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就活の話~地方×文系大学院生〈番外〉大学院生とは編~

昨日、こんな記事が出ていましたね。

大方の大学院生や研究者を含む院卒者は、この記事を読んでいろんな想いに襲われたのではないでしょうか。私もです。いろいろな想いが胸に去来しました。
しかし、私は「社会科学系の大学院生」なので、文句を言うよりも、この現象が起こった要因に目を向けたいと思います。

そもそもどうしてこんな考えをもつ方が出てくるのかというと、大学の持つ研究機関としての側面、大学院での教育内容、ひいては研究とは何か、が世間に伝わっていないことが原因の1つだと考えています。
就活をしていても、「あ、大学院って大学の延長で、私はただモラトリアム伸ばしただけって思われてるんだろうな…」という場面があります。

そこで今日のnoteでは、大学院って何をするところなのか、研究とは何かについて、私なりに説明していきたいと思います。
分野によってかなり解釈に開きがあるでしょうから、あくまでも社会科学系の文系院生(修士)の一意見として読んでいただければ幸いです。

※なお、本文で言及する「大学院」には医学系大学院、法科大学院等の「資格を取るための大学院」は含みません。また、公共政策大学院のように専門職養成のための大学院も対象に入りづらいところがあると思います。ご了承ください。

1.「勉強」と「研究」の違い

さて、「勉強」と「研究」って、どう違うと思いますか?

私の答えは、「『勉強』は既に存在する知をインプットすること、『研究』はまだ存在しない知を生み出すこと」です。より具体的な行為に落とし込んで言うなら、「『勉強』は教科書や論文を読んだり、講義を聞いたりして知識を習得すること、『研究』は学んだことを活かして教科書や論文、講義の内容を創り出すこと」です。
まだ存在しない知を生み出す方法として、分野によって細かく「研究手法」が定められていて、その方法に則ったものが「研究」として認められます。

よく、「〇〇について研究するため、調べ尽くしました!」とか、「ビジネスに活かすため、××について研究しました!」という文言を見かけます。私の定義に則って言うなら、上記のような行為は「研究」ではありません。私が知らないだけ、あるいはそういった方々が明示していないだけである分野の研究手法に則っていた可能性は否定できませんが、「勉強したことを活用し、新しいやり方を考えついた」だけでは研究とは言えないのでは…と個人的には思います。

2.大学院、大学院生って?

では、大学院とは何をするところか。
大学院生は何をしているのか。

大学院とは、研究をすると共に、次代の研究者を育成するところです。大学院生は、学問の世界の新入社員とでも言えばわかりやすいでしょうか。
タカラジェンヌを目指す少女が宝塚音楽学校に入るように、料理人を目指す人がレストランや料亭で修業するように、庭師を目指す人が庭師に弟子入りするように、私たちは研究者の元で「研究のしかた」を学んでいるのです。

「大学院生は学生だが学生でない」と言われる由縁はここにあります。通常の新入社員ならお給料をもらいながら仕事を覚えるところ、私たちは学費と言うお金を払って(ここ大事)研究者の仕事を覚えているのです。

院生になると指導教官との関係性も変わります。指導教官によって変わってくるところですが、「上司と部下」、「師匠と弟子」、「党首と党員」、「漫画家とアシスタント」あたりが近い表現でしょうか。少なくとも小中高(大)でイメージするような「先生と生徒」の関係性ではなくなります。

そんな関係性ですから、指導教官の講義や、学部生の指導などの手伝いを頼まれることが圧倒的に増えます。そして研究も、それぞれが独立して進めていくことが求められます。ただ手取り足取り教えてもらえる環境ではありません。何をするにも、すべては自分の責任です。

修士とは、ちょうど新入社員としての研修が終わった頃合です。修士の次にはより力をつけるための博士がありますが、多くの院生は修士を終える時に研究ではなく他の道に踏み出しますね。
それには様々な要因がありますが、1つ言えるのは、研究のしかたを一通り習得し、ひとり立ちできる証である博士号を取得するのが、めちゃくちゃに難しいからです。

3.博士号を取って研究者になるには

博士課程の修了要件は所属大学によって違いますし、私の所属する大学の要件を細かくここで提示して身バレしたら困るので細かくは書きません。
少なくとも査読付き論文を1本は通さなければならないのは、すべての大学に共通するのではないかと思います。

査読論文について説明をすると長くなってしまうので手短にまとめると、「他の研究者から『あなたのこの論文はきちんとした研究手法に則り、これまで明らかにされていないことを明らかにしていますよ』と認められた論文」です。
査読は誰がやるのかわからないことになっており、その道ウン十年のベテランが付く可能性もあります。通常の会社で言えば、入社3~5年目で50代、しかもキャリアをバリバリ築いてきた上司と一対一で対峙するようなものでしょうか。

若いからという理由で甘くしてもらえることはありません。反対に、ベテランだからという理由で優遇されることもありません。
当然ですね。だって学問の前には誰しも平等だから。そんな理由で、新しい知として認めるに足りないものを認めるわけにはいきません。

そんな新しい知は、もちろん簡単には見つかりません。長い時間を掛け、粘り強く挑み続けた人だけが手にできるものです。大半の大学教員は博士号をもっていないとなれません(と思います。実務家教員枠もありますが、割合的には微々たるものです)。博士号を取った後も競争が続く厳しい世界です。大学にポストを得るというのは、ものすごいことなんです。

4.まとめ

ここまで、勉強と研究って違うんだよ、大学院生ってこういことをしてるんだよ、大学教員になるって大変なんだよ…ということについて書いてきました。こういったことが世間にあまり伝わっていないのは、正直な所残念です。私は日々研究のしかたを習得するために朝から晩まで大学に通い詰めですが、世間の一部の方からは「学生」というイメージから「毎日遊んでるんでしょ?」とレッテルを貼られることもあります。そんなものだとはわかっていても、疲れている時だとダメージを受けます。

自分がなったことがないのにこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、「専業主婦は楽してる」幻想と構造は似ている気がします。
やったことが無い、あるいは近くで様子を見たことが無い人は、イメージだけで好き勝手言いますね。その人の実際の姿をまともに見ないで、どうして決めつけるんだろう、と私はいつも不思議に思います。

研究や大学院生について書いていたら、結構な長さになってしまいました。違っているところ、説明が不十分なところもあるかもしれません。気づいたら都度付け加えていこうと思います。

※大学院で私が何を得たのかについては、下のnoteに詳しく書いています。興味があればご覧ください。

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