ダツハラ
どうも西尾です。
三連休の中日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日は朝から雨が降っております。
来週には梅雨が明けそうな気配もしますね。
ダツハラ
電車やバスの中の車内広告、ニュースサイトや乗り換え案内、YouTube動画、テレビにも出てくるのが広告やCM。
私たちの生活の中には日々、様々な広告やCMで溢れている。
特に、7月にも入り夏本番を迎えるのにあたり、よく目にするのが“脱毛”の広告。
先日も駅前でポケットティッシュを配っていた。
不動産屋かカラオケか何かだろうと思い受け取ると(関西人の気質だろうか、無料には飛び付いてしまう・・・)、“脱毛”の広告が載ったものだった。
また、脱毛の広告。
電車やバスの中も脱毛。
ニュースサイトや乗り換え案内を見ていても脱毛。
YouTube動画を再生しようとすると脱毛。
そして、動画の1番のハイライトに差し掛かるとまた15秒の脱毛(しかも、スキップ出来ない・・・何で良いところでCMが入るんだ!)。
イオンモールを歩いていても脱毛の立て看板(個人的には脱毛の立て看板より、京大吉田キャンパスの立て看板の方が好きですが・・・)。
どこもかしこも、脱毛、脱毛、脱毛、脱毛。
一体全体、何なんだ!?
脱毛しないと死んでしまうのか!?
毛が生えていて悪いか!?
と思ってしまう。
脱毛、永久脱毛、完全脱毛、サロン脱毛、医療脱毛・・・・ああ、頭の中が混乱してきた。
あー、嫌だ。
脱毛と言えば、女性向け?と思われるかもしれないが、最近は男性向けのものも多く見かけるようになった。
男性向け脱毛の広告もお店も至る所で見かける。
メンズ〇〇、とか。
私は何方かと言えば毛深い方だと思う。
髭も直ぐに生えてきてしまう(髪の毛だって月に1回は散髪に行きます・・・)。
確かに、脱毛をすれば毎日の髭剃りの手間や時間を削ることが出来るかもしれない。
今では毛深い事をあまり気にする事は無くなったが、中学生や高校生くらいの時には多少なりともコンプレックスに思うことがあり、人の目を気にしてしまうことも。
高校生の頃には、体育の時間になると体操服に着替えないといけないが、足のすね毛など見られていないか気になってやまなかった(夏場は暑いからハーフパンツを履きたいところだったが、長ジャージにしたりと・・・)。
それでも、あの時は今みたいに脱毛の広告が、どこにもかしこもにも見られた、という状況では無かったかと思う(あくまでも私の周りで、ですが。脱毛自体はもう何十年も昔からあったみたいですね・・・)。
決して、脱毛のことを悪く言うつもりは無い。
毛深いことがコンプレックスに思う人からすると脱毛は大変に助かる。
ただ、女性でも、男性でも、脱毛をしたいかどうかはそれぞれ個人の自由で、行きたい人が行けば良いと思う。
しかしながら、現実世界でも、ネットの中のヴァーチャルな世界でも、あまりにも脱毛の広告やCMが多過ぎないかと思えてしまう。
少し度が過ぎる、というのか。
「え!?今は脱毛するのが普通だよ?君、脱毛してないの?脱毛しないなんて考えられないね〜!」と言わんばかりに。
まるで、脱毛してなきゃ(決して人格否定などでは無いけれども)、日本人では無いかのような。
YouTube動画なんて、今では小学生くらいの子どもたちも普段から見ている。
動画の再生前や途中に15秒くらいの(たまに1分近いものも)脱毛CMが毎回流れてくると、洗脳というわけではないが、いつの間にかそれ(脱毛すること)が普通だと思い込んでしまう可能性だって。
まあ、少し、私の思い込みが激しいだけかもしれませんが。
改めて思うのは、脱毛に行きたい人は行けば良いけれど、別に行きたいと思わない人や、必要としていない人もいる、ということも考えて欲しいなと思う。
今に始まった事ではないが、あまりにも“脱毛”広告が濫用しているような気がするので、私はこれを“脱毛広告ハラスメント(通称:ダツハラ)”と呼びたいと思う。
これは脱毛が悪いとか、脱毛する人がいけない、とか決してそういうわけでは無い。
脱毛するかどうかは個人の自由だし、脱毛することによるメリットもデメリットも当然あると思う。
毛深いことがコンプレックスに思う人にとっては脱毛がコンプレックス解消にも繋がる。
ただ、あまりにも“脱毛”の広告やCMが多過ぎるように思えてしまい、返ってそれが不快に思えてしまう。
脱毛の広告やCM、もう少し、何とかならないものだろうか。
そう思う今日この頃です。
以上になります。
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