恋は遠い憧れ

私たちは恋をする。泣いたり、笑ったり、嬉しかったり、切なかったり。

そんな他愛もないこと。他愛のない感情。

思春期から、大人になるまで身近にあるもの。

けれども、それが当たり前のことではないと感じた祖母の言葉。

私は祖母と親しく、祖母の裕福な少女時代の眩しい生活や、戦時中の話、子育ての話などよく2人で話した。

当時90歳だった祖母が言った。

「おばあちゃん、生まれ変わったら恋がしてみたい」

90年を生きてきた祖母がしたくてたまらなかったこと、それが出来なくて、生まれ変わったらと切に願うことが

「恋」

だとは。私は言葉を失った。

祖母は大正生まれだった。若い時代を戦争に奪われ、生きていくことに苦労し、恋どころではなかったのかもしれない。

また時代も結婚とは家同士のことの時代。女性が自立して生きていくことが困難な時代では、自分の意思よりも、親が決めた相手ということ、その方が世間体も良かった時代。

恋とは遠い憧れのようなものだったのかもしれない。

私が山本有三の「女の一生」を夢中で読んだと言ったら、祖母は、

「おばあちゃんも、昔夢中で読んだ。女学生のバイブルと言われた本だったのよ」と微笑んだ。

祖母だけでなく、当時の女性たちはみな、「女の一生」の主人公のように恋をし、自分の意思で生きていくことに憧れを抱いていたのかもしれない。

恋が出来る。それはもしかしたら、恵まれていることなのかもしれない。

祖母は数年前に亡くなった。

生まれ変わって、恋をして欲しいと思う。たくさんの感情を味わって、「もう恋なんてしない」と言うくらいに。

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