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40歳にして、惑いあり。

四十にして惑わず。

「40歳にもなると惑うことがなくなった」
という、孔子の言葉。

確かにそうだと思う反面、
現世はそう単純ではないと
切り返したくもなる。

特に仕事においては
「四十にして惑っている人」は多い。

僕はもうすぐ40歳。
同級生と会うことも随分減ったが、
40歳における惑い具合は、一人ひとり違う。

今までのキャリアを活かして、
ロードマップに沿い、着実に前に進む者。

これまでとこれからのキャリアに悩みながら
後ろと前を交互に見ながら悶々とする者。

先日食事をした20年来の友人は後者だった。


彼は長年勤めている会社に嫌気がさし、
自分でビジネスを始めることを夢見ている。

その日も酒が進むにつれて、
「将来の話」を饒舌に語ってくれる。

ただ、行動は伴っていない。

安定した職を捨てる恐れと
未知の世界への不安と期待、
独立後に実現できるかも知れない
自分の理想のライフスタイル。

この「惑いの沼」に首まで浸かっている。

興味深いのは、彼がかれこれ、
5年ほど、その沼から抜け出せていないことだ。


彼と会ってその話題になる度に
僕は決まって「挑戦」を推す。

失敗を恐れて何も始めないことは、
「成功への挑戦権」を捨てているのと
同じだと思うからだ。

そして、彼は独身だ。
ドライな言い方をすると、
リスクはないようなもの。

失敗したとしても、
再就職して機を図り、再挑戦する道だってある。

「やらなかった後悔」は良くある話だが、
「やった後悔」はあまり聞いたことがない。

だから挑戦したらどうか、とその日も伝えた。

「前向きに考えてみる」。

彼はそう言って、家路に着く。
前回と全く同じ時の流れと光景に、
どこまで真剣なのかが分からなくなる。


人生は選択の連続。
選択の数だけ、人の人生がある。

孔子の「四十にして惑わず」という言葉。
その意味をもうすぐ40歳になる身で考える。

それはきっと、人生における「選択」が
しっかりと出来るようになったという
意味ではないだろうか。

正しい選択が出来るという意味ではない。
選択に対してしっかり「決断」すること、
その大切さを説いてるのかもしれない。
今の僕には、そう思える。

やるのか、やらないのか。
やるなら前に進む、やらないなら違う道を探る。

上手くいけば、繰り返す。
上手くいかなければ、改善する。

最初の一歩を踏み出せば、
そこからは無限の可能性が広がっている。

最もタチが悪いのは、
選択を先延ばしにする「保留」だろう。

次に彼に会って、また同じ話になったなら
僕は彼に夢を諦める選択もあるのではと
話をするつもりだ。

人生は長いようで短いもの。
保留期間が長ければ長いほど、
挑戦できる期間は失われてしまう。

彼の溌剌とした顔が1日でも早く見れるように
決断の後押しをしようと思う。


エッセイシリーズ 〜バックナンバー〜


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