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わたしたちは未来

私は正義ではない。正しくない。正しくなれない。だから普通に間違えて誰かを傷つけた。誰かの権利を取り上げ踏み躙った。
常に反省しなければならない。
常に謝らなければならない。
そして同じ過ちを繰り返さないために
何度も何度も立ち止まらなければならない。
それで死ぬまで進めなくていい。
というか進んでるように見えなくていい。
成長?前進?知らないよ。
進むとか進まないとかそんなのよくわからない。恐らく権力あるおじさんが作った尺度に踊らされているに過ぎない。そんなものにはなから興味がない。
私から見たらそんなものよりも
悩んで落ち込んで反省して怒ってひとりで右往左往する態度の方が
よっぽど真摯に見えてしまう。今を生きている。
未来のために今を犠牲にしてよいか?
未来のために今、この瞬間の傷つきを無視していいのか?
そんな未来なら来るな。
誰かを犠牲にしてつくる未来なんてセンスない。自己犠牲なんて未来は求めてない。
今の連続が未来になる。
なんなら私たちが生きている今が未来だ。
未来は今、この瞬間であり
未来は今、この瞬間に作られている。
だから私は何ひとつ犠牲にしたくないし、羊が1匹はぐれたら、はぐれた1匹とゲーセンに行って頭文字Dがしたい。スナック食べながら、どうしてはぐれちゃったのか話したい。そして私の加害を謝りたい。
具体的な話をしろ、とここで言われる。
理論的な話をしろ、とここで言われる。
理性的な態度を、とここで言われる。
民主主義の崩壊だ、とここで言われる。
具体的な話だ。みんなで頭文字Dがしたい。スナックを食べたい。反省会をし続けたい。反省会からしか生まれない民主主義もある。
そして、理論が感情を先行してはならない、
と私はずっとずっとずっと考えている。
感情的になれ、理性的をふっとばせ。
「理性」は評価されすぎた。
女は感情的?男は理性的?
自民党は感情的?私たちは理性的?
私は分派?あなたがたは正当?
私は逆流?あなたがたは本流?
知らない。知らない。本当にどーーーでもいい。
あなたを信頼してますからね。
何度言われただろう。
信頼、という言葉で縛り付けられ硬直する。
こんなの私がしたかったことじゃない。
信頼なんてするな。誰も信じるな。誰も信頼に値しない。誰もがあなたを救えない。あなただけがあなたを救う。
わたしだけがわたしを救える。
この事実をどうか忘れないでほしい。
不安で悪意に満ちていて混沌としたなかで、
誰かに縋りたくなる、何かに縋りたくなる、
そこから救い出してくれるものも人もいないのだ。
あの人が、あの場所が、私を救った。
もしそう思いはじめたら注意してほしい。
あなたはあなたが救える。
そのお手伝いなら私はやりたい。やらせてくれ。どんどんやれる。あなたはひとりじゃない。

とりあえず頭文字Dをやりに行こう。

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