医療少年院の基本的なイロハ
少年院で定められているルールやプログラムは、基本的にどこも同じだ。例外があるとすれば、医療少年院と特別少年院だけであろう。
刑務所と少年院の決定的な違いは、罰を受けることが目的の刑務所に対し、少年院は更生を目的としていることである。
そのため、少年院で行われているプログラムは学校の授業とほぼ同じだ。
どこまで口外していいか分からないままノートを書いているが、今日は医療少年院の基本的なことをお伝えしようと思う。
色々と「時と場合による」ルールがあるのが、医療少年院
少年院では細かいルールが定められているが、医療少年院が「楽勝」と言われる理由は、時と場合によってルールが変化することにある。
というのも、少年院では基本的に集団生活を送る。
社会性を身につけるためであるが、通常、初等、中等少年院では数十人単位の大部屋で生活する。
起床の点呼に始まり、食事、プログラム、入浴、就寝までを集団生活の中で送り、ひとりで何かをするということはほとんどない。
しかし、医療少年院ではどんなに多くてもふたりまでしか同室に入ることはない。
ほとんどが独居房で過ごし、起床の点呼と食事は、その日の全員の体調、または騒動を起こす少年がいなかった場合のみ、集団で行われる。
少年院の最も肝心な部分であるプログラムも、通常であれば休講になったり自習になることはほとんどない。
それだけ手が回らないほどのトラブルは、一般の少年院で起こることがほとんどないからだ。
しかし、これまた医療少年院の場合は、休講や自習として部屋から出してもらえない場合がある。
他の少年が発作を起こしたり暴れたりすると、職員総出で保護室へ担ぎ込むため、プログラムに付き合っている余裕がなくなるのだ。
おかしいと思わないだろうか?
どうして真面目にやっている少年が、暴れたり叫んだりする少年のために自習させられるのか。
失った分のプログラムは、どう取り戻すつもりなのか。
私は一度だけ、先生にぶちギレたことがある。
「真面目な奴だけがバカを見てるよね。毎日毎日キチガイの叫び声を聞かされて、文句を言えば懲罰を受けるのは私。どうして?どれだけ我慢すれば、あいつらは大人しく人の邪魔をしないでくれるの?」
ある先生はこう言った。
「そう思うなら、二度とここには来ないようにしなさい。それが罪を犯すということなのよ。」
他の先生は、こう言った。
「あなたが頑張っていることも、我慢していることも知ってる。分かっていないわけじゃない。その証拠に、あの子よりも早くあなたは外に出られるのよ。」
こういったやりとりがしばし行われるのが、医療少年院だ。特に出産のために医療少年院送致になった少年は、頭がおかしいわけじゃない。
正常な判断ができる健常児である以上、医療少年院の動物園のような状況に愚痴をこぼすことも多かった。
だが、やはり医療少年院は楽である。
プログラムや規律、ルールが絶対でないというのは気が抜けるもので、気の抜けた状態でも許されるのが医療少年院なのだ。
医療少年院の1日のスケジュール
少年院のスケジュールは、一週間単位で決められている。
プログラムやイベントなどは月単位で決められているが、食事のメニューや細かいプログラム内容は一週間単位で先生から時間割を渡される。
この辺りは、学校の授業表や給食表となんら変わりない。
プログラムの内容は女子であれば生け花や刺繍、レース編みの時間がある。
ちなみに作成した刺繍小物やレース編みは、一般に販売され、収益は作成した少年が退院時に受け取れるシステムになっている。
私は何十枚か作成して、退院時に約3,000円をもらうことができた。
男女共通のプログラムとしては、体育、書道、講話を聞いたり、ボランティアを招いて勉強会が行われることもあった。
希望制のプログラムも存在し、望めば資格を取得することもできる。
義務教育中の少年はこれらのプログラムに加えて、通常の学校授業を受けることも入れ込まれている。
(なので、少年院では小さい子の方がセカセカと毎日忙しくしている。)
私は19歳と半年で少年院送致になったため、プログラム以外にやることはほとんどなかった。
そこで、そろばんと漢字検定のプログラムを希望し、どちらも一級を取得した。
そろばん(簿記検定)はフリーランスになった今、確定申告で大いに役立っている。ライターという文章を書く仕事において、漢字検定が役立つことは言わずもがなだろう。
更に少年院では、犯した罪によって何人かのグループに分けられ、セッションが行われる。
これは刑務所でも行われていることで、主に薬物で逮捕された少年をメインに行われていた。
これまた医療少年院だけかもしれないが、母親だけのグループセッションも行われていた。
すでに子どもがいる少年もいれば、これから出産を迎える少年もおり、少年院という場所に入ってしまった母と子どもの関係にライトを当てるセッションを行っていた。
基本的に、少年院で自分の個人情報を話すことは禁止されている。
しかし、グループセッションを行うときだけは、個人情報を必要最低限、話してもいいことになっていた。
私はそこで数々の悲惨な環境で育つ少年を知ったわけだが、そのどれも思い出すだけでゲロを吐きそうになる。
少年院の中で最もイベントが多いのが医療少年院
刑務所も少年院も、季節によって様々なイベントが行われていることはご存知だろう。
おせち料理は刑務所でも少年院でも出るし、七夕には可愛らしいデザートが出てくる。
少年院は刑務所に比べるとイベントが多いが、その中でも医療少年院は飛び抜けてイベントが多い。
夏祭り、ハロウィーンパーティー、クリスマス会、お正月、成人式、桜祭りに運動会とほぼ毎月のようにイベントが行われている。
イベントにはボランティアの演奏家や教会の牧師なんかも来てくれて、夏祭りには浴衣を着せてもらえる。
運動会には親も参加し、イベント時の食事は特別メニューだった。
私は19歳と半年で入院しているため、医療少年院内の成人式に参加した。
当時、同い年の少年がふたりいて(男女合わせて10人弱だった記憶)一緒に袴を着てメイクをし、全少年の前で二十歳の誓いを読んだ。
目の前には母と祖母がいて自分で書いた作文を読み上げるのだが、これがものすごく恥ずかしかった思い出である。
しかし、私の評価を上げるチャンスでもあった。
というのは黒い話だが、医療少年院という特殊な場所でも成人式をしてもらえたことはすごく嬉しかった。
他の少年院も同様かは不明だが、医療少年院では、成人式だけ、成人になった少年のみ親と食事をさせてもらえる。たった1時間程度のことだが、久しぶりに母と祖母と食事ができたのは幸せだった。
しかし、中には成人式に親が来ない少年もいる。
そもそも親がいない少年、逮捕をきっかけに親とは疎遠になった少年など、成人式には参加してもその後の食事会では部屋へ帰る少年もちらほらいた。
中には育った施設の職員が、親として来てくれている少年もいた。
本当の親でなくても仲睦まじく話している様子を見て、なんだかホッとしたのを覚えている。
少々話が逸れてしまったが、イベントが多いということは他の少年院に比べて娯楽が多いということになる。
病気の少年が集まっているのだから、療養という意味で娯楽は必要だといえる。
しかし、医療少年院が楽勝といわれる理由は、そこにもあるのだろう。
医療少年院にいる刑務官(先生)たちはどんな人か
刑務所では刑務官を「オヤジ」と呼ぶそうだが、少年院では基本的に「名字+先生」と呼ぶ。
先生は入院している少年を名字で呼ぶため、刑務所のように数字で管理されることはほとんどない。
一般的に刑務官という仕事は、刑務所と少年院を選べない。
配属された場所に勤めているだけなので、「少し前まで刑務所にいたよ」という先生もちらほらいた。
年齢は20代から50代までバラバラで、金八先生のように熱い先生もいれば、刑務所のように徹底してドライな態度を貫く先生もいた。
しかし、面白いのは「どうしてこの仕事に就いたの?」という理由である。
私の担任の先生は20代半ば、刑務官になりたてのピチピチの新米刑務官だった。
年齢が近いこともあり、先生というよりお姉さんのような感覚だった。
美人で小柄で華奢、笑うと目がなくなるとっても可愛らしい先生だった。
有名大学を出てまで、どうしてこの仕事に就いたのか聞くと、先生は照れ臭そうに答えた。
「私の兄はあなたみたいな感じなのよ。フラフラして警察にお世話になったこともあって、真面目に生きてきた私には理解できないし許せなかったの。けれど、そんな兄の見ている世界が気になって、兄のような人をこれ以上増やしたくないと思ったのよね。」
担任の先生は真面目で几帳面、曲がったことが大嫌いで、心配になるほどよく働いていた。
私と正面衝突することも多々あったが、彼女が真剣に向き合ってくれていることはいつも感じていた。
このように家族が理由で刑務官になる人は多く、私がお気に入りだったもうひとりの先生も面白い理由で刑務官になっていた。
その先生は日本大学出身で、ソフトボールをしている人なら聞いたことがあるかもしれない。
出院後にネットで検索したらなかなかすごい人だったらしく、「まじだったの…」と驚いた記憶がある。
その先生は一言で言うと、ヤンキーだ。
口は悪く、どんなに暴力的な生徒にも物怖じしない。病気があろうがなかろうがハッキリと意思を伝え、間違っていることは間違っていると一歩も引かなかった。
私も元々ヤンキー少女だったので、根性のある明るいおばちゃんヤンキーは大好物である。
先生と距離が縮まるのに時間は必要なく、あっという間に打ち解けていった。
そんな先生にどうして刑務官になったのか聞くと、このように返ってきた。
「ご存知の通り、私も昔はやんちゃだったのよ。悪い子に見えるかもしれないけど、悪い子なりに苦悩があることも知ってる。その苦しみが分かるからこの仕事を望んだのよ。」
豪快にガハハと笑う先生だったが、その目には固い決意が滲んでいた。
その先生は、私が退院するより先に定年を迎え退職している。通常、刑務官の転勤や退職を少年に知らすことはない。
いくら少年院とはいえ、出院後に刑務官を狙っている少年がいないわけではないからだ。
(閉鎖された世界で、嫌だという感情が殺意や恨みにつながることはよくある。「殺してやる!死ね!」と叫ぶ少年とキレる先生の光景は、日に何度も見た。)
しかし、その先生はある日の夜、私の部屋を訪ねて、今日で退職することを教えてくれた。
食事を出し入れする小さな窓から手を出し、手を握って泣きながら話した記憶がある。
また会いたい、けれど、会わないことがお互いの幸せ。
一期一会というのはこういうことだと実感し、先生とさようならをした。
少年院のプログラムに大した意味も効果もない
医療少年院で私の担当医だった、精神科医の女医に言いたいことがある。
少年院のプログラムに、大した意味も効果もない。
その証拠が、あんたが面倒を見たサカキバラの未だ狂った表現方法だ。あんなクソみたいな本を出版する男が、まともに更生したとは到底いえない。
結局、人を更生させることができるのは、人だけである。
すなわち、少年院にとって刑務官という存在は更生へ橋渡しするための重要な役割であると断言する。
時には親となり、時には司法を扱う正義となり、時には兄弟のように、そういった目には見えない繋がりが、飢えた少年の心を満たすのだ。
私は人に恵まれていると思う。相性の合わない担任の先生に当たってしまえば、ろくに話すこともなく出院していく少年もいるからだ。
そんな中で先生と近い距離で接せられたことは、今でもかけがえのない財産として私の中に残っている。
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