見出し画像

【日露関係史20】ウクライナ戦争勃発後の日露関係

こんにちは、ニコライです。今回は【日露関係史】第20回目です。

前回の記事はこちらから!

2012年に政権を獲得した安倍晋三は、対露融和政策と二島返還によって北方領土問題を解決しようとしますが、強硬な姿勢を崩さないプーチンに敗北し、退場していきました。安倍の首相辞任から1年半後の2022年2月24日、プーチン大統領は「特別軍事作戦」の開始を宣言し、隣国ウクライナへと侵攻を開始します。欧米主要国はロシアの行動を非難し、次々に強力な対露経済制裁を発表、日本もG7の一員として対応を迫られることになります。ウクライナ戦争の勃発は、日本の対露政策、そして日露関係にどのような影響を与えたのでしょうか。現在進行形の出来事についての話となり、歴史の範疇を超えてしまいますが、現在起きている出来事を記録しておくことも必要と思いますので、可能な範囲でまとめていきたいと思います。


1.菅から岸田へ

2020年9月、辞任した安倍晋三に代り、菅義偉総理大臣に就任します。安倍政権下で官房長官を務めていた菅でしたが、対露外交には深く関わっておらず、安倍路線を継承して平和条約交渉を継続すると述べたものの、新型コロナウイルス対策に追われ、日露の対話が行われることはありませんでした。結局、日露関係は停滞したまま、コロナ禍への対応の不手際から支持率低下を招いたこともあり、菅は在任1年で首相を退任しました。

菅義偉(1948‐)
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98656443

2021年10月、新たに首相となったのは、4人の候補者が争った自民党総裁選を勝ち抜いた前政調会長の岸田文雄でした。岸田は安倍政権時代に外相を務めたことがありましたが、安倍の対露融和路線に懐疑的で、自らのロシア訪問にも慎重な姿勢を取り続けた人物でした。このため、岸田は対露外交について、「安倍路線」を継承すると述べましたが、同時に「全面返還のための多角的アプローチに取り組む」とも表明し、安倍が目指した歯舞・色丹の二島返還による領土問題解決を否定するような発言もしました。

岸田文雄(1957‐)
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=124492456

ロシアは岸田の首相就任に警戒感を抱きます。国営通信社であるタス通信は、岸田が「米国との戦略的同盟や日本の防衛力強化を提唱している」として、米国寄りの人物であると紹介。また、10月7日に行われた電話での日露首脳会談において、プーチンは「外相を長く経験し、日露のことを知っている首相と一緒にやっていくのが楽しみだ」と、安倍路線継承を暗に求めました

2.ウクライナ情勢の緊迫化

一方その頃、日本から8000㎞以上離れたウクライナでは、9万人以上のロシア軍が東部国境付近に集結し、情勢が緊迫化していました。米国情報機関はロシアが本気でウクライナ侵攻を計画していると分析し、12月2日の米露外相級会談では、ブリンケン国務長官が、もしロシアがウクライナを侵略すれば「インパクトの大きな」経済制裁を課すと警告しました。

ストックフォルムで会談するブリンケンとラブロフ外相
Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=113011933

岸田は、12月21日のバイデン大統領との会談後、強力な対露制裁も含め、米国と連携していく考えを表明し、翌2022年1月15日に行われたゼレンスキー大統領との電話会談においても、「ウクライナの主権と領土の一体性を一貫して支持している」と述べました。また、自民党外交部会でも「クリミア編入とは次元が違う」対露強硬論が噴出しました。

岸田とゼレンスキー
写真は2023年3月の岸田ウクライナ公式訪問時のもの。なお、ウクライナ政府はロシアによる侵攻開始以前から、北方領土問題における日本の立場を支持している。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=129895462

しかし、長年対露交渉を主導していた安倍晋三中心に、ロシアを過度に刺激し、北方領土問題解決に向けた政治対話が一切できなくなる可能性を危惧する意見も出ていました。こうした影響もあり、衆議院で可決された「ウクライナ情勢の緊張緩和を求める決議」ではロシアの名指しを避けるなどの配慮がなされ、また、「貿易経済に関する日露政府間委員会」の議長間会合が開催され、日露経済協力についての協議が行われました。こうしたちぐはぐな対露姿勢に対しては、自民党内からも厳しい批判の声があがりました。

3.「安倍路線」からの転換

2月24日午前11時半(モスクワ時間では午前5時半)、プーチンはテレビ演説で「特別軍事作戦」の開始を発表し、ロシア軍のウクライナへの軍事侵攻が始まりました。当初、日本政府は対露制裁について言及せず、しばらく様子見の姿勢をとりました。しかし、自民党内から政府に対しロシアに厳しい姿勢で臨む声が上がり、午後11時過ぎからオンラインで行われたG7首脳会談後には、岸田は欧米と足並みをそろえ、追加制裁を発動する方針を表明しました。

ロシアのウクライナ侵攻について記者会見を行う岸田首相
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=115586317

26日、欧米諸国は、国際決済ネットワーク(SWIFT)から特定のロシアの銀行を排除することを発表、さらにプーチンやラブロフ外相の個人資産凍結などの制裁を科すことを決定しました。日本もG7の一員として対応を迫られますが、将来の北方領土交渉の再開が困難になることを危惧し、プーチン個人に対する制裁には慎重論も上がりました。安倍もテレビ番組において、対話の糸口を残すべきだとの考えを示しました。

26日から27日にかけて行われた対応協議の結果、岸田はSWIFTからのロシア排除プーチン個人の日本国内の資産凍結する方針を発表し、さらに、「ロシアとの関係をこれまで通りにしていくことは、もはやできない」と宣言しました。3月1日には林外相が、2016年に安倍がロシアに提案した「8項目の経済協力プラン」について、「新たな経済分野の協力を進めていく状況にはない」と述べ、見直す考えを表明します。こうして、日本の対露政策は、安倍が推進していた対露融和路線から一大転換がなされることになりました。

4.日露関係の悪化

欧米と協調して対露制裁を実行する日本に対し、ロシアは批判を強めました。外務省報道官マリア・ザハロワは、日本政府の北方領土返還要求について「そのような選択を永遠に忘れるよう勧告する」と挑発します。さらに、3月7日には、大統領令に基づき、対露制裁を発動した国を「非友好国」に指定されたことで、日本は事実上「敵国認定」をされることになりました。

マリア・ザハロワ(1975‐)
ロシア外務省情報報道局局長。日本に対しては、安倍政権時代よりラブロフ外相とともに強気の発言を繰り返している。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=65245197

さらに、21日には、ロシア外務省がホームページ上で「日本政府の決定に対する対抗措置について」という声明を発表します。この声明では、①平和条約締結交渉の継続を拒否北方四島におけるビザなし交流と自由訪問を停止北方四島における共同経済事業協議からの離脱宣言され、「反ロシアの道を意図的に選んだ日本にすべての責任がある」と結論づけられていました。

この一方的な表明に対し、岸田は「ひるむことなく、今後とも断固とした対応を取る」とし、さらなる対露制裁の対象拡大を表明した。29日、日本政府はぜいたく品19品目のロシアへの禁輸を決定、4月8日にはロシア外交官8人の国外追放、ロシアからの石炭の輸入禁止に踏み切ります。ロシア外務省は、対抗措置として日本人外交官8人に国外退去を求め、さらに岸田を含む63人の日本人の無期限入国禁止を発表しました。制裁と対抗措置の応酬により、日露関係は悪化の一途をたどりました。

5.ウクライナ戦争後の北方領土問題

6月1日、衆議院予算委員会において、岸田は日ソ共同宣言に明記された歯舞・色丹だけでなく、国後・択捉の返還も目指す考えを明言しました。これにより、歯舞・色丹の二島返還による解決を狙ったシンガポール合意は事実上消失することになりました。日本政府内ではプーチン政権下では北方領土交渉は困難であるという見方が広まり、四島返還へと復帰しても支障がないと判断されたようです。

日本の強硬姿勢に対抗し、ロシアは北方領土に対する実効支配を誇示します。7月31日、プーチンは北方領土周辺海域を「国益にとって戦略的に重要な地域」に指定してその重要性を強調し、さらに、対日戦勝を祝う「第二次大戦終結の日」に当たる9月3日には、択捉島と国後島において軍事演習を実施しました。さらに、北方領土周辺海域における日本漁船の取り締まりも強化され、ロシア国境警備隊による臨検※が、前年の4倍に増加しました。

沿海地方での演習を観閲するプーチン
択捉・国後での軍事演習は、ロシア東部軍管区での大規模軍事演習「ヴォストーク2022」の一環として行われた。ロシア軍に余力が残っていることをアピールする目的もあったと思われる。
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=122758719

2023年に入ると、ロシアの対日姿勢はますます厳しいものとなりました。4月21日、ロシア最高検察庁は、元島民らによる千島歯舞諸島居住者連盟「好ましからざる団体」に指定し、ロシア国内における活動を禁止しました。さらに先述の「第二次大戦終結の日」が「軍国主義日本への勝利と第二次大戦終結の日」へと改称され、択捉島における兵士らによるパレードや、国後島・色丹島でのソ連兵慰霊碑への献花といった行事が実施されました。

2024年1月11日、ハバロフスクでの会合に出席したプーチンは、北方領土について「残念ながら、私はまだ行ったことはないが必ず行くつもりだ」初訪問に意欲を示しました。さらに、6月5日のサンクト・ペテルブルクでの国際経済会議では、日本との平和条約交渉再開は拒否しないと述べる一方、その条件としてまず日本側が対露政策を改めるべきだと主張しました。さらに、北方領土はロシア領であると改めて強調し、また、まだ計画はないものの、将来的に北方領土を訪問する可能性も示唆しました。

ラフタ・センターでの国際会議に出席したプーチン
CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=149122853

※船舶への立ち入り検査のこと

6.まとめ

内閣府が行った世論調査では、2021年以前、ロシアに対して親しみを感じる人と感じない人との割合は、おおよそ8:2でした。しかし、ウクライナ戦争勃発後、親しみを感じると回答した人は5パーセント以下にまで激減し、感じないと答えた人は95パーセント以上という結果になりました。ソ連が最も強硬な対日姿勢を示した80年代前半でさえ、親しみを感じると回答した人は7パーセントを超えていたため、文字通り日露関係は戦後最悪レベルに悪化しているといえます。

北方領土交渉については現在完全に停止している状態にあり、解決の糸口は見えない状態です。元島民の平均年齢は85歳を超えており、一刻も早い解決が望まれますが、ビザなし交流や北方墓参さえも再開が厳しいのが現状です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考

◆◆◆◆◆
連載を最初から読みたい方は、こちらから

次回


この記事が参加している募集

#世界史がすき

2,756件

#日本史がすき

7,361件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?