生態系

これからの共同体?

「サワさんは、なんでチームにこだわるんですか」

と、この間、同僚に聞かれた。

答えようと思ったら話題が逸れてしまったので、話せずじまいだったのだけれど、たしかに僕は近年、チームにとてもこだわっている。

もともと一匹狼だったくせに。

僕は幼い頃から引っ越しや転校を繰り返してきた。
だから幼なじみはいないし、地元と呼べる場所もない。

社会人になってからも複数回、転職をしていて、どこにも落ち着きどころのない、根無し草のような人生を送っている。

そうしたかったわけじゃない。
でも「ここが自分の居場所であったらいいのに」と思っても、叶わない。

自分が自分として生きていきたい。
同時に、だれかと共に生きていきたい。

その両方を叶えようとすると、どこかに違和感を感じたり、トラブルが起きたりして、やがていられなくなった。

そんなことを繰り返していたから、一匹狼なのが普通に思えていた。
でも、さみしい。だからこそ人一倍「どんな場所なら居心地がいいのか」にこだわってきた。

だれかと共にいきていくために。

いま、昨年どハマりした『ティール組織』のイラスト版を読んでいる。

書籍版も面白かったが、イラスト版はさらにわかりやすいし読みやすい。

ごくごく読みこむ中で、これまでの組織が「機械」「家族」にたとえられる段階を経て、「生態系」のようなかたちに移行しつつあるというところに興味を惹かれた。

王様や親や先生や社長のように絶対的な「ボス」がいて、その力の下で生きるのではなく、人体や森林のようにそれぞれが自律的に動きながらも、全体として調和がとれているような共同体。

そこにヒエラルキー(階層)がないわけではない。
本書には、こう書かれている。

樹の根元にシダやキノコが成長します。
それらは、樹ほどに高くはなりません。

その高さが問題なのではありません。
栄養分や湿気と日陰などの関係から生まれる複雑な共生関係を通して、キノコやシダは、樹と競争する必要はないのです。自分自身における最大の高さに、最も健康な状態に成長していけば良いのです。

それが、ティール組織です。
誰もが均一に平等になる必要はありません。すべての働く人たちがそれぞれ最大限強く健全な新しい自身に成長していくことができれば良いのです。

違いはあるけれど「偉さ」にはならない、といった感じだろうか。

そんな組織があったら、いる人はきっといきいきとするだろう。
そして、そんな環境でなら、僕自身もいられるような気がした。

いま、僕には、従来型の企業も家族も学校も団体も、そして夫婦も、山積みの問題の中で閉塞して息が詰まっているように感じられている。

どの現場でも、共にいきていくために、新しい共同体のかたちが求められている。でも、それはこれまでの「常識」を壊していくことでもある。

人体にはホメオスタシスといって「いままでどおりでいたい」性質がある。新しい環境への移行は、それに逆らう動きになる。だから過渡期には軋轢が生まれる。

みんながそうかは分からないけれど、僕は自分がその最前線にいるような感覚がある。

児童館の子どもたちを見ていたって、仕事で出会う人たちや友達を見ていたって「この人たちと共にいきていくには」と思うとき、どうしたって、いままでの共同体では受け皿になれないように思えるからだ。

だから僕はいま、チームにこだわっている。
というか、実際には、こだわらざるを得ないような毎日を過ごしている。

先日、奥さんとこんな会話をした。

「最近わかったんだけど、僕って、さみしがり屋かもしれない」
「付き合う前から知ってたよ」

小さい頃から引っ越しや転校が多いから、環境が変わるのは当たり前だと思っていたけれど、さみしくないわけではなかったらしい。

で、さみしいから、いつも自分がいられる共同体を求めている。

それがたまたまどこにもなくて、探し続けるうちにチームにこだわるようになった。そして、今日もまた、こんなことを書いている。

そういうのを性分というのだと思うし、そういうことにこだわらずにはいられないのが、この生態系の中での僕の役割なんだと思う。

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