ナタリー〜ことばと私〜

作家を志しています。数々の受賞歴はあるも、食べていけず、ソーシャルワーカーとして医療、…

ナタリー〜ことばと私〜

作家を志しています。数々の受賞歴はあるも、食べていけず、ソーシャルワーカーとして医療、学校、地域で相談に乗ってきました。夢を諦められず、こちらで応援していただければと思っています。

最近の記事

孤独を生きるには

人間は本質的に孤独である 私は特にそう感じてきた。 しかし、孤独を感じない瞬間はある 誰かのために何かをしている時だ 私は仕事がら、たくさんの「ありがとう」の言葉を頂いた。 感謝をしたいのは私の方だっていつも思っていた 私に打ち明けてくれてありがとう 信頼して頼ってくれてありがとう 解決に向いて共に歩んでくれてありがとう 私は助けてと頼られることで居場所をもらっていた 孤独を忘れていられた 信頼されることに勝る喜びがあるだろうか 孤独から救って頂いてい

    私がのこしたいもの

    人生には終わりがくる。 私は何をのこしただろう。花は咲くという歌でも言ってる。 私が何をのこしたいか。 栄誉や名誉、お金。 そんなものは、多分多くはのこせないだろう。 私自身を振り返ると、亡くなった人から遺されたもので、一番役に立っているのは、 愛された記憶 かけてもらったやさしい言葉 それは何よりも私を救ってくれている。人生につまずいた時、悲しい時、苦しい時、思い出すと人生が大切に思える。 だから、私もたくさん愛し、やさしい言葉をたくさんのこしたい。 そ

    私がのこしたいもの

    しあわせな人

    私の友人が久しぶりに電話をくれた。 私が勤めていた組織に作ったマスクを寄付したいという。 その言葉を聞いた時、私の心は大きく揺さぶられた。 私はその子が古着のジャケット数百円を欲しいのに買わなかったこと、ランチに誘うと料理を持ちよって食べようと言ったことを知っている。 自分のためのものを手に入れることをその人は惜しむ。 確かに経済的には豊かでないかもしれない。 けれども、私は彼女こそ豊かな人だと思う。 自分のためではなく、人のために何か出来ることを考え、行動をす

    恋は遠い憧れ

    私たちは恋をする。泣いたり、笑ったり、嬉しかったり、切なかったり。 そんな他愛もないこと。他愛のない感情。 思春期から、大人になるまで身近にあるもの。 けれども、それが当たり前のことではないと感じた祖母の言葉。 私は祖母と親しく、祖母の裕福な少女時代の眩しい生活や、戦時中の話、子育ての話などよく2人で話した。 当時90歳だった祖母が言った。 「おばあちゃん、生まれ変わったら恋がしてみたい」 90年を生きてきた祖母がしたくてたまらなかったこと、それが出来なくて、生

    汝の敵を愛せよ

    決して神様なんて信じないが 心に響いた 許せない、許さない 自分を貶めようとした相手には そう思ってしまう けれど それは同時に自分の心も汚している 許せないと憎しみを抱えていては自分も醜いまま 敵を愛せよ とは、許せよ ということなのかもしれない 許す 愛する ということは少なくとも自分の心を豊かにさせる そうして生きていれば もしかしたら私を貶めようとした人間の心も溶かすことが出来るのではないかと思った 憎しみの連鎖より 愛の連鎖を 幸せの連鎖を まずは私の心

    少年 〜父の記憶〜

    少年は貧しい家に生まれた 4人兄弟の長男で戦後の食糧難に 納豆一つを争って食べたとか黒いお米を食べたとか自慢げに話していた 少年の家はトタンで出来ていて夜眠る時 天井を見上げると星が見えたという 少年は勉強が出来なかった。パイロットになるのが夢だったが、その夢は勉強が出来ないという現実にうちのめされた 運動は出来たというが大した成績を残すことはなかった ジャズがしたいと大学に入ったが少年の大学はジャズはやっていなく結局自動車部に入り酒をたらふく飲んだという 勉強も運動も特

    少年 〜父の記憶〜

    翳りゆく部屋 ノアの方舟のゆくえ

    乳がんの末期だった。シルバーカーを押しながら、酸素を吸い、歩く姿は50歳には見えなかった。 彼女に対しては母親の施設入所の支援。介護保険の申請。生活保護の申請など、必要な支援を受けられるようにした。 ある日、生活保護を申請した後だったか、彼女が自分の半生を語り出した。 幼い頃、母親が出て行って父親と親子2人で生きてきたこと。父親と同じマッサージの仕事をし、片時も離れなかったこと。 父親が重い心臓病にかかり介護している時に、自身の乳がんらしき、しこりを発見したが父親の介

    翳りゆく部屋 ノアの方舟のゆくえ

    彼はひたすらチャンスを待った

    相談が近隣住民から寄せられた。 兄からDVを受けているみたいだ。顔色が悪く酷く痩せている。心配だから、支援して欲しいとのこと。 彼に私たちの相談窓口に電話をしてもらって、家は安全ではない為、近所のスーパーのフードコートで話した。 働いたお金は兄に搾取され、食事も満足に与えられない。毎日DVされる。私と彼は目標として、家を出ることを目指すことにした。 彼と何度も会って、相談室で話をし、お茶を出してもいつも彼が飲まないのが気になった。 「お茶、いつも飲みませんね。嫌いで

    彼はひたすらチャンスを待った

    どんな状況にいようとも

    相談者の話。 70歳くらいだったと思う。彼女は精神障害や長年の生活習慣で酷く腰が曲がり歩行も困難。薄暗いゴミ屋敷で、薄っぺらい布団の上で寝たきりの生活をしていた。 介護する人はなく、夫が1日に1回様子を見に来るだけ。 カップラーメンとなめこの瓶が用意されて、それを食べていた。カラダは骨に皮がついているといったようなもの。 それでも彼女は美しかった。 美容師をしていたという。かつての美貌を彷彿とさせる、白く美しい顔だった。 子どもはいたが、全員自殺した。 ある日、

    どんな状況にいようとも

    大人だから

    私は大人だから大丈夫 私が泣くと困るから あなたの知らないところで泣くから どうか私を放っておいて 私は大丈夫 大丈夫 そう言い聞かせても 涙はあとからあとから流れ落ちる 気付かれないように わからないように泣くわ それでも、それが余計に悲しくなる 大丈夫、大丈夫。 私は大丈夫 胸が張り裂けそうになっても我慢出来る 私、苦しめるでしょ あなたを困らせるでしょ やさしくなんてしなくていい 愛がないのなら どうかお願い 放っておいて あなたに心の中で さよな

    人生讃謳

    人を信じること 人を愛すること 人に優しくあること 青春を心に持ち続けること 人生を良きものと捉え 感謝すること 心を覆いつくすような悲しみはないこと 憎しみに負けない愛情を持つこと 身に降りかかる困難を受け入れ喜びに変えること あなたが生きた人生そのもの 人生を喜び歌い上げるしなやかな強さ あなたが命の果てるまで貫いた 人生賛歌

    しあわせ

    新しい幸せばかりを求めて 気づけば古い幸せを捨ててる ふと昔の香りがして 振り返ってみると 古い幸せが鮮やかに映る 忘れていた記憶がやさしい歌に包まれて 懐かしくて知らぬ間に涙がこぼれた しばらくの間その幸せに酔って 高ぶる感情の波に乗って 時間を駆け抜ける 誰かが私を呼ぶ その瞬間 私はまた新しい幸せを求めている

    ことば

    歌は人を湧かせる 感動と興奮を一瞬にして奪う 言葉は 言葉はどうだろう 美しい言葉は人のなかにジワジワと入り込む 雨を大地が吸収するかのように 大地の糧となるように 言葉は人のこころに染み入り、糧となり永遠の輝きを残す 静かに 静かに 私に与えられたものは少なくとも声ではない 言葉を紡ぐこと 私にとって言葉は私が私を表現する唯一の手段だ せめて、誰かのこころに届くよう、静かに言葉を紡ぎ出す