制服を着せたがるオジサン

※注意:セクハラや家庭内ハラスメントに関する描写があります。苦手な方は避けてください。




この前、三重の県議員さんに自民党のおじさんがこう言ったらしい。
「ぼくが今度風邪をひいたら、(県議員さんの名前)ちゃんをおうちに呼んであげる」

誰もお前んチ行きたくねーし、馴れ馴れしく呼ぶな。

「その時に看護師の衣装を持ってきてもらおうかな」

看護師の"衣装"って何??持ってきてもらおう"かな"って何??同意を取っている仕草だけして、実は本人の意思を一切無視しているの、本当に本当にきもすぎる。

オジサン、は制服を着せたがる。
以前も女性議員に対して別の議員が
「セーラー服着てしゃべれば」
と言った。三重県のこともそうだが、オジサン、ひいてはオジサンが作ったこの社会は制服を着せたがる。
制服を着る理由は3つあると考えている。

まずひとつ目は、
制服を着ることでロールを演じさせようとしている、と言うことである。
制服を着ると社会的地位や役職がわかりやすくなる。そうなると人間というものはそれに見合った振る舞いをするようになる。なぜなら、ナースウェアであれば他者は看護師だと思って接するし、学生服であれば学生だと思って接する、警察服であれば警官だと思って接する。
そのように接されていくうちに、人間というものは役職に合う新たな人格を自分のなかに作るようになる。ある種、適応した、と言えるのではないであろうか。

ふたつ目は、
社会的地位や役職がはっきりしていてオジサンたちは"安心"できる、と言うことである。
社会的地位や役職をある程度表明できる、と言うことは、ある程度守らなければならない個人の生活があったり、社会的に不道徳とされていることをやらなくてもよい地位にあると言うことを指すと思う。
だからよく自己紹介で社会的地位や役職を説明するのかなと思ったりする。
例えば、わたしは元私立学校の教員だった。
常勤であったのでいつ首を切られてもおかしくない立場だったが、"私立"の教員、と説明するだけで皆一気に見る目が変わり話を聞く態度が変わるのがわかった。怖いことだ。
社会はわかりやすさを求める。

みっつ目は、
自分が与えた制服を相手が着るということで、自分に従ったことを証明できるからである。
制服とはひとつ目で言ったようにロールを演じさせる性質をもつ。
自分がそのロールを相手に無理やり押し付け、相手がそれに屈服する。それを可視化させたものが制服であるのではないかと考える。
いわゆる"わからせ"と言うものに近いのではないだろうか。

わたしは小さい頃、髪の毛が腰くらいまであった。それをよくふたつ結びやポニーテールにしていた。さらさらの髪の毛はわたしのアイデンティティであったし、そんな自分が好きだった。
しかし、ある時、髪の毛を祖父に無理やり切らされた。それから伸ばすのも禁止されたりした。
後に聞いた話では、祖父は髪の毛の短い女性が好みだったと言う。わたしは祖父の好みの女性になるためにアイデンティティの髪を切られた。型にはめられたのだ。
この祖父による短髪の強制も、一種の"制服"だと思う。

オジサン、は制服を着せたがる。
なぜならそんなものでも縛っておかないと、俺たちが作った最強の社会構造、が壊れてしまう気がするからだ。もう崩壊して新たな芽がすくすくと育ちはじめていると言うのに。
制服を着せたがるオジサンは不安なのだ。
だからわからせたいのだ。
でも絶対にわからせてなどやらない。
ひとびとはそうなり始めている。

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