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他者とは

娘が不登校になり、


支援者の方々のサポートを受けて
試行錯誤する中でのことです。


我が子に対して


『本当は、
この子はこんなことを
感じていたんだ?!』


『本当は、
こういう子だったんだ?!』


という数々の発見がありました。


本人にじっくり
話しを聴くことや、


カウンセラーの先生に
ご指摘いただく中で、


それまで
私が娘に感じていた


『自分の子どもは、こういう子』


という認識は
決めつけであったり、


とても浅いものだったんだな、
と気付かされました。


自分のお腹を痛めて産んだ
我が子であっても、


自分とは
別人格の他者である


という当たり前のことを


不登校になる以前よりも、
明確に
感じるように
なったと思います。


ですので、

決めつけや
思い込みではなく、


娘のことを

よく見て
話しをよく聴く


ということを


以前よりは
できるように
なったのではないかな


と感じています。


以下は、
精神科医 斎藤 環さん著作の

『まんが
やってみたくなるオープンダイアローグ』

より抜粋させていただきます。

他者というのは、
あなたの認識をはるかに超えた、
計り知れない深みを持った存在のことです。


それを理解することが
対話では大事なんです。


対話実践を続けていると、
どんな患者でも、


こちらの予想を超えた
言葉やふるまいを見せてくれます。


そういう
他者性を尊重する姿勢もまた、


治療のプロセスを
支えてくれる
大切な要素です。

×××××××××××××××××××××××××

斎藤環さんの

このお話しと
少し親和性があると感じたのが

ディズニー映画の

『ミラベルと魔法だらけの家』です。

ご覧になられたでしょうか?


なかなか言葉にできない想い、


もしかしたら
本人も気がついていない感情に


こちらが気づいたり、
耳を傾けるのは
とてもむずかしいことだけれど、


とても意義があること

というメッセージに
私にとっては感じられました。


当事者が自分の想いを
言語化して対話することで、


周囲の人や本人自身でさえも

気づけなかった


その人自身の
心の奥にしまわれた想い

にみんなが気づいていく


ということは
ファンタジーではなく


ありえること
なのではないでしょうか。


こんなにも
対話のむずかしいご時世

だからこそ、

対話の重要性を多くの人が
感じ始めているような気がします。


相手を知るには

まず、
相手を決めつけないことが
重要ですね。


『この人のことは、
だいたい分かった。』

と思った瞬間に

見えなくなるものはあると思います。


他者を知る、理解する
ということは


かなりむずかしく、
簡単なことではないようだ。


ということを、
娘の不登校経験や、
周囲の支援者の方々、

ご紹介した著作や映画などから

感じました。


※素敵なイラストはお借りしました!ありがとうございました!


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