翳りゆく部屋 ノアの方舟のゆくえ

乳がんの末期だった。シルバーカーを押しながら、酸素を吸い、歩く姿は50歳には見えなかった。

彼女に対しては母親の施設入所の支援。介護保険の申請。生活保護の申請など、必要な支援を受けられるようにした。

ある日、生活保護を申請した後だったか、彼女が自分の半生を語り出した。

幼い頃、母親が出て行って父親と親子2人で生きてきたこと。父親と同じマッサージの仕事をし、片時も離れなかったこと。

父親が重い心臓病にかかり介護している時に、自身の乳がんらしき、しこりを発見したが父親の介護を優先するために放置したこと。

放置した乳がんが腫れ上がり、出血しながら血をバケツに出し、倒れながら父親を見ていたこと。

父親を看取って、病院に行った時には手遅れ、あちこちに転移していたこと。

私は父親のために人生を捧げたのかな?

と自分に問いかけるように彼女は言った。

彼女と会っていた時、何かの話題でユーミンが好きという話になって、私たちはお互いの好きな曲を言った。

ユーミンの曲は一つの物語になっていると彼女は言った。

翳りゆく部屋が好きと言うと、ノアの方舟みたいじゃない?

と彼女が言った。

彼女の家に訪問に行く度、ユーミンの曲がかかっていた。

ある日、彼女がウィッグを持っているというので、私は付けているところを見たいと言った。

彼女は少女のような笑顔をしてウィッグを付けた。

あまりの可愛らしさ、可憐さに私は思わず

「可愛いですね〜❗️」と言った。

彼女は嬉しそうに、

「そう⁉️」と振り向いて笑顔を見せ、

「お化粧しちゃおうかなあ」と言って、化粧を始めた。

鏡を見ながら、熱心に化粧をする姿がいじらしいくらい可愛かった。

口紅をさして、

「どう⁉️」とこちらを見た顔は、肌つやもよく、チークで華やかで、50歳には見えない若さを感じた。

彼女自体が少女らしい人なのか、最初に彼女を見た時の印象は薄れ、彼女の言動を聴いたり見たりすると、まるで少女のような穢れのなさをかんじた。

彼女は私にもチークを入れてくれた。

それから、他愛のない話や、彼女が作った漬物やデザート、サラダなどの味見をよくした。

彼女は友達のような関係を私に求めていた。好きなことを共有し合う関係。

なんでも話せる関係。

彼女の望む支援はそれなんだと思った。

体調がだんだんと悪くなって、大好きな料理をしても食べれないことがショックだと泣きながら話した。

私はお皿に少量ずつよそって、食べれないことを感じないようにしようと言った。

ガンは怖い、病状が一気に悪くなる。彼女は容体が悪くなり病院に入院し、眠るように亡くなった。

ノアの方舟に乗り、父親のところに行けただろうか。

きっと彼女のいる世界は光に満ちた世界に違いない。

あまりに、少女らしく可憐な人が早く逝ってしまったことに想いを寄せ、私は静かに泣いた。

輝いて、輝いて、煌めく世界に彼女の姿を見つけたような静かな発見のなかで

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