摂食障害と愛着について

ご飯をうまく食べられない。
食べ物が溜まっているのが嫌で胃を空にしたくなる。

軽くなりたい。細くなりたい。
そうしたらみんなに大事にされる。
そんなわけないのに、そんなことを考えてめちゃくちゃに胃の中に食べ物を詰め込む。
出すために食べる。痩せるために胃が破裂するまで食べる。ロールケーキ一本、一平ちゃん大盛り全部、ポテチ一袋、アイス2個。
これを酷い時期は毎日繰り返した。
仕事が終わった後、家の近くのセブンやローソン、スーパーにかけ込み、袋にパンパンに入った菓子パンやカップ麺、惣菜にお菓子をかかえ、食べながら泣きながら家に帰る。
家に帰ると、すぐさまそれを全てお腹の中に収める。全然美味しくない。味覚は濃い味や甘い味で麻痺していてただ刺激を感じる。食べ物で口を切ったり、吐き出す時に出る胃液のせいで口角炎がいつも治らない。お腹がいっぱいになっても食べ続けるせいで途中から頭がぼうっとする。
食べ物を胃に限界まで詰め終わるとトイレに急いで駆け込む。出すのは慣れてくると簡単にできるようになる。出すものがなくなっても、次は水を胃の限界まで飲み、しばらくジャンプする。ジャンプしたあとすぐに吐き出す。この水を入れて出す作業を5回は繰り返す。しばらくすると水に胃液が混ざって薄緑色になる。これが嘔吐の終わりの合図だ。
次に低血糖と脱水によるカリウム不足で身体が痙攣し始める。その後はなんとかベッドにたどり着き、気絶したように眠る。
当時はこれが私の唯一の拠り所だった。
この一連のルーティンをやめなければ、太らなかった。それ以外で食事する時はくだものやオートミール、プロテインやおにぎりのどれかを毎日少し食べるみたいな生活を送っていた。
これが1年続いた。

2021年から2022年の出来事だった。
この生活を真似しないでほしい。
ここからご飯をきちんと適切に食べられるようになるまでかなり大変だったからだ。
食事だけじゃなくて仕事もできなくなったしメンタルも壊れてしまった。
今はあの時ほど食べ過ぎて吐き出したりはしなくなった。でも完全にこの症状がなくなってはいない。
私は毎日、いつあの時に戻るのかとビクビクしている。そしてまたあの時に戻りたいと思っている。

あの時は拒食しながら過食嘔吐もしていて、かなり痩せてしまっていた。
でも痩せている時はよく容姿を褒めてもらえた。綺麗とか可愛いとかスタイルがいいと言ってもらえた。
その言葉自体は嬉しくもなんともなかったが、ただ誰かに良しとされて認められているという事実だけが嬉しかった。
みんなに私を見てもらいたかったのだと思う。
褒められたかったのだと思う。

また食べ物を吐き出し、胃を洗うことできれいになると思っていた。
私は自分を汚いと思っていた。今も思う。
汚いし臭いし気持ち悪いと思っている。
別に本当は汚くて臭くて気持ち悪くてもいいのだ。そんなのはどうでもよくて、それでも人間は人間として尊重されないといけない。
それでも汚い自分が嫌だった。
祖父から恋人みたいな熱視線を向けられたり、なんだか触られたり、べろべろ舐められたりした私自身が私は死ぬほど嫌だった。
汚くて弱くてなんだか臭い気もするし顔は浮気して私と母を捨てた父に似ていて気持ち悪かった。昔は毎日鏡を見て泣いていた。写真を撮られては、その写真を見て泣いていた。

そんな気持ち悪い自分が痩せて細くなって元気がなくなっていくのは気持ちが良かった。祖父や父に仕返しができているような気もした。それに痩せてることを褒められ認められ、本当に本当に生きていていいんだと思えた。
屈折していて病んでいて矛盾した自己実現だった。自分を否定したいのに認められたい。自分を殺したいのに生きていたい死にたくない。意味がわからないけど全部本当だった。

今、祖父はもう既に死んでいて、父とは連絡を取っていない。ちなみに父は最後に一度だけ会った。今までのお詫びにと3万だけ渡された。私の幼少期の這いつくばるような人生はたった3万で支払われた。生きていたくなかった。
最近、社会運動に参加するようになってから好意的に話しかけてくれたり、SNSで良くしてくれる人が増えた。家族も私に理解を示してくれるようになったし、パートナーと一緒にいる時間が増えたことで気持ちが楽になる時間が増えた。

でも些細なことがきっかけで
あの頃にあの時に引き戻されそうになる。目の前が楽しくて幸せであればあるほど、見捨てられたり嫌われることを想像する。そして誰かが私に言う。
「ここはお前の本当の居場所じゃない」
「お前の本当を知ったら嫌われる」
そしてその誰かはいつもしわしわな顔をしていて気持ち悪い顔をして私を手招きする。
「幸子、幸子、おいで幸子。」
「幸子は本当にかわいいね。」
そっちにまた行ってしまったほうがいいような気もする。嫌われたくないし、こんな自分がみんなといるのは申し訳なくて仕方ない。

そう言うフラフラした境目の淵をいつも綱渡りみたいにたどっている。
心療内科の先生にはADHDの傾向があると言われた。私は複雑性PTSDだと思っているけど違うみたいだ。ではこれは私が思いついた妄想で嘘で誇張された被害妄想なのか。
そうであれば本当に幸せなのになあと思う。
実はこの人生は全部嘘で夢で、
目が覚めたら私と言う存在自体がなくなっていればいいのに。

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