they/them

they/them

最近の記事

一瞬のまたたきのために

わたしは有名になれない。 うまくしゃべれないし、自己開示もとても下手で、いつも誰かに嫌われることに怯えている。 緊張するとうまく喋れず声にならない声が息としてしゅーと抜けていく。 歌を歌うのは好き。絵を描くのは好き。ものづくりは好き。文章を書くのは好き。 だけどそれをうまい形にレイアウトすることはできない。 いろんなものごとが足元にいつも散らばっていてただ浪費した時間とお金だけが目の前に浮かび塞ぎ込む。 何かを企画し、それを実践出来る人。それは本当にすごい。尊敬と羨望だ。わた

    • 手編みの人生

      社会運動、疲れてしまった。 社会運動していても差別してしまうし差別されてしまう。 SNSでは障害者差別が蔓延っていて、私生活でもマイクロアグレッションを受ける。 わたしは障害者であるという診断をやっともらえた。それまでずっと「アスペ」だの「キチガイ」だの「気持ち悪い」だの言われてきて、わたしはそれに慣れたふりをしていたし、健常者向けにデザインされた社会に迎合しようと必死だった。 迎合の毎日はずっとずっと鬱状態で今も迎合を無意識に強制させられている。 きっとわたしはこれと似たよ

      • くしゃみ

        ミモザをもらった。 花粉症だからくしゃみが止まらない。 ガールズパワー!ムキムキ💪みたいなエンパワメントが得意ではない。ガールズもボーイズもノンバイナリーズもみんなまとめてやってやるぞ!いくぞ!え?お腹すいた?ご飯食べてからにしよ〜みたいな連帯だと居心地がよい。 見た目がフェミニンだとうっかりガールズの仲間入りしがちだ。それだけなら全然問題ないのだがガールズらしさを求められるともうダメだ。ピンクよピンク!ギャルらしくガールズらしく可愛く綺麗で美しくいこうよ、みたいな。 そう

        • 制服を着せたがるオジサン

          ※注意:セクハラや家庭内ハラスメントに関する描写があります。苦手な方は避けてください。 この前、三重の県議員さんに自民党のおじさんがこう言ったらしい。 「ぼくが今度風邪をひいたら、(県議員さんの名前)ちゃんをおうちに呼んであげる」 誰もお前んチ行きたくねーし、馴れ馴れしく呼ぶな。 「その時に看護師の衣装を持ってきてもらおうかな」 看護師の"衣装"って何??持ってきてもらおう"かな"って何??同意を取っている仕草だけして、実は本人の意思を一切無視しているの、本当に本当に

        一瞬のまたたきのために

          zineかくぞーー

          zineかくぞーー

          みんせいこわい

          民青でわたしはじゅうぶん「たたかった」と思う。ハラスメントに対する対応を求めてファックスしたし、電話もしたし、夜中に留守電も残した。正直結構、市民運動頑張っている。こんなことを頑張らされるのも不本意である。 ちなみにこの「たたかい」は民青からは 「正直、迷惑で非常識」 と言われた。それ以外なんの応答もない。謝罪もない。話を聞いてはもらえない。本当に自殺しかけた。死ぬかと思った。あまりの悔しさで。 すごくきつかったし民青同盟の名前を見ると動悸がするまでになった。 民青を辞めた人

          みんせいこわい

          ハムスターの毎日

          最近、頭がフルに回転していて身体が追いつかなくなっている。それが大変すぎて一日中寝込むことが増えてきたし、フル回転してる状態だと変なこと言って誰かを困らせるきもちがして、それでまた杞憂でからだがダウンしてしまう。 考えていることは大したことじゃないし、読書や学習もしていない。 だけれど頭からぽんぽん突飛な考えが浮かんでは飛んでいき浮かんでは飛んでいく。 そして浮かんで飛んでいった考えはいつの間にか点と点でつながり円を描く。 そうすると頭が覚醒し、更に回転を始める。 何の生産性

          ハムスターの毎日

          さよなら、は近い。

          12月5日、後輩が始発の電車に跳ねられた。 お酒を飲みすぎて酔っ払い線路のなかに入ってしまったらしい。 それで死んでしまったと聞いた。 その日からわたしはずっと調子が悪い。 後輩が死んだ数時間後にはまた電車が走る。 泣いている後輩の恋人も、友だちも、みんなを無視するようにして電車は走る。 そして社会はまわる。 どんなに人が殺されていても世界は回り続ける。絶対に止まることはない。 怖い。 どうして進み続けることがそんなにも素晴らしいのだろう。 世界は暴力的だ。 止まらないことは

          さよなら、は近い。

          嘆くばかりで見誤りたい

          最近、とある議員さんにちょっと怒ってしまった。三重県のひとだ。 そのひとはポリアモリーに対する偏見や差別を助長するような発言をしていて 当事者をおちょくるような投稿をしていた。 そのひとにとっての単なるおふざけは 当事者にはとんでもない凶器になる。 強く強く人間の喉をぐわぐわと押し切る。 それにプライベートのアカウントで ポリアモリー差別を指摘した人たちを批判するような、すごくすごく個人的な愚痴みたいなものを平気で投稿していた。 その投稿は親しい友達にのみ公開されていて、 わ

          嘆くばかりで見誤りたい

          わたしたちは未来

          私は正義ではない。正しくない。正しくなれない。だから普通に間違えて誰かを傷つけた。誰かの権利を取り上げ踏み躙った。 常に反省しなければならない。 常に謝らなければならない。 そして同じ過ちを繰り返さないために 何度も何度も立ち止まらなければならない。 それで死ぬまで進めなくていい。 というか進んでるように見えなくていい。 成長?前進?知らないよ。 進むとか進まないとかそんなのよくわからない。恐らく権力あるおじさんが作った尺度に踊らされているに過ぎない。そんなものにはなから興味

          わたしたちは未来

          摂食障害と愛着について

          ご飯をうまく食べられない。 食べ物が溜まっているのが嫌で胃を空にしたくなる。 軽くなりたい。細くなりたい。 そうしたらみんなに大事にされる。 そんなわけないのに、そんなことを考えてめちゃくちゃに胃の中に食べ物を詰め込む。 出すために食べる。痩せるために胃が破裂するまで食べる。ロールケーキ一本、一平ちゃん大盛り全部、ポテチ一袋、アイス2個。 これを酷い時期は毎日繰り返した。 仕事が終わった後、家の近くのセブンやローソン、スーパーにかけ込み、袋にパンパンに入った菓子パンやカップ

          摂食障害と愛着について

          都会と田舎

          都会はすごい。 夜遅くまで電車やバスが走っているし、なんなら地下鉄やモノレールまである。 若者がたくさん居て、金曜の夜は駅周辺が憂鬱になるくらいにぎやかだ。 冬はイルミネーションで街が照らされていて夜も怖くない。 対照的に私の地元はそもそも駅が少なく、あっても無人駅。ICカードは使えない。 バスの本数は年々減っている。 私の地元から都市部に繋がるバイパスができて若者はどんどんいなくなった。私も地元を去った若者のうちのひとりだ。 夜は街灯がほとんどない。 都会には多くの資源、エ

          都会と田舎

          共同体のあなたとわたし

          今日、カメラの入ったトートバッグを知らないおじさんにおしりで踏んづけられた。 それでめちゃくちゃ腹が立って、怒りを放出した。体格の明らかに違うおじさんに。 今までの自分なら考えられなかった。 自分や自分以外の周りにも愛着がなく、全てがどうでもよかった。 過去の自分は持ち物もお金も仕事も、人間関係も、自分の身体さえも、 幼少期損なった人生をやり過ごすための消耗品でしかなかった。 だから侵害されても怒らないし優しくされても喜ばない。でも求められたいし承認されたい。 でも赤の他人に

          共同体のあなたとわたし

          地獄から

          人生がこわくて不確かでうまくいかない。 いきなりパンチがふってきたり暗い過去に引き戻される。 こういう弱さは出してはいけない。 前向きにならなきゃ。 もっとできることがある、ポジティブにポジティブに、過去なんて忘れちゃってさ、 なんてそんなの全部嘘で本当じゃない。 わたしのアイデンティティは暗く鬱憤としていて目も当てられない。血と体液と埃をどろどろに混ぜた醜悪で苦しいものがぱつんぱつんにわたしのからだにはつまっている。 それでいいと思っている。 だからこそ、わたしやわたしだけ

          地獄から

          私をみてくれ、

          私を見てほしい。 私は今いっぱいいっぱい生きている。 人生はままならない、苦しい、もっともっと親に甘えたかったし無条件に愛されたかった。 親の良い道具にならなくても私をみてほしかった。 きっとこんなことは叶わないのかもしれない。 自立してないと言われるだろうか、 でも、私はずっとずっと自立したふりをしてきた。 まだ自立する必要のないときに、私は自立したふりを必死でして、必死で素晴らしい良い子どもになろうとした。 物心ついた頃から、私は祖父といた。 母でも父でもなく祖父だった

          私をみてくれ、

          眠れない夜

          たまに仲違いしてさよならした人やなんやかんやで疎遠になってしまった人を思い出す。 人はさよならを繰り返す。 もはや、さよならのために出会いがあるのかとさえ思う。 さよならは寂しい。 どんなに楽しくても嬉しくても、さよならが過ぎった瞬間に胸が寒ーくなる。 こんなことを考えて生きていても楽しくないらしい。 それでも考えてしまっていたし、その癖は今も治らない。 さよならをしてしまった人はいなくなったのではないのかもしれない。 その人の記憶や思いは私の中に生きている。 それらに影響を

          眠れない夜