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自分の見えている世界が全てではない

例えば
親が子どもに


『良かれと思って』


アドバイスをしたり


行動をしたり
することがあると思います。


良かれと思って
やっているのだから
当然やっている側は


自分は正しいと思って
やっています。


でも、その

『良かれと思って』

『自分は正しい』


は、

ある意味危険だなと

自戒をこめて思います。


例えば


花束をもらうのは大抵の人が
喜ぶとは思いますが


中には

花粉などで体質に合わず、

いただいても

実は大迷惑、


ということも

絶対にないとは言いきれません。


プレゼントしてあげたいという
心は素晴らしいけれど


気持ちの押しつけに
なってしまっては

残念です。

それに

『良かれと思って…』


のアドバイスの中には
ときどき


『私は正しく

あなたは間違っている』


という思いが
含まれていることが


あるように感じます。


不登校の娘(長女)を
支援してくださった方の

尊敬するところは、

『自分の正しさ』に対して


自分自身と

真摯に

向き合われている

と感じるところです。


誰でも信念があり
自分の中の正しさがあります。


もちろん
それは
重要なことですが


相手を理解しようとするなら


自分の正しさに対して
客観的な、疑いの視点も持つ。


そうすることで
広い視点で物を
見られるようになるのかな


と支援者の方を見て感じました。


どなたの本に載っていたのか
忘れてしまったのですが


以前読んだものの中に


『自分が
「これだけは
絶対に間違っていない」


と思っていることを、


まず疑え!』


といった考え方があり、
刺さりました。


ソクラテスの
無知の知

にも通じる言葉のように
感じます。


支援者の方は

そういうモノの見方を
実践されているように感じました。


だからこそ


子どもの抱いていた
世界観に近づくことができた
のではないかと思います。


自分の見えている世界が
全てではない


『良かれと思って』

『自分は正しい』は、


親と子どもにかぎらず、

さまざまな人間関係で

起こりがちな

すれ違いだと思います。

わたしも
気をつけなくては…

と今日も思いました。


※素敵なイラストはお借りしました。
ありがとうございました。

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