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手編みの人生

社会運動、疲れてしまった。
社会運動していても差別してしまうし差別されてしまう。
SNSでは障害者差別が蔓延っていて、私生活でもマイクロアグレッションを受ける。
わたしは障害者であるという診断をやっともらえた。それまでずっと「アスペ」だの「キチガイ」だの「気持ち悪い」だの言われてきて、わたしはそれに慣れたふりをしていたし、健常者向けにデザインされた社会に迎合しようと必死だった。
迎合の毎日はずっとずっと鬱状態で今も迎合を無意識に強制させられている。
きっとわたしはこれと似たようなことを別の誰かにしているかもしれない。
いや、している。していないことのほうが少ないと感じる。
社会運動、実地に出るのはいいけれど、
呼びかけたり勉強するのもいいけれど、
わたしには内省の時間を潤沢にとるのがバーンアウトしない方法のひとつだと思える。
常に立ち止まっていたい。
ずっと反省していたい。
極端でうまくいかなくても、
うまくいかないまま、
その"下手さ"を育んでいきたい。
誰のことも注視できますように。

来週、久しぶりに学生時代の友人たちと会う。
すごく不安だ。わたしはずいぶん考え方が変わってしまったし。もう彼らに合わせたりもできないかもしれない。きっと障害のことも言えない。なんてままならないんだろう。
でも、私が生きているか、体調はどうか気にかけてくれている。予定もわざわざ合わせてくれる。
わたしは、この身の回りにある優しくてままならないものたちを大切にしたい。
機能不全でやっと動き出した家族も
わたしを理解することはできない友人たちも
思うままにならない自分のからだも
ぼろぼろの布切れみたいなそれらを大切に大切に合わせて人生を編みたい。

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