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言語化はいいぞ

大学院に入ってから、とにかくオリジナリティを求められるようになった。
講義にしろ研究にしろ、「で、あなたの考えはなんなの?」と言うことをひたすらに聞かれる。

そんな時、私はいつも自信が無かった。私が知らないだけで他の人がもう考えているかもしれないとか、ちっぽけなアイデアだしとか、私の考えなんて浅いしとか、そんなことばかり考えていた。
正解探しのようなことをして、文献に書いてあったことを引っ張り出したり、結論もなくだらだら話したりしてしまうことが多かった。

優しい人ならそれでも辛抱強く話を聞いてくれるが、厳しい場面だとそんなことをした時点で相手にしてもらえなくなる。
話を遮られ、「もういいよ」と言わんばかりの態度を取られるのである。

そんな自分がふがいなくて、よく落ち込んでいた。
友だちとの雑談は好きでよくするし、文章を書くのも別に嫌いじゃない。
なのにどうして自分の意見をうまく表現できないのか。
何のためらいもなく(と私には見える)自分の思ったことを言える人がうらやましくて、自分と何が違っているのかわからなかった。

結論から言うと、今の私は多分、かなり自己主張が激しい方だと思う。ディスカッションする時は、発言内容の質はともかくよく喋る。noteにも自分の考えをよく綴っている。

そんな風になるまではいろいろあって、長くなるのでここでは割愛する。
ターニングポイントになったのは、「別にすごいこと言えなくたっていいんだ」と気づいた時だ。私は、「自分の考えを述べる」=「他の誰も気づいていない、すごいことを言う」だと思い込んでいた。

そんなことは気にしなくてよかったのだ。
大切なのは、私が私でいることだ。
表現した内容に価値が付くのではなく、「私が、私の思ったことを、私の言葉で表現する」ことそのものに価値があるのだ。

それに気づいてから、徐々に思い浮かんだことを言葉にするようになった。
よく練られた考えでなくていい。ただの感想でも、ジャストアイデアでも、「賛成or反対」の一言からでもいい。とにかく頭の中に浮かんだことを言語化する。
次第に、中身のあることが言えるようになってくる。単語じゃなくて文章で話せるようになってくる。

すべては、言語化から始まる。
私が自分の考えを言えなかった原因は、「自分の考えを言語化する訓練が足りていなかったから」だけで、私が劣っていたとか、勉強不足だからとかではなかったと思っている。
ただ「訓練をした」だけで、自他ともに認める自己主張激しめの人間になった。

そして、自己主張激しめの人間からの一意見だが、言語化は楽しい。頭の中に浮かぶもやもやが整理されて、すっきりする。言語化することで考えが少しずつ前に進んでゆく。

他者との議論だって、自分にない気付きを与えてくれる。自分が言語化して発信したからこそ、他者の意見を受け取ることができたのだ。黙っていても何も生まれない。

就活のグループディスカッションや面接でも、気を付けないと1人で話し続けてしまうのは、なんとかした方がいいかもしれないけれど。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。