれる先輩も二人ほどいてくれました。

しかし、人間関係に疲れ、私も我慢の限界が来ていたようで、
だんだんと部活に行けるメンタルではなくなってしまいました。

社交不安障害の症状が再び顕著にあらわれてくるようになったのです。

(私とは仕方なく関わっているんだろうな、私がいると迷惑だ。)

どんどんネガティブな方向に考えてしまい、部活に出るのが怖くなっていきました。

部員に会うのも嫌で、部活も仮病を使って休むことが多くなりました。

顔も乾燥していって肌が酷く荒れていきました。

講義室に入る時の人の多さを見るだけで顔が赤くなったり、
息切れがするようになりました。

荒れた肌と赤面している顔を隠すためにマスクをするようになりました。

頭も真っ白です。

誰かが私の悪口を言っているのではないか。

部員の子とも、もう関わりたくない。会いたくない。

講義の合間も話しかけられないように机に突っ伏し、
もし話かけられようものなら、

「ああー!!」

と叫んでしまったこともありました。

(うるさい、一人にしてくれ、放っておいてくれ)

そんな感情が詰まった心の悲鳴だったのかもしれません。

完全に日常生活にも支障が出てきていたので、
私は耐えられなくなって退部しました。

アルバイトも当然行ける状態ではなかったので、心の病を理由に辞めてしまいました。

私はまたここで、メンタルクリニックに通うことになります。

(またここでお世話になるのか、、)

私は元々病院が嫌いなので、正直苦痛でした。

通っても結局なんともなりません。

10分程話して大きなお金を払うだけの場所だと思っていました。

それが嫌ですぐに通うのを辞めてしまいました。

大学も辞めたいと親に言うと、即却下されました。

高校も一度辞めようとして、予備校も辞めて、
そんな私を見てか、辞め癖がついていると思われ、
すぐコロコロ変えようとするのはやめなさいと言われてしまいました。

(逃げたくて仕方がない状況で、どうしたらいいんだ。)

腹が立ってはいたものの、
今の環境でどうにかしようという考えにシフトしました。

どうにかしようとした末、今のこの不安障害をどうにかしないとこの先も生きていけないだろうとは思っていました。

そのくらい追い込まれていたのです。

就活も諦めかけていました。

私にとっては生きるか死ぬか。

そのくらいの重い問題でした。

死に物狂いでインターネットで治す方法を探していくことになり、

そこで運命的な出会いをします。

それはこちらの記事にも記載しています↓ ↓ ↓ 

ありえないくらい劇的に変われたのは、そこで見つけたセミナーのおかげだったのですが、
もし参加していなかったら今頃どうなっていただろうかと、
考えるだけで恐ろしいです。

とにかく、この大学での部活の経験がなければ、私はセミナーにたどり着けなかっただろうし、こうやって今「社交不安障害で悩む人を0にするんだ」という情熱を持って活動していないだろうと思います。

好きなことがあったから、大学にも行こうと思えたわけで、私は好きだった野球が行動するきっかけになったのです。

今まで「生きづらさ」についてずっと考えてきました。

発達障害、グレーゾーン、HSP等、たくさん調べました。

メンタルクリニックで発達障害の診断テストを受けたことがあるのですが、
私はそこで「神経発達症(ADHD>ASD)」と診断されました。

「衝動性、こだわりの強さ、過剰な集中、興味関心の限局性、対人コミュニケーションのまずさ、曖昧な状況に耐えられない。」

こういった発達障害の二次障害として、社交不安障害を発症したという捉え方があってもおかしくはないのですが、

社交不安障害を克服してからは、私はそういうのも考えるのがめんどくさくなりました(笑)

特性は変わらないのであれば、その特性を強みとして発揮できる環境にいけばいいんだと、自分でできることをしようと思えたのです。

結局は自分をまるごと愛せればそれでいいのです。

自分らしくいられる場所があることがどれだけ幸せなんだろうかと、今では感謝の気持ちでいっぱいです。

好きを感じて生きていく。

この大切さを実感できている今が大変幸せです。

今まで色んなワガママを言ってきて、勉強面でも生活面でもたくさん支援してくれた祖母には、名高い大学に入れずに申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、
自分なりにこれからは恩返しをしていこうという気持ちです。

自分の人生を恨まず、とことん愛していこう。

皆さんにも、「自分の人生は素晴らしいな」と思っていただけたら嬉しいです。


普段は、
・人の目が気になる
・視線が怖い
・緊張して赤面したり頭が真っ白になる
・手足が震えて力が発揮できない
・会食が怖くてできない等

こういったことでお悩みの方に向け、60分間の無料個別カウンセリングを行っています。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました!









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