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これからの人生に望むこと
ありがとう
そうたくさん感謝の出来る人生を送りたい
ささいなことに感謝していきたい
幸せとはそういうものであると私は思う
翳りゆく部屋 ノアの方舟のゆくえ
乳がんの末期だった。シルバーカーを押しながら、酸素を吸い、歩く姿は50歳には見えなかった。
彼女に対しては母親の施設入所の支援。介護保険の申請。生活保護の申請など、必要な支援を受けられるようにした。
ある日、生活保護を申請した後だったか、彼女が自分の半生を語り出した。
幼い頃、母親が出て行って父親と親子2人で生きてきたこと。父親と同じマッサージの仕事をし、片時も離れなかったこと。
父親が重
彼はひたすらチャンスを待った
相談が近隣住民から寄せられた。
兄からDVを受けているみたいだ。顔色が悪く酷く痩せている。心配だから、支援して欲しいとのこと。
彼に私たちの相談窓口に電話をしてもらって、家は安全ではない為、近所のスーパーのフードコートで話した。
働いたお金は兄に搾取され、食事も満足に与えられない。毎日DVされる。私と彼は目標として、家を出ることを目指すことにした。
彼と何度も会って、相談室で話をし、お茶を
どんな状況にいようとも
相談者の話。
70歳くらいだったと思う。彼女は精神障害や長年の生活習慣で酷く腰が曲がり歩行も困難。薄暗いゴミ屋敷で、薄っぺらい布団の上で寝たきりの生活をしていた。
介護する人はなく、夫が1日に1回様子を見に来るだけ。
カップラーメンとなめこの瓶が用意されて、それを食べていた。カラダは骨に皮がついているといったようなもの。
それでも彼女は美しかった。
美容師をしていたという。かつての美貌を